屈辱の日2013年04月27日

 
 4月28日はサンフランシスコ条約が発効し、日本の占領統治が終了したので、記念式典が行われるようです。
 1947年9月、昭和天皇・裕仁は、自分(あるいは自分の子孫)の保身のために、GHQに対して、沖縄は米軍の自由勝手にすることを求めました。沖縄を犠牲にしたことが、天皇制が維持されている唯一の要因ではないけれど、その後、沖縄は、米軍の自由勝手にさせられる運命になり、いまだにそれが継続している面があります。

なお、昭和天皇・裕仁の要望に対して、W.J.シーボルトは、以下のコメントをしている。
It will be noted that the Emperor of Japan hopes that the United States will continue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus, a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest.
  
 
 沖縄の運命は過酷だったけれど、本土も、安保条約により、米軍が、日本のあらゆる場所を、自由に使えるようになりました。これほど、主権が制限された国は、あまり無いのではないだろうか。
 
 1960年、広範な反安保闘争を押し切る形で、岸内閣は、安保条約の強化をねらった新安保条約を締結しました。写真は、この時、発行された記念切手。日米修好100年を記念するとの建前ではあるが、実際には安保改定を記念するものだったため、発行には強い反対が起こり、写真のように、黒枠で囲み、反対の意思を表した封皮も作られました。日米修好条約は、典型的な不平等条約であり、改定に苦労した経緯があるのに、記念切手発行を強行するのも、当時の岸内閣の傲慢な態度です。
(1960年の安保改定は、日米同盟が強化され日本が米国の世界戦略に巻き込まれ易くなったとの考えと、これまでの不平等条約が、形式的にせよ、一部、双務的で平等な条約になったとの見解があります。)

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