木村汎氏の本-まともな研究者が書いたの本なの??2007年07月28日

 拓殖大学教授の木村汎氏は、北方領土問題研究の第一人者です。
 この分野の研究として、木村氏は、まともな研究者なのでしょうか。良く分からなくなってきました。

 木村汎/著 日露国境交渉史 中公新書(1993.9) P102,103 に以下の記述があります。
ソ連式「クリール列島」理解
もうひとつ重要なことがある。スラビンスキーは、八月十八日、「クリール列島すべて」をソ連領とすることを改めて確認するスターリンの要求にたいして、トルーマンが同意をあたえたと書いている。しかし問題は、「クリール列島すべて」の範囲である。少なくとも現場のソ連軍司令官や兵士たちは、「クリール列島すべて」とはウルップ島までの島々のことを意味し、択捉以南にはおよばないと理解していた節がある。
そのことを証明するものとしては、まず、水津満陸軍少佐の証言がある。…(省略)…。また、先に引用した『元島民が語るわれらの北方四島』も、証言している。北方四島の各々に上陸してきたソ連兵が真っ先に日本人住民に尋ねた質問が、きまって「アメリカ兵は上陸していないか」という問いだった、と。もしこれらの水津少佐および引揚げ元島民の証言を採用するならば、スターリンはいざ知らず、当時のソ連軍の現場の人間の感覚では、択捉、国後、色丹、歯舞の北方四島は、ソ連軍が手に入れうる「クリール列島すべて」の範疇に入っていなかったといえよう。
 この本を読んだとき、木村氏ほどの高名な学者が、嘘・偽りを書くこともないだろうから、北方四島の各々に上陸してきたソ連兵は、きまって「アメリカ兵は上陸していないか」と尋ねたと証言しているのだろうと思っていました。中公新書では、参考文献・ページの記載がなかったのですが、改訂新版の角川選書では、参考文献とページが記載されていました。

 『元島民が語るわれらの北方四島』シリーズの第一巻の「ソ連占領編」(一九八八)のなかでの証言(P153,P177)

 この参考文献は、東京都立中央図書館の蔵書にあったので、そこで読んでみました。驚いたことに、多数ある証言の中で、「アメリカ兵は上陸していないか」と尋ねられたとの証言は、わずかに2件だけでした。そのうちの一件は、言葉が分からなかったが良く聞いてみると、日本兵はいないか、アメリカ兵はいないか、と尋ねられた、と記載されています。
 当時、ソ連兵の中に、日本語ができるものはほとんどいませんでしたし、英語のできるものも、ごくわずかでした。北方四島居住者の中に、ロシア語ができる人はおそらく絶無だったと思います。また、英語ができる人も、ごくわずかでした。このため、ソ連兵上陸時に、言葉が通じなかったため、手振り・身振りで意思伝達をしていたことが知られています。元島民の証言は、言葉が理解できなかったことが原因の誤解である可能性が高いものです。
 千島連盟初代会長の高城重吉氏は、早稲田大学で学んだことがあるため、多少の英語を解しました。高城氏は、ソ連軍艦が択捉島に接近したときに、日本人として最初にソ連軍に出会った人です。彼の証言によれば、片言の英語で会話をし、留別等の場所を聞かれたとありますが、アメリカ兵云々の話はありません。(還れ北方領土 高城重吉/著)。また、色丹村長だった、梅原衛氏は、ソ連軍が色丹島に上陸したとき最初にソ連兵と、身振り手振りで交渉した人ですが、彼の証言でも、アメリカ兵云々の話はありません。(北方領土 終戦前後の記録 北海道根室市発行)。
 木村汎氏の示した参考文献でも、他の責任ある人の証言でも、木村氏の書いているように「きまって、アメリカ兵は上陸していないか」と尋ねた、との証言はありません。

 木村汎氏は、ソ連の理解でも、千島に北方四島は含まれていなかったと説明しています。この、もう一つの根拠は、水津満の証言です。この証言は、かなり怪しく、おそらく日にちを、偽っている可能性が高いものです。 http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/05/20/1520618

 さて、木村汎氏の記述をもう一度良く見てみましょう。
 『水津少佐および引揚げ元島民の証言を採用するならば』と前提条件をつけています。もし、間違いであったとしても、木村氏の責任では無いような書きかたです。嘘であることを知っていながら、さも事実であるかのように書いているのでしょうか。

 虚偽の引用で、結論を捏造しているのかなー。違うかなー。このあたり、何か知見のある方、教えてください。

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