ホームページ更新2010年03月21日

久しぶりにホームページにレンズの説明を追記しました。
 ウクライナArsenal製のARSAT N 50mmF1.4です。
 http://cccpcamera.photo-web.cc/RussianCamera/Lens/ARSAT50/Arsat50.htm
 明るい標準レンズです。日本でも、マニュアルカメラの時代はこの程度の明るいレンズは当たり前だったのに、AFやズーム全盛時代になってからは、明るいレンズの需要がなくなってしまったようです。

 また、北方領土問題の説明のところに、日ロ関係の歴史の解説の一環として、長崎稲佐の写真を掲載しました。もちろん、現在の写真です。
 http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Naiyou/Inasa/index.htm
 ロシア・ウラジオストックは冬季凍結するので、かつて、ロシア海軍軍人は冬季に、長崎の稲佐に滞在していましたが、将校は通常、日本人少女を現地妻として囲い、水兵はロシア人専用遊郭を使っていました。道永エイは、はじめは自身が現地妻をしていたのですが、そのうち、ロシア人将校に少女を斡旋するようになり、ホテルを経営するまでにいたっています。
 現在、稲佐には道永エイを顕彰する碑が立てられています。また、皇太子ニコライが来日したとき、稲佐遊びを取り仕切ったのも道永エイです。本人が直接相手をしたとの説と、そうではないとの説があります。当時、道永エイは31才だったので、もし、本人が相手をしたのだとすると、ニコライは年増好きだったのでしょうか。
 稲佐のロシア人遊郭は、遊女に性病検査をした最初の地です。その後全国に広まり、戦後、売春防止法が成立するまで広く行われました。稲佐は、性風俗史上重要な地で、ロシアとの関係で生まれたものです。このため、多少その点を詳しく書きたい気もするのですが、猥褻文章になったり、少女売春の勧めのようになってしまいそうで、今のところ何も書いていません。

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