竹島問題2010年03月25日

明日は3月26日。1945年3月26日は硫黄島司令官・栗林忠道が戦死して、玉砕した日です。

 で、そういうことは関係なく、栗林忠道の孫である新藤義孝衆議院議員(自民)は、明日の衆議院外務委員会で質問に立つ予定です。質問内容は「刑事共助条約・刑事共助協定、受刑者移送条約について」「竹島問題について」だそうです。
 
 かつて、日本政府は、竹島が日本の領土であるとの根拠に、「伯耆藩、鳥取県でありますが、大谷、村川という両家が、現在の竹島を幕府からかつて拝領をしたという記録もございます(平成14年11月15日米田副大臣)」との、説明をしていました。
 これ、政府・外務省の正式な説明なのですが、「伯耆藩」って、日本に存在しないのです。大谷、村川両家のホラフキ文書か何かにそう書いてあるのですが、大谷、村川氏の先祖は、余り学が無かったので、鳥取藩あるいは伯耆国と書くべきところを間違えたのでしょう。
 日本の説明のミスを、研究者が指摘するようになると、さすがに政府も「伯耆藩」とは言わなくなります。平成18年5月31日に新藤義孝衆議院議員は、竹島問題を質問したけれど、梅田政府参考人は「伯耆の国、現在の鳥取県の一部でございますけれども、・・・」と「伯耆の国」と説明しています。ところが、新藤義孝衆議院議員は、自身のホームページに、このときの質問の報告として「江戸時代の初期(1618年)、伯耆藩(鳥取)の町人が幕府から鬱陵島への渡海免許を受け、・・・」って書いてるんですよ。困ったものだ。
http://www.shindo.gr.jp/2006/06/post-53.php

 3月26日に竹島問題を質問するそうだけど、恥ずかしいこと言わないといいなー。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

* * * * * *

<< 2010/03 >>
01 02 03 04 05 06
07 08 09 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

RSS