本の紹介- シベリアにうずめたカルテ2014年07月01日

 
 『シベリアにうずめたカルテ』平出節雄/著 (2001/03)文芸社
 
 シベリア抑留体験者の体験記はいくつも出版されているが、本書も、このような本の一つ。
 
 軍医だった著者は、満州でソ連軍に武装解除され、シベリア抑留となった。当時の日記を出版したような雰囲気ではあるが、実際には、帰国後に、当時を思い起こして、日記風にまとめたものを、著者の死後に、遺族が出版した。
 日記風ではあるが、実際の日記ではないので、明らかに著者が体験したものでないことも、実際に見聞したような雰囲気で書かれている。また、著者の死後に出版されたものなので、著者の校正は入っておらず、記述の信憑性には疑問がある。軍医によって書かれたもので、一定の価値はあるだろうが、書かれていることがすべて真実と信用するわけにもゆかず、評価が難しい本だ。

本の紹介-中国・琉球交流史2014年07月06日

 
徐恭生/著 『中国・琉球交流史』ひるぎ社(1991.3) 西里喜行、上里賢一/共訳  (おきなわ文庫56)
 
 明治以前、琉球は中国を宗主国とした藩属国だったため、琉球王が交代するときには、中国から琉球王任命の施設がやってきた。この後、琉球からお礼のための使節が中国にわたった。また、朝貢貿易のため、琉球から中国に渡ったことも多い。
 本書は、中国・琉球交流の歴史のうち、琉球から中国に渡った人たちの、中国でのようすを、主に中国側資料によって明らかすることが、メインテーマで、躯体的には、中国に残る琉球人墓、中国における琉球人留学生、について、詳しい説明がなされている。
 このほか、19世紀中ごろに起こったアメリカの中国人奴隷売買に対する中国の暴動-バウン号事件-と琉球の関係、天妃信仰、琉球国王印の研究成果も記されている。

ホームページ更新2014年07月07日

 尖閣問題を考える上で、琉球史を無視することは出来ないので、尖閣問題を理解する上で、最低限必要と思われる琉球史を書こうと思います。まず手始めに、「米軍占領統治時代」を書きました。B円(米軍軍票)の写真と、占領当地に関連する切手類の写真が中心です。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/senkaku/Senryou/index.htm

 
「海外の地図における北方領土の表示」のところに、ITM(International Travel Maps and Books)が出版した「JAPAN TRAVEL ATLAS」の北海道地図東部を掲載しました。この地図では、北方領土は、ロシア領になっています。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/MAP_Kyoukasho/OtherMap/index.htm

いしゐのぞむ/著 尖閣反駁マニュアル百題2014年07月08日

6月13日に出版された、『いしゐのぞむ/著 尖閣反駁マニュアル百題 自然食通信社』を近所の川口市立図書館にお願いしたら、購入検討中。ちょっとマイナーな出版社なので、買ってくれるかどうか。さいたま市立図書館には蔵書があるので、買ってくれなかったら、そちらを借りることになるだろう。
 
6月10日に出版された、『日本中国友好協会/編 尖閣問題~平和的解決を~  本の泉社 』は川口市立図書館で購入発注中。

本の紹介-岩手県立博物館/編『北の黒船』2014年07月09日

 
岩手県立博物館/編『北の黒船 岩手県立博物館第59回企画展』岩手県文化振興事業団(2008/3)
 
本書は、岩手県立博物館企画展の展示品解説図録。
 
 1789年に起こったクナシリ・メナシの戦いや、ロシアの南下などの伴い、1799年、幕府は、松前藩から東蝦夷地を取り上げ、さらに、1807年には西蝦夷地も取り上げ、幕府直轄地とした。北辺の緊張緩和に伴い、1821年には、蝦夷地を松前藩に返したが、1854年の日米和親条約で箱館が開港されると、1855年には、再び、蝦夷地は幕府直轄地となった。
 これらの動きに伴い、東北諸藩には、蝦夷地警護が求めらた。1792年にラクスマンが来航し、翌年、松前で応接した時には、盛岡藩・弘前藩が松前藩とともに警備に当たっている。1807年に起こった、ロシアのカラフト・エトロフ島襲撃事件では、警護の盛岡・弘前藩士は、ほとんど抗戦することなく逃げ出した。この事件後、幕府は東蝦夷地を盛岡藩に、西蝦夷地を弘前藩に永久勤番を命じた。1821年に蝦夷地が松前藩に戻ると、盛岡藩兵も一旦は蝦夷地から引き揚げたが、1855年の幕領化に伴い、再び、蝦夷地警護を命じられ、胆振などの警護にあたった。このように、盛岡藩は蝦夷地との関係が深い。
  
 岩手県立博物館企画展は、盛岡藩を中心とする蝦夷地警備の様子を、絵図や古記録、勤番日記類によって紹介している。展示品の多くは、岩手県内にある資料を掲載しており、岩手と蝦夷地の関係を理解する上でも有用な内容になっている。
 図録は、展示品の写真と、解説。勤番日記類などは、文書を活字化してあり読みやすい。また、蝦夷地の古地図や陣屋の絵図なども豊富で、写真を見るだけでも、十分に楽しめる内容になっている。

本の紹介-古代北方世界に生きた人びと ~交流と交易~2014年07月10日

 
『古代北方世界に生きた人びと ~交流と交易~』 (2008.4)
 
 新潟県立歴史博物館、東北歴史博物館、北海道開拓記念館で2008年4月~11月に順次行われた企画展の展示解説図録。
 
 日本が弥生時代・古墳時代・平安時代と続くころ、北海道では、続縄文、擦文、アイヌ文化が起こっていたし、オホーツク沿岸には、オホーツク文化やトビニタイ文化があり、日本とは異なった時代だった。また、北東北から北海道では、日本民族とは異なったアイヌや北方諸民族が暮らしていた。
 彼等な間では、広く交易を行なわれ、さらに、日本との交易も行われていた。
 
 この企画展は、弥生時代末から平安時代を主な対象とし、特に交流と交易に注目しながら、土器・鉄器・装飾品など200点あまりの展示がおこなわれた。
 本書では、展示された品々の写真を掲載し、それらを解説し、さらに、この地域の歴史を解説している。展覧会の図録であるため、展示品の解説が主目的になっており、通史ではないので、十分な歴史理解には不十分な点も生じると思うが、写真を通して視覚的に理解できるので、北方世界の歴史を理解する一助になるだろう。

本の紹介-『北海道立北方民族博物館総合案内』2014年07月11日

 
『北海道立北方民族博物館総合案内』 第4版(2006.3)   初版は1993.3
 
 博物館展示図録を2冊続けたので、今回も、博物館の図録。
 
 これは、網走市にある道立北方民族博物館の展示品の解説図録で、展示品の写真と簡単な解説が記載されている。
 日本の北方民族はアイヌだけれど、もっと、北に目を向けると、ニブフ、ウイルタ、イテリメン、エベンキ、アリュート、イヌイトなどの、諸民族が暮らしている。この博物館は、これら、北方諸民族の衣服・楽器・生活用品などの展示や、歴史・交易などの解説がある。
 図録は、展示品のうち、主要なものをコンパクトにまとめてあって、北方諸民族の実態がざっと理解できるようになっている。
 
 北方諸民族の名称と居住地が頭に入っていないと、展示品を一通り見ても、なかなか、頭の整理がつかないので、もし、展示を実際に見る場合は、事前に、ある程度知識を得ておいたほうが良いだろう。本書は、このような目的にも、ある程度有用です。

HAKUBA デジタルカメラケース SPG-IP2-LWR2014年07月12日

 
HAKUBA デジタルカメラケース SPG-IP2-LWR
 
デジタルカメラ、オリンパスXZ-2用に、カメラポーチを購入した。 ネットで調べると、少し窮屈などとの意見も有ったが、実際に使ってみるとそんなことはなく、ぴったり。厚さ方向には余裕はないが、横方向と、上下方向には余裕がある。

本-関熊太郎伝2014年07月13日


『関熊太郎伝 北方領土の探検家』 桐原光明/著 (1996.4)暁印書館
 北千島の探検家では、報效義会の郡司成忠が有名であるが、関熊太郎は郡司の一年前に、北千島の探検を試みている。しかし、関熊太郎は、当時1000人程度の人口があった、エトロフ島を一部探検しただけで、資金が枯渇して、北千島に到着することなく、事業は終了した。
 その後、北千島探検の重要性を説き、政府に開発資金を求める等の活動をしたが、それも失敗に終わった。

 本書は、関熊太郎の生い立ちから、エトロフ島の探検、その後の活動など、関熊太郎の伝記。
 しかし、伝記であるならば、史実を書けばよいが、本書では、「もし・・・ならば・・・であろう」調の記述が散見され、その根拠を示しておらず、これでは、伝記というよりも、郷土の人を偉人と美化して書いた単なる「ヨイショ」本に過ぎない。
 すぐれた開拓事業に対する提案をした関熊太郎であるが、せっかく千島まで渡りながら、探検調査に止まり、この提案が活かせず、中途で終わってしまったのはかえすがえす残念である。なぜ、探検どまりで終わってしまったかといえば、結論は拓殖事業にふさわしい資金が枯渇していたからである。豊富な資金さえあれば、千島拓殖事業は成功したであろう。(P110)
 まったくばかげた見解に感じる。魅力ある現実的な開発提案が出来なかったから、資金調達に失敗したのであり、資金が枯渇しないような拓殖事業計画が立てられなかったから、資金が枯渇したのだ。失敗する事業は、みんなそんなものです。
 歴史的に見て、北方領土問題、千島開拓のパイオニアがもし、、日本にいなかったら、今頃、日本はどうなっていたであろうか。考えてみただけでも、身の毛が弥立つ。(P97)
 何を、バカ話をしているのか。「もし・・・たら」はいくらでもいえるが、いずれにしろ、関熊太郎は失敗して、役に立たなかったのだから、この事業があってもなくても、何も変わらなかっただろう。

 こういうバカ話の他にも、まじめに書いているのだろうかと疑問に思う記述もある。
 P59では、樺太千島交換条約を根拠に、『それ以降の条約その他についても「千島列島」とは前記十八島(シュムシュ島からウルップ島まで)を言うのである』と書いている。GHQ指令や平和条約国会の政府答弁などでは「千島列島」に国後・択捉が含まれていることを、著者は知らないのだろうか。
 さらに、P100には広辞苑の「千島列島」の説明を引用して、『一般に言われる千島は、国後、択捉、得撫・・・・占守、阿頼度・・・』と書いており、P59の記述と違う。

ちょっとオバカサンな、悪質メール - 特定記録2014年07月17日

 最近、悪質な迷惑メールが頻繁にやってくる。使ってもいないサイトの使用料を請求するもの。連絡しないと、管轄裁判所から裁判日程を決定する呼出状が発行されるぞ、との内容。それが、呆れたことに、メールのタイトルが、
 【特定記録便のお知らせ】
となっている。
 こんなことをしている奴らは、相当に頭も悪いのだろうけれど、それにしても「特定記録便」の意味ぐらい調べればいいのに。特定記録は、特殊取扱の中では、最も緩いものです。裁判所から発送される郵便は、「特別送達」と言う。
 仮に「特定記録便」が来ても、無視して大丈夫です。裁判所から来るのは「特別送達」で、配達は必ず手渡しになる。また、封筒に「重要」「親展」などと書かれているものは、郵便としては意味のない表示です。
 
以下、郵便の特殊取扱について説明します。
 
特定記録:
 郵便局が引き受けたことを記録するもの。郵便受箱配達なので、配達の記録は行わない。
 
簡易書留:
 郵便局が引き受けたこと、配達されたことを記録する。配達の際には、受取人が署名か押印を行う。
 
書留:
 引き受けから配達までの送達過程を記録する。配達の際には、受取人が署名か押印を行う。
 
特別送達:
 特別送達郵便が配達されたら、放置してはいけない。
 裁判所から訴訟関係人などに書類を送達するとき、その送達の事実を証明する為に用いられる等の、特別な取り扱い。一般人が差し出すことはない。必ず、書留と併用する。配達の際には、受取人が署名か押印を行うため、郵便箱に配達されることはない。
 なお、「特別送達」と書かれた郵便が郵便箱に投函されていたら、偽の郵便物なので、郵便局に相談する。
 
配達証明:
 書留郵便に対して、配達したことを証明するもの。
 
引き受け時刻証明:
 書留郵便に対して、郵便局が引き受けた時刻を証明するもの。
 
内容証明:
 手紙の内容を郵便局が証明するもの。必ず書留にする。

* * * * * *

<< 2014/07 >>
01 02 03 04 05
06 07 08 09 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

RSS