Kruhlyakivka陥落か2024年10月20日

 
 クピャンスク東部戦線では、2024年8月末、シンキフカが解放された。その後、シンキフカ戦線は膠着し、代わりにクピャンスクの南20㎞のKruhlyakivkaに東方から進軍する動きが、10月上旬には目立ってきた。この地域のオスクル川に架かる橋はすべて落とされているので、Kruhlyakivkaがロシア軍の手に落ちると、川の東部に布陣するウクライナ軍の補給が困難になる。
 
 10月18日、親ウクライナ勢力により、Kruhlyakivkaをウクライナ軍が奪還したとの投稿が目立った。これによると、ウクライナ軍はロシア軍を600m押し戻し、Kruhlyakivkaを再奪還したとのことだ。
 10月19日になるとKruhlyakivkaをロシア軍が解放したとの情報がある。これによると、ロシア軍はKruhlyakivkaを占領し、Oskil川に到達したとのことだ。
 どちらの情報が正しいのか、あるいはどちらの情報も正しいのか、今のところ分からないが、いずれにしても、この戦線では、Kruhlyakivkaの攻防が両軍にとって最重要になっていることは間違いない。
 
追記:
航空万能論(2024.10.20)は以下のように書いている。
『ウクライナ国防省情報総局はクピャンスク方面オスキル川沿いについて19日「クルフリャフカを奪還する作戦を7日から14日まで実施して取り付いた敵を排除し、敵の移動ルート上の地雷を設置した」と発表』
『ウクライナ軍はクルフリャフカ集落に取り付いたロシア軍を1度押し戻すことに成功したものの、ロシア軍は多数の装甲車輌を投入してクルフリャフカへ攻勢を仕掛け、クルフリャフカ集落内の線路沿い=集落中心部まで到達してしまい、クルフリャフカより北のオスキル川東岸地域は陸路による安定的なアクセスが遮断され補給が複雑化してしまった。』
 ここに書かれたことが事実ならば、ウクライナ軍が押し戻して地雷を設置した場所が、わずか1日で突破され、さらに深くまで進攻を許したことになり、ウクライナ軍の戦力不足が顕著だ。

* * * * * *

<< 2024/10 >>
01 02 03 04 05
06 07 08 09 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

RSS