国会決議における『固有の領土』の文言 ― 2009年07月08日
サミットで、麻生・メドベージェフ会談が予定されています。北方領土問題が議題になるのかならないのか。最近、日本の法律で、初めて、北方領土を『固有の領土』とする改正案が成立しました。
法律で『固有の領土』の文言が入ったのは、今回が初めてなのですが、国会決議では、古くから『固有の領土』の文言があります。一番古いのは、昭和26年の衆議院決議で、このときは、歯舞を固有の領土としています。
以下、衆議院決議を紹介します。
昭和26年3月31日
…行政区域からも歯舞諸島は根室国であり、明らかに北海道本土の一部をなしてわが国固有の領土であり、天然的、歴史的環境をもつものである。
しかるに終戰当時これらの島に駐とんせる日本軍隊が千島と同一の指揮系統にあって降伏した事情等のため、北海道と分離せられ、ソ連邦に引き渡されたのである。 …
昭和27年7月31日
…歯舞、色丹島については、当然わが国の主権に属するものなるにつき、速やかにその引渡を受けること。…
昭和28年7月7日
平和条約の発効以来、歯舞及び色丹島等の復帰を図ることは、わが国民あげての宿望であり、…
昭和37年3月9日
…ソ連邦政府との間に開始し、懸案になっているわが国固有の領土である北方領土問題を解決し、これをわが国に復帰せしめるよう最善の努力を払い…
昭和40年4月6日
北海道の一部である歯舞群島、色丹島およびわが国固有の領土であるその他の北方領土は、ソ連によって占有され、未解決のまま現在に至っている。…
昭和48年9月20日
戦後四半世紀余にわたり今なおわが国固有の領土である歯舞、色丹および国後、択捉等の北方領土が返還されていないことは、日本国民にとってまことに遺憾なことである。…
昭和54年2月20日
わが国固有の領土である歯舞、色丹及び国後、択捉等の北方領土が永年にわたる日本国民の要望にもかかわらず、…
昭和55年3月13日
…ソ連は、日本国民の総意を無視して、わが国固有の領土たる国後、択捉両島における軍備強化を続け、更に色丹島にも新たな軍事力を配備した。…
昭和60年4月19日
…わが国固有の領土である歯舞、色丹及び国後、択捉等北方領土の問題が依然として未解決であり、…
昭和61年10月17日
…我が国固有の領土である歯舞、色丹及び国後、択捉等北方領土の問題が依然として未解決であり、…
平成元年4月11日
…我が国固有の領土である歯舞、色丹及び国後、択捉等の北方領土問題が依然として未解決であり、…
平成3年4月9日
…戦後45年を経過した今日もなお、歯舞、色丹及び国後、択捉等の北方領土問題が解決せず、日ソ両国間に平和条約が締結されていないことは、誠に遺憾なことである。…
平成7年6月8日
我が国固有の領土である歯舞、色丹及び国後、択捉等の北方領土の返還の実現は、…
平成17年2月22日
…全国民の悲願にこたえ、歯舞、色丹及び国後、択捉等の北方領土の帰属の問題を解決して…
昭和48年に『わが国固有の領土である歯舞、色丹および国後、択捉等』の表現が現われると、基本的にこの表現が踏襲されます。『および』は社会党左派の2島返還論に配慮したもので、『等』は共産党の全千島返還論に配慮したものと言われています。
法律で『固有の領土』の文言が入ったのは、今回が初めてなのですが、国会決議では、古くから『固有の領土』の文言があります。一番古いのは、昭和26年の衆議院決議で、このときは、歯舞を固有の領土としています。
以下、衆議院決議を紹介します。
昭和26年3月31日
…行政区域からも歯舞諸島は根室国であり、明らかに北海道本土の一部をなしてわが国固有の領土であり、天然的、歴史的環境をもつものである。
しかるに終戰当時これらの島に駐とんせる日本軍隊が千島と同一の指揮系統にあって降伏した事情等のため、北海道と分離せられ、ソ連邦に引き渡されたのである。 …
昭和27年7月31日
…歯舞、色丹島については、当然わが国の主権に属するものなるにつき、速やかにその引渡を受けること。…
昭和28年7月7日
平和条約の発効以来、歯舞及び色丹島等の復帰を図ることは、わが国民あげての宿望であり、…
昭和37年3月9日
…ソ連邦政府との間に開始し、懸案になっているわが国固有の領土である北方領土問題を解決し、これをわが国に復帰せしめるよう最善の努力を払い…
昭和40年4月6日
北海道の一部である歯舞群島、色丹島およびわが国固有の領土であるその他の北方領土は、ソ連によって占有され、未解決のまま現在に至っている。…
昭和48年9月20日
戦後四半世紀余にわたり今なおわが国固有の領土である歯舞、色丹および国後、択捉等の北方領土が返還されていないことは、日本国民にとってまことに遺憾なことである。…
昭和54年2月20日
わが国固有の領土である歯舞、色丹及び国後、択捉等の北方領土が永年にわたる日本国民の要望にもかかわらず、…
昭和55年3月13日
…ソ連は、日本国民の総意を無視して、わが国固有の領土たる国後、択捉両島における軍備強化を続け、更に色丹島にも新たな軍事力を配備した。…
昭和60年4月19日
…わが国固有の領土である歯舞、色丹及び国後、択捉等北方領土の問題が依然として未解決であり、…
昭和61年10月17日
…我が国固有の領土である歯舞、色丹及び国後、択捉等北方領土の問題が依然として未解決であり、…
平成元年4月11日
…我が国固有の領土である歯舞、色丹及び国後、択捉等の北方領土問題が依然として未解決であり、…
平成3年4月9日
…戦後45年を経過した今日もなお、歯舞、色丹及び国後、択捉等の北方領土問題が解決せず、日ソ両国間に平和条約が締結されていないことは、誠に遺憾なことである。…
平成7年6月8日
我が国固有の領土である歯舞、色丹及び国後、択捉等の北方領土の返還の実現は、…
平成17年2月22日
…全国民の悲願にこたえ、歯舞、色丹及び国後、択捉等の北方領土の帰属の問題を解決して…
昭和48年に『わが国固有の領土である歯舞、色丹および国後、択捉等』の表現が現われると、基本的にこの表現が踏襲されます。『および』は社会党左派の2島返還論に配慮したもので、『等』は共産党の全千島返還論に配慮したものと言われています。
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