本の紹介-収容所のロビンソンクルーソー ― 2012年05月16日
収容所のロビンソンクルーソー 菊兵団ビルマ抑留記 井上咸/著 毎日新聞社 (1981/10)
日本軍最強の菊兵団はビルマ戦線で終戦となり、イギリス軍捕虜(JSP)として、1年ほどビルマで強制労働に従事した。本書は、元菊兵団将校による回想録。捕虜時代を描いた挿絵が豊富。ビルマでイギリス軍捕虜になったのは、菊兵団の他に安兵団などがあり、後者については『会田雄次/著 アーロン収容所』が出版されている。
菊兵団は優秀な部隊であったため、イギリス軍の管理も安兵団とは違っていたようであり、本書を読む限りは、イギリス軍は紳士的に振舞っていて、イギリス軍に対する恨みは本書には書かれていない。
P183には昭和21年の正月の記述で、「音信絶えて既に1年になる」とあるので、少なくとも、21年正月以前には、俘虜郵便は認められていなかったようだ。著者は、終戦翌年の7月に帰国を果たしたが、故国との通信に関する記述はないので、俘虜郵便は最後まで認められていなかったのだろう。
日本軍最強の菊兵団はビルマ戦線で終戦となり、イギリス軍捕虜(JSP)として、1年ほどビルマで強制労働に従事した。本書は、元菊兵団将校による回想録。捕虜時代を描いた挿絵が豊富。ビルマでイギリス軍捕虜になったのは、菊兵団の他に安兵団などがあり、後者については『会田雄次/著 アーロン収容所』が出版されている。
菊兵団は優秀な部隊であったため、イギリス軍の管理も安兵団とは違っていたようであり、本書を読む限りは、イギリス軍は紳士的に振舞っていて、イギリス軍に対する恨みは本書には書かれていない。
P183には昭和21年の正月の記述で、「音信絶えて既に1年になる」とあるので、少なくとも、21年正月以前には、俘虜郵便は認められていなかったようだ。著者は、終戦翌年の7月に帰国を果たしたが、故国との通信に関する記述はないので、俘虜郵便は最後まで認められていなかったのだろう。