本の紹介-中世後期における東アジアの国際関係2014年03月04日

中世後期における東アジアの国際関係
大隅和雄,村井章介/編 山川出版社 (1997/8)

 96年8月、札幌で行われた、日本史教育研究大会のシンポジウム「日本史教育における国際化とは」をもとに構成。
 東シナ海地域として、後期倭寇の民族性の話題、中世中国海禁政策の話題が論じられている。
 また、北方に日本海地域では、13~16世紀の元・明とアイヌの関係や、明の後退に伴うアイヌの日本への従属などが論じられている。

 現代日本の領土問題に、直接関係する部分はないが、中世中国の海禁政策や後期倭寇は尖閣発見と密接な関係があり、また、アイヌやサハリンとの関係は、北方領土問題を理解する上で、背景となる歴史知識の一部になりうる。

 なお、以下の文章は、尖閣問題を理解する上で、興味を持った。
村井章介/著「倭寇の多民族性をめぐって-国家と地域の視点から」

 そういう多民族的な集団の中には当然矛盾もあって、争いもしばしば起きているわけで、史料23はその一つの例です。福建の漳州出身の陳貴という者が、海禁を破って大船に乗って海に乗り出すんですが、やがて琉球にやって来るんですね。そしてその国の長史蔡廷美、長史というのは、那覇の一角に久米村というところがあって、そこに福建人の居留地ができているんですが、その久米村の人が就いている琉球の高官です。陳貴も蔡廷美も福建省の出身者ですから、誘引するわけですね。そして那覇港に入港したんですけれども、そこで潮陽の海船に遇う、潮陽は漳州よりも少し西の方にある港町ですけれども、これと遇って喧嘩になるわけです。つまり琉球で潮陽の船と潭州の人間とが争いを起こして殺人にまで発展する、ということで国王が乗り出してそれを止めているわけですね。(P50)

23 『明世宗実録』嘉靖二十一年(一五四二)五月庚子条
初め漳州人陳貴等、私に大紅に駕して下海通番し、琉球に至る。其の国の長史通事蔡廷美等に招引せられて入港し、適たま潮陽の海船に遇い、利を争い互相に殺傷す。廷美、貴等を旧王城に安置し、尽く其の貨を没す。貴等、夜奔げて掩捕する所と為り、多く殺さる。国王尚清、之を知り、国中に下令して乃ち止む。是に至り、貴等七人を械繋して、其の賊為るを誣し、廷美等を遣わし、表文を齎し、送りて福建に至り、京に赴き陳奏せんと欲す。……(P65)

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