尖閣開拓者・所有者の墓所2014年12月22日

  
埼玉県大宮市大成の普門院には、尖閣の前所有者・栗原家の墓所がある。
  
普門院は安土桃山時代から江戸時代初期の戦国武将・小栗忠政が大成領主となった際に復興させ、自らの墓所を築いた寺で、小栗忠政一族の墓所は市の文化財に指定されている。
  
小栗忠政一族の墓所は、堂々としているが、それよりもいっそう広く、一段高く作られているのが栗原家の墓所。場所は、寺から入ってすぐのところにある水屋の裏にあたるので、この寺で一番立派な墓所であると覚えておけば、容易に探すことが出来る。
  
尖閣は古賀辰四郎により開拓された。辰四郎死亡後は、息子の古賀善次に事業が継承されたが、事業は徐々に衰退し、終戦前には尖閣は再び無人島になった。
1972年ごろ、埼玉県の実業家・栗原国起は、古賀善次から、尖閣を購入した。
  
栗原家の墓所の一角(左手前隅)に、古賀善次の墓がある。善次の父・辰四郎の墓は、ここにはない。古賀善次と栗原家にはどのような関係が有ったのだろうか。
 
 


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