本の紹介―基地はなぜ沖縄に集中しているのか ― 2017年07月15日

NHK取材班/著『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』NHK出版 (2011/9)
現在、在日米軍基地は、沖縄に集中しているが、かつてはそうではなかった。進駐軍が日本を占領すると、主に旧日本軍基地を米軍基地として使用したため、本土に米軍基地の多くが置かれた。朝鮮戦争に伴って、米軍基地の拡大が必要となると、新たな基地用地の提供が求められるなど、米軍基地の拡大が図られたが、各地で強い反対にあった。このうち、石川県内灘町の内灘闘争や、長野県軽井沢町から群馬県松井田町の浅間妙義演習地反対闘争などは、住民の抵抗で基地化をまぬがれた例として有名。
群馬県安中市松井田町西野牧字恩賀には「妙義米軍基地反対闘争勝利記念碑」が建てられている。場所は上信越道の碓井軽井沢インターを降りて、荻野屋前の交差点を右折後、高岩山登山道入り口方面の脇道に入ってすぐのところ。碑は車道から離れているのでわかりにくい。
内灘闘争については、内灘町のホームページに解説がある。
内灘町役場ホームページ(2017/7/14閲覧)
昭和24年から32年にかけて、現在の内灘砂丘の向粟崎地区から宮坂地区の海岸線がアメリカ軍の砲弾試射場に供用されることになりました。
しかし、計画当初から内灘全村で接収反対運動が起こり、国への陳情も行われるなど、政治的な思惑もからんで全国的な運動へと展開して行きました。この闘争は文学や映画などでも取り上げられ、内灘の名を広く全国に知らしめる出来事となりました。政府は期限付きで試射場としての使用を許可しましたが、村を二分する反対運動の末、試射場は撤収され、騒ぎも収束していきました。現在、当時を偲ぶことが出来る監視棟の建物が内灘海岸浜茶屋軒のそばに、また着弾地観測棟の建物が権現森海岸に建っています。(参考:内灘闘争資料集/内灘闘争資料集刊行委員会より)
本土で反基地闘争にあって、基地拡大に頓挫した米軍は沖縄に基地を集中させるようになっていった。本土の米軍基地が縮小される中、沖縄では米軍基地が拡大し、現在では米軍基地の3/4が沖縄に集中するようになった。
本書では本土の基地が返還縮小される中、沖縄に基地が集中していく様を、沖縄返還以前と以後に分けて解説する。この部分は、全体の半分弱。そして、沖縄の米軍基地の目的を米軍への取材で明らかにする。さらに、民主党政権下の普天間問題について説明している。
「妙義米軍基地反対闘争勝利記念碑」は住民運動の勝利の記念碑なのだけれど、この勝利が沖縄県名護市のキャンプシュワブにつながってゆく。一つの勝利が負担の押し付け合いになっているようで悲しい。
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