妙義米軍基地反対闘争勝利記念碑2017年07月16日

 現在、在日米軍基地は、沖縄に集中しているが、かつてはそうではなかった。進駐軍が日本を占領すると、主に旧日本軍基地を米軍基地として使用したため、本土に米軍基地の多くが置かれた。朝鮮戦争に伴って、米軍基地の拡大が必要となると、新たな基地用地の提供が求められるなど、米軍基地の拡大が図られたが、各地で強い反対にあった。長野県軽井沢町から群馬県松井田町の浅間妙義演習地反対闘争などは、住民の抵抗で基地化をまぬがれた例として有名。
       
 群馬県安中市松井田町西野牧字恩賀には「妙義米軍基地反対闘争勝利記念碑」が建てられている。訪ねたときは、ススキに埋もれていた。
     
建立のいきさつが以下のように書かれている。
     
妙義米軍基地反対闘争勝利記念碑
 一九五三年二月、米軍側から恩賀八風平に山岳訓練学校を設置し、妙義・浅間一帯の広範囲にわたる地域を米軍基地とすることを示してきた。当然、中心である恩賀、そして県全体に反対運動が広がっていった。保守革新を問わず県行政も加わっての、反対行動となった。しかし時間がたつにつれて妙義軍事基地反対共同闘争委員会並同右恩賀同志会に結集する県民の闘いとなっていった。分裂攻撃に負けず二年間、熾烈な戦いが展開せれていった。そして、日本の米軍事基地反対闘争に例を見ない勝利の結果を得たのである。
 この闘いは基地闘争のあり方にいろいろな教訓を与えるほど極めて重要な典型的なものであった。いま三十有余年を経て、この地に記念碑を建立し、これらの歴史をふりかえるよすがとするものである。
 一九八七年九月 
  文書 菊池定則
     
 碑が建てられている場所は上信越道の碓氷軽井沢インターを降りて、荻野屋前の交差点を右折後、高岩山登山道入り口方面の脇道に入ってすぐのところ。碑は車道から離れているのでわかりにくい。下の地図の赤丸印のところです。
     
 車道の道脇に指導標があるが、小さくて見づらい。
     
 「妙義米軍基地反対闘争勝利記念碑」は住民運動の勝利の記念碑なのだけれど、この勝利が沖縄県名護市のキャンプシュワブにつながってゆく。一つの勝利が負担の押し付け合いになっているようで悲しい。
     
 さらに、横川方面へと2kmほど県道92号線を進むと、縄文時代を中心とする遺物が出土した「千駄木遺跡」がある。



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