本の紹介―中国と南沙諸島紛争 問題の起源2017年09月13日


呉士存/著、朱建栄/編 『中国と南沙諸島紛争 問題の起源、経緯と「仲裁裁定」後の展望 』花伝社 (2017/4)

 南沙諸島紛争を中国の立場から解説。一般的解説書ではなくて、歴史的・法的見地から中国の正当性を研究した専門書。この本を読めば、南沙諸島中国領論の根拠の全貌がわかる。

 中世において、中国人船員によって南沙諸島の島は航海の目印、あるいは貿易船の中継地として利用されていた。

 近代では、1930年代初頭にフランスが南沙諸島の領有宣言し、すでに太平島で採掘作業をしていた日本人を追放した。フランスの領有宣言に対して、中国・日本が抗議している。1939年(昭和14年)に、日本は南沙諸島の領有を宣言しフランス軍やベトナム漁民を追放した。これ以降、日本・フランスで領有権争いが起こるが、1940年にフランスがドイツに侵攻されると、日仏間における極東での日本優位を定めた「松岡・アンリ協定」が締結され、南沙諸島からフランスは撤退した。一方、中国は日本の領有宣言にも抗議したが、日中戦争で日本の侵略を受ける事態となって、交渉の機会は失われた。このような経緯で、南沙諸島は日本が領有・実効支配することになった。南沙諸島を領有した日本は台湾・高雄市の管轄としたため、南沙諸島は台湾総督の管轄区域となった。
 1945年10月25日、日本の敗戦に伴って、台湾の施政権が台湾総督から中華民国に移された(台湾光復)。中華民国は南沙諸島を広東省の管轄にした。第2次大戦終戦の混乱期の1946年に一時フランスが南沙諸島のスプラトリー島を占拠したが、第1次インドシナ戦争の影響で撤退した。1952年、日本はサンフランシスコ条約により南沙諸島の領有を放棄した。

 中世の領有が近代においても通用すると考えるならば、南沙諸島は中国領と考えることが妥当だ。この場合、戦前の日本の領有は不当なものと考えられる。
 一方、中世の領有は近代では通用しないと考えるならば、戦前の日本の領有は正当なものだ。敗戦の結果、中華民国に施政権が渡り、日本が領有権を放棄したのだから、戦後、中国・台湾が南沙諸島を支配・領有することは正当だ。いずれにしても、南沙諸島の領有権は中国か台湾にある。しかし、現実は、南沙諸島最大の太平島は台湾が実効支配しているが、それ以外の小島は、フィリピンやベトナムが支配する島が多い。これは、フィリピンや南ベトナムが中国の混乱に乗じて、占領したためである。

 他国の混乱に乗じて無人島を占領しても、領土が割譲されたことにはならないので、一般的に言えば、フィリピン・ベトナムなどの占領は不当なことだ。しかし、フィリピンはアメリカの同盟国なので、南沙諸島をフィリピンが領有することはアメリカの軍事戦略にとって有利だ。このような理由で、現在では、南沙諸島に中国の勢力が及ぶことに対して、米国を中心とする国際社会は批判的である。日本も、この地域に米国軍事力が展開されていたほうがシーレーン防衛の観点から好ましいので、中国の支配には批判的になる。

 本書は、南沙諸島の歴史的経緯と国際法問題を説明し、中国の立場を説明したものである。
 しかし、現実政治は、アメリカの軍事戦略や西側国家の経済的利益によって決定されることが多い。本書では、これらの点にあまり触れらていない。

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