本の紹介-関東大震災直後の朝鮮人と日本人 ― 2021年11月25日

西崎雅夫/編『関東大震災直後の朝鮮人と日本人』(2018.8)ちくま文庫
渡辺延志/著『関東大震災「虐殺否定」の真相 ハーバード大学教授の論拠を検証する』のなかに、「信越線松井田駅で碓氷峠上から列車爆破を狙った朝鮮人が警察に逮捕され、計画を自白した」とラムザイヤー教授が新聞記事をもとに書いているとの記述がある。渡辺延志はこの事実がなかったことと、このようなデマが新聞に書かれた経緯を考察している。渡辺延志は松井田駅事件を9月3日のことと推察しているが、この日には、志賀直哉が名古屋発川口行き臨時直行列車で松井田駅を通っている。そこで、この時の様子が収録されている本を読んでみた。
志賀直哉は関東大震災直後に、京都から信越線経由で東京に行った。その時の様子が、『関東大震災直後の朝鮮人と日本人』に収録されている。9月3日の日暮れ後に、松井田駅を通過し、そこで、「兵隊二三人に弥次馬十人余りで一人の鮮人を追いかけるのを見た」としているので、ラムザイヤー教授が引用している新聞記事は、この事件のことだろう。
信州の高原には秋草が咲乱れていた。沓掛辺の別荘の門前で赤いでんちを着た五つ六つのお嬢さんが霧の中に三輪車を止め、吾々の汽車を見送って居た。
客車の中は騒がしかった。窓から入って来た男と其所にいた東京者とが喧嘩を始め、東京者が「何いやがるんだ、百姓」と云ったのが失敗で他の連中まで腹を立て大騒ぎになった。
軽井沢、日の暮れ。駅では乗客に氷の接待をしていた。東京では鮮人が爆弾を持って暴れ廻っているというような噂を聞く。が自分は信じなかった。
松井田で、兵隊二三人に弥次馬十人余りで一人の鮮人を追いかけるのを見た。「殺した」直ぐ引返して来た一人が車窓の下でこんなにいったが、余りに簡単過ぎた。今もそれは半信半疑だ。
高崎では一体の空気が甚く瞼しく、朝鮮人を七八人連れて行くのを見る。救護の人々活動す。すれ違いの汽車は避難の人々で一杯。屋根まで居る。(P50~P60)
碓氷峠の入り口で重要な駅は、松井田駅ではなく横川駅である。このため、ラムザイヤー教授の言うように、朝鮮人が信越線の列車爆破を狙ったとしたら、横川・熊ノ平・軽井沢駅のどれかである可能性が高く、松井田駅である可能性は低い。松井田駅はスイッチバックの駅なので、本線から離れていて、ここを爆破したとしても、信越線本線の運行には関係ない。信越線の爆破を狙うものなら、松井田駅で捕まるようなヘマはしないだろう。
横川・坂本地区は山が迫っていて町が小さく人口も少ないのに対して、碓氷川が蛇行する松井田・新堀地区は人口も多く、朝鮮人も暮らしていたと思う。松井田暮らしの朝鮮人を不逞日本人が襲った事件が起きたのだろう。これが、朝鮮人爆弾犯のように伝えられたとしたら、ありうる話だ。
なお、松井田・新堀地区には戦後になっても朝鮮人が暮らしていた。昭和30年代には、旧松井田駅から徒歩10分ぐらいの碓氷川河川敷に朝鮮人のバラックが立っていたし、昭和40年代には朝鮮人学校に通う中学生を上武大学付属高校の生徒が殴っていたこともあった。上武大学付属高校というのは、最底辺の男子が通う高校で、15時代発信越線下り列車の最後尾車両には、上武大学付属高校の生徒がたむろして、喫煙をしているのが日常の光景だった。最底辺の不良日本人高校生が、在日朝鮮人の子供を襲うのは昭和40年代でも珍しくないことだったので、関東大震災当時に、不良日本人が朝鮮人を殺害することは容易に想像できることだ。
ところで、東京に行った志賀直哉は大手町あたりで若者の会話を聞いている。
「鮮人が裏へ廻ったってんで、直ぐ日本刀を以て追いかけるとそれが鮮人でねえんだ。然しこう云う時でもなけりゃあ、人間は斬れねえと思ったから、到頭やっちゃったよ。」二人は笑っている。関東大震災当時の朝鮮人虐殺の多くは、朝鮮人の犯罪抑止のためではなく、単に人殺しが好きな日本人が、混乱に乗じて人殺しをしたに過ぎないのだろう。人殺し好きは日本民族に流れている血が騒ぐのだろうか。
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