小泉靖国参拝とソ連対日参戦2006年05月14日

日本最悪の日記念封筒

 新聞報道によると、米下院のハイド外交委員長は、小泉が米議会で演説を実現するには、靖国神社を参拝しないことを自ら進んで表明する必要がある、との書簡を下院議長に提出したそうです。

 米国にとってパールハーバーの奇襲攻撃は背信的な犯罪だから、その責任者を英霊として祭っているところに、米議会で演説直後に、小泉が参拝したら、それは、ちょっと立場がないでしょう。米国の懸念も、もっともです。

 日本の若い人の中には、日本とアメリカは昔から友好国だったかのような錯覚をしている人がいます。 戦争末期にソ連が対日参戦し、日本の敗北が決定的になりました。このため、日本の右翼の中にはソ連対日参戦が犯罪でも有るかのような言い方をする人がいます。若い人の中には、ソ連の対日参戦をアメリカも批判しているのだろうと錯覚を起こしている人もいるようです。
 図の封筒は、ソ連の対日参戦を記念して、当時アメリカ合衆国で作られた記念品。ソ連対日参戦とスターリンの判断を肯定的に評価している図案です。

 A級戦犯を合祀している靖国神社に総理が参拝することを、直接批判している国は、今のところ、中国と韓国です。また、ソ連の対日参戦を直接賞賛している国は、ロシアと中国でしょうか。しかし、靖国神社やソ連対日参戦問題がマスコミで大きく取り上げられるようになれば、アメリカやイギリスも日本を批判する勢力に同調することは確実です。
 A級戦犯を犯罪者として処刑したのも、靖国神社の国家護持を禁止したのも、ソ連に対日参戦を求めたのも、すべてアメリカ合衆国です。

コメント

_ はじめまして ― 2006年05月22日 22時52分42秒

私はスターリンは相当な悪党だと思っています。それはロシア人自身が一番痛感していることだろうと思うのです。だからスターリンが日本人にしたことが正義だとは本心からは考えていないと思います。ソ連軍が満州とシベリアでやったことはアレこそ本当の大虐殺であり、絶対に正義とはいえないと思います。北方領土はもともとアイヌ人のものですから、日露が善悪を述べても仕方がありません。私は日本が悪でロシア(ソ連)が正義だったから、今の結果になったとは考えおりません。あくまで力学なのだと考えております。日本が悪かったのだから当然というのではなく、負けたのだから仕方がないというのが私の結論です。それにしてもすたーりんはやりすぎだと思いますが。個人的には現在において最も理想的な国境線は日本が主張しているものであると考えています。なぜなら北方領土と北海道が近すぎるからです。少なくとも歯舞群島と国後島の近さはどうしようもないです。漁業や行政の面で甚だしい面倒があります。スターリンは最初からほんの少しでも日本に華を持たせていたらと思いますよ。日本人がシベリア抑留に文句を言わないこと、北方領土住民を支援したことがあることから鑑みて、日本はロシアに大変な譲歩をしています。ところがロシアはそんな日本を馬鹿にしてカモにしているんですよ。悔しいと思いますね。一時、歯舞群島と色丹島の二島返還の案も出ましたが、あれが国後島と歯舞群島であったならば、日本は飲むべきだと思います。それらのロシア人住民は涙を飲むことになりますが、それはお互い様。将来的なことを考えれば懸命な選択だろうかと考えます。

_ cccpcamera ― 2006年05月23日 13時53分24秒

コメントありがとうございます。
 スターリンの評価はロシアでもいろいろです。スターリンは極端に国家を発展させた指導者なので、光の部分と影の部分が大きく、評価が極端に分かれます。
 スターリンほどではないにしても、KGB創立者のF・E・ジェルジンスキーも評価の分かれる人です。

 ソ連の満州侵攻を、私は肯定的に評価しています。ソ連は中国東北部に侵攻し、中国軍・人民解放軍・抗日戦線と共同して、日本軍を崩壊させました。中国から見たら、悪質な侵略者から中国を解放した協力者です。日本の中国侵略を正義と考える人にとっては、たまったものではないでしょうけれど。

 日本の捕虜に対して、ソ連が行ったことについては、食事が少ないとか、労働が過剰だったとか、そういう言う問題は有りますが、捕虜にすることや、戦争の終結まで捕虜に労働をさせること自体はハーグ陸戦条約の規定に基づいています。
 ソ連が日本人捕虜に対して行ったこと、日本軍が大東亜戦争中に捕虜に対して行ったこと、どちらも虐待が有ったことは確かでしょう。それ自体は、今の考えでは悪いことです。しかし、当時から、そのように考えられていたかと言うと、そういうわけでもありません。

 戦争で日本が負けた理由ですが、日ソ戦だけを見るならば、単に兵力の差だけでしょう。しかし、もう少し広く考えると、単純に兵力差だけでは有りません。独ソ戦でソ連は敗北を繰り返しますが、それを教訓として、その後の勝利に結び付けています。政治・戦略の点で、ソ連は、日独に、はるかに勝っています。この点で、スターリンは評価されるわけです。
 日ソ、どちらが正しかったかと、道徳的・宗教的正義感によって戦争を考えても仕方ないでしょう。しかし、政治・策略・戦略・戦術、このような観点では、日本がダメで、ソ連が正しかったと思います。

 シベリア抑留問題で日本が譲歩したとの主張には賛成しかねます。日ソ共同宣言がどのように行われたのか。日本側全権だった松本俊一の「モスクワにかける虹」が参考になります。このような歴史的経緯・事実を踏まえて、判断するならば、日本が譲歩したとはいえないと思います。なお、この本は、長い間、絶版になっていましたが、数年前に最発行されています。
 また、極東軍事裁判の判決も、ソ連対日参戦を連合国がどのように評価していたかを知る上で参考になります。極東軍事裁判の裁判録は一部が翻訳されて出版されています。2000ページにのぼる本が3冊有るので、読むのが大変ですが、もし、まだお読みになっていないのならば、一度お読みになることをお勧めします。

_ cccpcamera ― 2006年05月23日 18時09分47秒

もう少しコメントします。

>日本が悪でロシア(ソ連)が正義だったから、今の結果になったとは考えおりません。

悪とか正義とかを宗教的、道徳的な問題と考えるのだとしたら、このような結論になるのでしょう。(個人の宗教・道徳の問題です。)

別な観点からも考察が必要です。戦争において、一番悪いのは、無理な二正面作戦です。つまり、二つの戦争を同時に行い、兵力不足で、どちらも勝利することなく消耗することです。日本は、米国と戦争をする一方で、中国大陸で、泥沼の戦争に引きずり込まれました。侵略者として、住民の支持を失っていたことが、不要な出費につながっています。このような戦争をしたのでは、勝利の見込みは乏しいものです。ドイツも日本も最悪な二正面作戦に引きずり込まれたにもかかわらず、米ソはそれを免れたことが重要です。

満州に侵攻したソ連軍は、中国人と一体となって、日本軍を撃破しています。日本は、中国で侵略者として振る舞い、住民の抗日戦線のために、消耗しました。ソ連は、解放者として、住民の支持のもと、有利に戦いました。

日本とソ連の違いを、政治を含めた軍事力の違いだったと説明することも可能です。しかし、侵略者と解放者の違いと見ることも可能です。後者の見方をするならば、日本が悪で、ソ連が正義と言うことも可能です。

なお、ソ連は、中国解放後、1年をたたずして、撤退しました。そのまま居座ったら、日本のように、侵略者になるところだったかもしれません。このあたり、スターリンの政治判断力の勝利です。

_ はじめまして② ― 2006年05月24日 00時53分07秒

日本はロシアに対し、満州・朝鮮・樺太での虐殺を非難することが出来ましたし、シベリア抑留をホロコーストだと糾弾することが出来たはずでした。スターリンの暴虐はソ連人ですら辟易していたわけですから、反論出来なかったはずです。ところが日本は行動しなかった。弱肉強食の観点から言えば、何もかもお人よしの日本が悪いのです。だからこそ私は耐えられないのです。日本人は道徳的であることを強要されてきました。だから過去のことで苦しんできたのです。今になってやっと日本は悪くなかった、だから自虐的になる必要はもうないんだと、言い切りたかったのですが、実はそもそも善悪とか道徳なんて観念に過ぎないのだよ、日本は負けた、単にそれだけ、相手に道徳を求めても無駄。結果が全て、勝てばよい、ずるいほうが得、残酷になりきれないものは損をする、それが現実。そういう結論に達したとき、私の心は張り裂けんばかりなのでした。いったい、いままでは何だったの!と…。日本人はいまだにそのことに気づいていませんが、それに気がつかなかったことによる、損害はあまりにも大きすぎました。

_ cccpcamera ― 2006年05月24日 17時19分08秒

前のコメントで、詳しく書いたつもりなのですが、ご理解いただけなかったようなので、再び説明します。

>日本はロシアに対し、満州・朝鮮・樺太での虐殺を非難することが出来ましたし

 日露国交回復では、極東軍事裁判、サンフランシスコ条約、日ソ共同宣言、この3つが重要です。これらが、どのようなものだったのか、正しい理解が必要です。前のコメントで、その旨、書いたつもりでしたが、ご理解いただけなかったようですので、具体的な参考図書を記載します。実際に非難できたのかどうなのか、容易に理解できると思います。

①極東軍事裁判を知るため
『東京裁判 上巻・中巻・下巻』 朝日新聞法廷記者団/編 東京裁判刊行会(1962)
②サンフランシスコ条約締結の経緯を知るため
『日本外交史27 サンフランシスコ平和条約』 西村熊雄/著 鹿島平和研究所/編 鹿島平和研究所出版会(1971)
③日ソ共同宣言締結の経緯を知るため
『モスクワにかける虹:日ソ国交回復秘録』 松本俊一/著 朝日新聞社(1966.10.15)(2002年に「ゆまに書房」より復刻)

①は極東軍事裁判の弁護側意見・検察意見・判決が示されています。②③は条約交渉担当当事者による回想です。
なお、日ソ共同宣言締結の経緯を知るためには、以下の本も参考になります。
『クレムリンへの使節 北方領土交渉1955-1983』 久保田正明/著 文藝春秋(1983.2.5) 
(日ソ交渉に特派員としてモスクワ、ロンドンに同行した新聞記者の記述です。)


>シベリア抑留をホロコーストだと糾弾することが出来たはずでした。

 ホロコーストとは、ユダヤ教の祭の丸焼きの供物を意味する言葉で、『皆殺し』のニュアンスです。多くの抑留者が帰還を果たしているシベリア抑留をホロコーストと指摘しても、相手にされないでしょう。糾弾するとは、汚い言葉で相手をののしることでは有りません。
 前のコメントでも書きましたが、捕虜を収容し労働に従事させること自体は、ハーグ陸戦条約の規定ですので、批判対象にはなりません。また、犯罪者を拘束し懲役刑にすることも批判対象とはなりません。


>スターリンの暴虐はソ連人ですら辟易していたわけですから、反論出来なかったはずです。

 スターリンを暴虐として、一部のロシア人が辟易していることは事実ですが、だからと言って、第2次大戦の勝利をロシア人が否定的に見ているわけでは有りません。『一部のロシア人が辟易している』からといって、自分がってな、論理の飛躍で『反論出来なかったはず』と、空想しても、意味の無いことと思います。
 なお、シベリア抑留に対して、ロシアがどのように見ているのかについては、以下の本に少し記述がありますので、参考にしてください。著者は、長い間、駐日大使を勤めていた人です。
『不信から信頼へ 北方領土交渉の内幕』 アレクサンドル・パノフ/著 高橋実、佐藤利郎/訳 サイマル出版会(1992.8)


なお、ソ連の対日参戦を、関係諸国がどのように見ているのか、関連諸国の教科書記述を以下に掲載していますので、あわせて参考にしてください。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Rekishi_Kyoukasho/Kyoukasho_Tainichisannsen.htm

_ 右翼的な立場から ― 2012年02月29日 16時00分09秒

「日本の悪事を罰するためだ」などという口実で日ソ中立条約踏み倒しを正当化されたりすると、
私にはそのような国と平和条約を結ぶ意義は薄いと思えてなりません。
もしかして管理人はもしかして「隠れ平和条約不要論者」ですか?

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