トムラウシ遭難考(1)2009年07月21日

先日、北海道大雪山系トムラウシ山で、18人パーティーのうち8人が凍死する痛ましい事故がありました。なぜ、このようなことになるのか、不思議です。ツアー登山に内在している問題というべきなのか、年寄りの身勝手な自己中心的性格というべきなのか、そういうことが、事故を拡大した問題の根底に有るように思います。
このツアーに参加して自力で下山した広島市の亀田通行さんは当時の状況について、16日の早朝に全員が避難小屋を出発してから数時間たったあと、吹きさらしの中で待たされたと証言しました。この中で、亀田さんは「ガイドからの指示がないので、少なくとも小1時間ぐらい耐えていた。そこで震えが始まり、体温低下が始まった」と話しています。また、ほかの複数の登山者も警察の事情聴取に対し「1時間ぐらい待たされ、体力を消耗した。いっしょにいたガイドが何も言わなかったため、みずから下山を促した」と説明しているということです。(7月20日、NHKニュース)
 ちょっと驚くべき証言です。普通の登山パーティーだったならば、生命の危険な人が出たら、リーダーが全員に仕事を指図して、全員が一団となって危機を乗り切ろうとするでしょう。ボーっと突っ立っている人など考えられない。ところが、このパーティーは、ガイドが人命救助に必死になっているとき、メンバーは何もしないで、ただ、寒さで体温が低下するのに任せていた。ガイドから指示が無ければ、何か手伝うことが有るのかを聞くなり、何か出来ただろうに。最低でも、自分が冷えないように、防寒ぐらいするのは、当たり前ではないか。
 『ガイドは、俺の面倒を見ないで、生命の危機に立たされている人を介護しているのはけしからん。人の命よりもオレが快適な旅をすることが大切だ、チクショー!』とでも、怒鳴っているような、そんな印象を受けます。

もっと分らないのは、客の一人で、最後に自力下山した戸田新介氏の証言です。 
1時間半が過ぎた。戸田さんはその場にいた別のガイドに「どうするんだ。様子を見てきてくれ」と頼んだ。しかし、さらに10分が過ぎても何の反応もない。我慢出来なくなった戸田さんは大声で叫んだ。「この事態をどうするんだ。遭難だと認めて救援を要請しろ」すると、北沼付近にいたガイドが戻って来た。「歩ける人は、先に下りてもらえますか」。救援要請は聞き入れられず、違うガイドが先導して先を進むことになった。 (7月20日、朝日新聞)
 「どうするんだ。様子を見てきてくれ」とは、一体何事だ!自分で走ってみてくれば良いのに。戸田新介氏は、何から何まで、ガイド任せにしようとするのは、なぜなのだろう。緊急事態に、自分が何かできれば、手伝えば良いのに。さらに、警察に救援要請をすべきと思うのならば、自分で、警察に状況報告程度のことはすれば良いのに。警察が嫌いならば、ツアー会社に連絡するとか、できることはいくらでも有っただろうに。

 そもそも、携帯電話が使える状態だったのだろうか。この点が大いに疑問です。 
パーティーのツアー客5人が悪天候や疲労で歩行困難となった山頂付近では同行したガイドらの携帯電話が通じる状態だったにもかかわらず、救助要請がないままツアーが続行されていたことが北海道警への取材でわかった。(7月19日、朝日新聞)
 この記事が事実ならば、登山客の誰も、警察に連絡していないということが不思議でなりません。
 山では、携帯電話が通じないことが多く、通じたとしても、尾根の上に出て、思い切り手を伸ばすと、途切れ途切れに通じることがある場合も珍しくありません。遭難でビバークする場合は、なるべく風が当たらない窪地を選ぶので、そういうところは携帯が通じない可能性が高く、ガイドは、ビバークが完了した後に、あたりをさまよい歩いて、何とか連絡をつける場所を探したのではないだろうか。
 登山時の携帯電話の経験と、朝日新聞の記事が異なっているので、不思議です。


 以下は、7月17日に掲示板に書いた記事です。
 ニュース報道によると、大雪山系トムラウシ付近で、18人のパーティーの遭難があったようです。幸い天候も回復し、ヘリを使った大掛かりな救助活動が行われたので…。・・・は何を書けば良いのか、理解に苦しむ遭難です。
 普通、パーティーが遭難すると、全員の生命の安全を考えて、適当な場所を探してそこに停滞(ビバーク)、さらに、救助を求めるために、体力のある何名かが、下山を強行します。ニュースを見ていると、深夜に何名かが下山してきたので、これで全員が停滞している場所が分ったから、あとは救助隊が出動して、遭難騒ぎは終わりだろうと思いました。ところが、おかしなことに、下山した人は、救助隊との緊急連絡におわれるでもなく、さらに、数人が別に下山してきました。何のために下山したの? それに、危険な深夜に、なぜ、バラバラになって下山するの?
   伝えられているところによると、行動途中に、歩けなくなった人が出たら、ガイド1人とともにそこに残して、他のものはそのまま行動。このくりかえしで3人のガイドがいなくなると、他のものは、歩けなくなったものを残して、先に進む。人命よりも、ツアー寛遂を優先しているような不思議な登山です。今後、詳細が明らかになると思いますが、多数の死者を出しながら、生存者が、三々五々、下山してくるのが不思議でなりません。
 ガイドとツアー客とはどのような関係にあるのでしょう。ガイドが意志決定権・命令権を持っているのか、顧客なのか。このあたりが不明確なので、非常時の対応が後手に回るような感じがして、この手のツアーは好きでは有りません。


追記(2009/8/16):
Blogの当初記述では朝日新聞の報道に基づいて書きましたが、戸田 新介様より、『7.20朝日の記事は誤報です。「様子を見てきてくれ」とは言っていません。』とのコメントをいただきました。9番目のコメントです。
 朝日新聞の誤報だとすると、Blogの当初記述『「どうするんだ。様子を見てきてくれ」とは、一体何事だ!自分で走ってみてくれば良いのに。』は、まったく根拠がありません。朝日新聞の誤報ならば訂正します。

コメント

_ 通りすがり ― 2009年07月21日 11時16分23秒

初めから客を批判することが前提だからこういう一方的な記述ができるのでしょう。

あなたの書き込みにはガイド側の非と読み取れる記述が全くありませんがまずそのことが最重要視されるべきだと思いますよ。

客の批判についてはすべてことが起こってからの話です。
そのことを起こした原因や責任スルーしていきなり状況下での客批判を展開されては到底まともな頭の持ち主には思えません。

_ cccpcamera ― 2009年07月21日 12時57分20秒

通りすがり様。

今回のトムラウシ遭難は、今後、いろいろな見地から検証されるべきです。私は、自身、登山をする立場として、登山の安全性、即ち二度と類似事故を起こさない見地からの検証を期待しています。

人命救助には、客もガイドも無く、全員が一致協力して人命救助に当たることが、登山パーティーの最低の常識だと思っています。そうでないパーティーは、登山を禁止して欲しいし、人命救助の気持ちが無くて、『俺は客だぞ』と主張する人は、登山をしないで欲しいと切に願うものです。

今回の事故では、客に法的過失や不法行為があったかどうかといえば、それは無いと思います。しかし、人命救助の現場で、そういう低レベルな考えしか浮かばないような登山パーティーだったとは思っていないし、思いたくも有りません。
今回の遭難も、登山者全員が、一致協力して、それぞれの能力を最大限に発揮して、人命救助に当たったのだろうと推測しています。さらに、登山に参加した人は、全員が、非常に備えて日ごろから知識を蓄えていた人たちなのだろうと、推察しています。でも、報道内容が、私の推測と異なっているので、その点が不思議です。

いずれにしても、人命救助の気持ちが乏しく、『俺は客』だと言い張る人には、登山をして欲しくない、絶対に登山すべきではない、強く主張します。

_ 匿名 ― 2009年07月21日 22時20分35秒

広島市のK氏の証言について、私も激しい動揺をおぼえました。商業ツアーには必ずといっていいほど混じっているこの手のひとが事故をさらに重大な局面に導いたと、そんな気がしています。
当方、関係者です。

_ cccpcamera ― 2009年07月22日 14時14分19秒

匿名様

商業ツアー登山には、どこか危ういものを感じていました。
元記事に書いた内容は、トムラウシ遭難についてですが、同時に日ごろからツアー登山に対して思っていることです。

_ kb ― 2009年07月23日 01時18分22秒

テレビニュースを見ていたら、自力下山された方が、「風が強くて… 女の人なんか抱きついてきて、そんなんじゃこっちも危ないから…」
と言ったことを話されていて、その女の人はどうなったんだろう、と心底ぞっとしました。
その後、そのコメントはあまり流れませんでしたが。

商業的なツアー登山の構造的な問題が起こした極限状況のなかで、人間のすごく醜い部分が出てきてしまったように感じます。

_ cccpcamera ― 2009年07月23日 09時48分36秒

kb様

人は、最後は、自分だけは助かりたいと思うのは当然なので、仕方がない面も有ります。でも、一般に、登山で単独行動は危険なので、協力・協調したほうが、安全性が高くなります。特に、緊急事態の場合は、協力しないと、自分が危険になります。

全員が助かろうと思って最善の行動をした結果が今回の行動だったのか、この点が気になっています。

_ 九州人 ― 2009年07月24日 00時09分00秒

亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
自然を甘く見たと言われても仕方のないような遭難事故でした。
ここまで被害が拡大したのは一つには意思の疎通もほとんでできないような(登山技量も含めて)寄せ集め的なパーティーであったこと。
二つに限られた期間に、限られた山岳を完走しようとする顧客と、それに迎合する(しなくちゃならない]登山企画会社の複合のような気がする。
ガイドも安全よりも企画の方を優先せざるを得なかったんじゃないだろうか?
勇気ある撤退、登る勇気より下山を決断する勇気
登山に限らず撤退の決断は難しいのでしょうね。

_ cccpcamera ― 2009年07月27日 14時03分53秒

九州人さま。

登山客が深夜にバラバラに下山したことが信じられません。体力がある人が数人いて、下山することを決めたならば、一緒に下山すれば良いのに、と考えてしまいます。「意思の疎通もほとんでできないような、寄せ集め的なパーティー」だったのでしょうけれど、皆、日本語が通じるのだから、ガイドがいないと、お互いに協力できないのか、不思議でなりません。

_ 戸田 新介 ― 2009年08月15日 17時48分07秒

自分が発言したところが過って伝えられ、これに基づいて自分に不当な非難が投げかけられているので、まず誤報を正したい。7.20朝日の記事は誤報です。「様子を見てきてくれ」とは言っていません。吉川ガイドに「どうしますか。」と聞き、彼は「様子を見る」とだけ言いました。自分は「素人が口をはさむべきではないかもしれませんが」と言って引き下がったのであります。朝日にも訂正を申し入れてあります。携帯電話は持っていません。だから携帯に関する自分への批判は当たりません。事故後携帯を持つことにしました。全体に対するじぶんのコメントも書きたいと思います。基本的部分で大きな誤解があると思います。

_ cccpcamera ― 2009年08月18日 17時05分43秒

戸田 新介さま。コメントの記載ありがとうございます。

7.20朝日の記事が誤報の件は理解しました。
しかし、「携帯に関する自分への批判は当たりません」との文章の意味は、わかりません。

 マスコミ報道でも、戸田氏自身は携帯電話を所持していなかったと伝えられています。しかし、同行登山客の中に、携帯電話端末を持っていた人がいたのは明らかなのだから、なぜ、借りようとしなかったのか、不思議です。
 電話を借りてまでして、救助要請するほどのことはないと考えた、言い換えると、救助要請はさほど必要ではないと思っていたのか。ツアー参加者は互いに憎しみあっていて、電話を借りられるような人間関係ではなかったのか。通話できる電話がないことを知っていたのか。自分で行動する意思はなく、何でもかんでもガイドに命令しようとしたのか。本当のところは、どうなのでしょう。

 今の中学生以下の世代の人だと、ものごごろついたころには、お父さんお母さんは携帯電話を持っていたと思います。このため、中学生以下の世代の人には、電話を借りるとの発想は湧かないかも知れません。でも、昔は携帯電話は世の中に存在せず、固定電話もお金持ちの家にだけ有りました。このため、緊急の場合は、電話を借りたものです。
 戸田 新介さまは、「携帯電話は持っていません。だから携帯に関する自分への批判は当たりません。」とお書きですが、携帯電話が普及した後の、ずいぶんお若い世代の方ですか?

 ところで、戸田氏がガイドに携帯電話を持っているのかたずねたところ、ガイドは持っていないと答えたとの報道もあります。もし、これが事実とすると、ガイドは、携帯電話端末を持っていたけれど、電話として機能していない(通話圏外である)ので、ガイドは正確な解答をしていると思います。

コメントの受付件数を超えているため、この記事にコメントすることができません。コメントは、http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2009/07/21/4448040 等、別の記事にお願いします。

※コメントの受付件数を超えているため、この記事にコメントすることができません。

トラックバック

* * * * * *

<< 2009/07 >>
01 02 03 04
05 06 07 08 09 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

RSS