大陸命 ― ホームページの追記2011年01月22日

 北方領土問題 関連資料 のページに、終戦期の大陸命を掲載しました。


 日本では、8月15日を終戦記念日と称して、戦没者追悼式を行うが、アメリカをはじめとした戦勝国では9月2日か3日を戦勝の日とすることが多い。戦争を終結させるには、それなりの手続きが必要なので、そのうちのどの日を終戦の日とするのかは、それぞれの国によって違うこともあるだろう。

 日本軍の最高責任者は天皇裕仁だったので、天皇の軍に対する命令が、どのようなものだったのかを見ることが、日本側から見た戦争終結の姿を正しく理解することにつながる。

 『大陸命』とは天皇の陸軍に対する統帥命令。大本営で立案され、参謀総長から天皇に上奏され、天皇の裁可を受けた後、各指揮官に伝達された。


1945/5/9~5/30 
 昭和20年5月、日本軍は対ソ連戦に向けて、戦争準備を行った。対ソ連戦の作戦準備命令関連の大陸命を掲載した。

1945/8/9~8/14
 昭和20年8月9日、ソ連は日本に宣戦布告し参戦した。ソ連参戦以降の大陸命を掲載した。

1945/8/15~8/28
 ポツダム宣言13条では、日本国に対して、ただちに軍隊の全面的な無条件降伏を宣言することが定められている。しかし、日本政府は、日本軍の無条件降伏命令を8月15日以降も出すことなかった。大陸命による停戦命令は以下のようになっており、ポツダム宣言により指示された無条件降伏命令は9月2日の降伏文書調印まで出されていないことが分かる。
 8月15日、各軍は現任務を続行、但し積極進攻作戦を中止する。
 8月16日、即時戦闘行動を停止する、但し止むを得ざる自衛の為の戦闘行動は之を妨けず。
 8月19日、内地の陸軍は、8月22日0時以降一切の武力行使を停止する。
 8月22日、外地の陸軍は、8月25日0時以降一切の武力行使を停止する。但し支那派遣軍は局地的自衛の措置を実施することを得。
 この時期の大陸命を掲載した。

1945/9/2
 この日、降伏文書の調印がなされたが、同日、軍に対して『敵対行為を直ちに終止し、武装を解除』することが命令された。
 日本がポツダム宣言の条項を正式に実施した重要な命令なので、大陸命と大陸指を掲載した。


また、やさしい北方領土問題のページにも、関連する記述を追記した。

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