松代大本営2016年08月17日

 終戦の日にちなんでと言う訳ではないが、松代大本営を見学した。
 戦争末期に日本の敗戦が濃厚となると、徹底抗戦のために、政治の中心機能を松代の地下壕に移すことが計画され、長野県松代に地下壕が作られたが実際に使われることはなく敗戦となった。
 現在、政府機能を移す予定だった「象山地下壕」の一部が公開されている。

  
地下壕だけあって涼しい。象山地下壕入口近くには「もうひとつの歴史館・松代 」があり、写真・パネル・作業に使用した器具などを展示している。この建物には、慰安所の建物に使われていた材木を一部使用しているとのことだ。当時、慰安所は工事指揮者たちが利用する目的で作られ、4人の朝鮮人慰安婦が性行為を強要されていた。
   
 象山地下壕から数キロ離れたところに大本営と皇居が移転する予定地だった松代地震観測所がある。天皇御座所予定地の建物には入れないが、窓越しに内部の様子を見ることができる。
   
 松代大本営のうち、神聖さを保つ必要のある天皇御座所建設には、性交体験のない日本人男子が従事した。
 象山地下壕の建設は西松組などが請け負い、多くの朝鮮人労働者が強制労働に従事した。西松組では十数名の社員と6000人ほどの労働者がいた。十数名の社員は管理・事務を行い、このうちの一人は朝鮮人だったそうだ。このころ、日本人で肉体労働ができる男は軍隊にとられていたので、6000人ほどの労働者のほとんど全てが朝鮮人だった。地下壕の工事は削岩機と発破で行われたので、多くの技能労働者を抱えていた。彼らは、西松組の労働者として、これまでも各地を転々として土木工事にあたっていたものだった。林えいだい/著「松代地下大本営-証言が明かす朝鮮人強制労働の記録」(明石書店)には、西松組社員だった金錫智の証言が記載されている。これによると、岩手県で発電所工事に従事していた技能労働者1000人と労務者2500人が松代に来て地下壕建設に携わったそうだ。
 1000人の技能労働者を強制労働と言うと、語弊があるだろう。2500人の労務者は朝鮮から強引に連れてこられた人たちが多いことと、粗末な食事でこき使われたのだから「強制労働」のニュアンスが強かった。朝鮮人労務者を強制労働にこき使ったのは朝鮮人技能労働者であって、直接日本人が残酷に扱ったわけではないが、日本国の事業として、日本の企業の作業でのことなので、朝鮮人労務者に強制労働させたのが日本であることに変わりはない。
   
 象山地下壕入口や舞鶴山地下壕の案内看板には次のように書かれていた。
「延べ三百万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され」
 この記述に対して、主に右翼勢力がかみついて、いまでは次のように書きかえられている。
「多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています」「必ずしも全てが強制的ではなかったなど、さまざまな見解があります」
   
 右翼勢力がかみついた点は、全員が強制動員だったように読めるとのことだ。西松組の十数名の社員は会社が受注した業務に従事したものなので強制動員とは言えないだろう。朝鮮人労務者は割当人数を供出したのだから強制性を伴った動員であり、当時は徴用と言った。また、天皇御座所建設に動員された男子は学徒動員だったはずで、これは強制動員だった。
 しかし、問題は動員が強制だったかどうかではなくて、労働が残虐な強制労働か否かだ。西松組の社員や技能労働者や学徒動員の生徒たちが残虐な強制労働を強いられていたとは言えない。朝鮮人労務者の場合は、粗末な食事と過酷な長時間肉体労働で逃げることや勝手に休むことは許されなかったので「残虐な強制労働」と言うにふさわしい内容だった。

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