シーボルト展 ― 2016年08月07日
平成天皇 ― 2016年08月10日
今の天皇を「平成天皇」と書いた評論家がいるとかで、ネット上で話題になっている。普通は単に「天皇」というか、今の天皇と言う意味で「今上天皇」と言うかだろう。その場でゴミになる与太者の文章ならば、それで良いだろうが、作家や評論家の場合は、天皇の代替わり以降も文章が残る可能性があるので、「今上天皇」では意味が通じなくなってしまう。「平成時代の今上天皇」では長すぎる。
天皇が死ぬと諡号で呼ばれることが多い。どうして諡号なのだろう。歴史の教科書には「常陽大師」なんて書いてないよね。これ、曹洞宗の開祖・道元のことです。最近では天皇の諡号は元号をつけるので、わかりにくくはないが、それよりも「天皇裕仁」のように普通に名前で書けば良いのに。
歴史の教科書では「徳川家康」「将軍家康」と普通に書いていますが、これって、おかしくないでしょう。戒名で「東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」なんて書いたら誰のことだか分からないし、徳川家康征夷大将軍と書いたら長い。天皇だって「天皇裕仁」「天皇明仁」と書けばいいのに。
天皇が死ぬと諡号で呼ばれることが多い。どうして諡号なのだろう。歴史の教科書には「常陽大師」なんて書いてないよね。これ、曹洞宗の開祖・道元のことです。最近では天皇の諡号は元号をつけるので、わかりにくくはないが、それよりも「天皇裕仁」のように普通に名前で書けば良いのに。
歴史の教科書では「徳川家康」「将軍家康」と普通に書いていますが、これって、おかしくないでしょう。戒名で「東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」なんて書いたら誰のことだか分からないし、徳川家康征夷大将軍と書いたら長い。天皇だって「天皇裕仁」「天皇明仁」と書けばいいのに。
フォーカシング スクリーン ― 2016年08月11日
本の紹介―愛国と信仰の構造 ― 2016年08月14日

中島岳志・島薗進/著『愛国と信仰の構造』集英社新書(2016/3)
戦前、日蓮系から井上日召の一人一殺のテロリズムが起こり、親鸞系は国家神道と結びついた。
本書は、若手政治学者の中島岳志と著名な宗教学者である島薗進の対談。戦前の諸宗教が愛国心を取り入れて全体主義へと向かっていった過程を説明し、昨今の政治と宗教の関係に注意を促している。二人の話はともにわかりやすいのだけれど、対談よりも、それぞれの人がテーマを決めて解説してくれたほうが理解しやすいと思う。
本の紹介‐<独島・竹島>の日韓史 ― 2016年08月15日

保坂祐二/著 『<独島・竹島>の日韓史』論創社 (2016/07)
韓国・朝鮮から見た、鬱陵島・竹島の19世紀以前の歴史を詳細に解説。
6世紀、鬱陵島は新羅に服属し、以降、朝鮮の領土だったが、15世紀には倭寇対策として、空島政策がとられ、居住者はいなくなった。しかし、対馬藩も鬱陵島が朝鮮の領土であることを認識していた。17世紀、鬱陵島で朝鮮人・安龍福が日本人漁民によって捕らえられ、日本に連行されたことがあった。このとき、日本と朝鮮との間で、鬱陵島が朝鮮の領土であることが確認され、日本人漁民が出漁しないことが合意された。
竹島は、鬱陵島から見えるので、鬱陵島とセットでとらえられることが多い。そして、朝鮮でも日本でも、朝鮮と隠岐の島の間には2つの島があることが知られていた。鬱陵島と竹島の領有が異なるとの見解は、日本・朝鮮ともに一度もなかった。
このような理由から、韓国では鬱陵島・竹島ともに歴史的な韓国の領土であると考えている。
本書は、これらの点を、歴史資料に基づき詳細に解明している。日韓両国の資料を元にしているが、韓国側の資料の方が多い。豊富な古文書・文献をもとに、6世紀以降19世紀までの韓国・朝鮮でも鬱陵島・竹島の歴史が詳述されているので、竹島が日韓どちらの領土であるとの見解とは別に、歴史事実を正しく理解する上では大いに参考になる本である。
本書に従えば、竹島が韓国の領土であることに疑いはないだろう。しかし、19世紀以前の朝鮮における竹島領有は現在の国際法における領土の領有と一致するわけではないので、19世紀以前の竹島が朝鮮の領土であったかどうかについては種々の見解がありうる。
松代大本営 ― 2016年08月17日
終戦の日にちなんでと言う訳ではないが、松代大本営を見学した。
戦争末期に日本の敗戦が濃厚となると、徹底抗戦のために、政治の中心機能を松代の地下壕に移すことが計画され、長野県松代に地下壕が作られたが実際に使われることはなく敗戦となった。
現在、政府機能を移す予定だった「象山地下壕」の一部が公開されている。
戦争末期に日本の敗戦が濃厚となると、徹底抗戦のために、政治の中心機能を松代の地下壕に移すことが計画され、長野県松代に地下壕が作られたが実際に使われることはなく敗戦となった。
現在、政府機能を移す予定だった「象山地下壕」の一部が公開されている。
地下壕だけあって涼しい。象山地下壕入口近くには「もうひとつの歴史館・松代 」があり、写真・パネル・作業に使用した器具などを展示している。この建物には、慰安所の建物に使われていた材木を一部使用しているとのことだ。当時、慰安所は工事指揮者たちが利用する目的で作られ、4人の朝鮮人慰安婦が性行為を強要されていた。
象山地下壕から数キロ離れたところに大本営と皇居が移転する予定地だった松代地震観測所がある。天皇御座所予定地の建物には入れないが、窓越しに内部の様子を見ることができる。
象山地下壕から数キロ離れたところに大本営と皇居が移転する予定地だった松代地震観測所がある。天皇御座所予定地の建物には入れないが、窓越しに内部の様子を見ることができる。
松代大本営のうち、神聖さを保つ必要のある天皇御座所建設には、性交体験のない日本人男子が従事した。
象山地下壕の建設は西松組などが請け負い、多くの朝鮮人労働者が強制労働に従事した。西松組では十数名の社員と6000人ほどの労働者がいた。十数名の社員は管理・事務を行い、このうちの一人は朝鮮人だったそうだ。このころ、日本人で肉体労働ができる男は軍隊にとられていたので、6000人ほどの労働者のほとんど全てが朝鮮人だった。地下壕の工事は削岩機と発破で行われたので、多くの技能労働者を抱えていた。彼らは、西松組の労働者として、これまでも各地を転々として土木工事にあたっていたものだった。林えいだい/著「松代地下大本営-証言が明かす朝鮮人強制労働の記録」(明石書店)には、西松組社員だった金錫智の証言が記載されている。これによると、岩手県で発電所工事に従事していた技能労働者1000人と労務者2500人が松代に来て地下壕建設に携わったそうだ。
1000人の技能労働者を強制労働と言うと、語弊があるだろう。2500人の労務者は朝鮮から強引に連れてこられた人たちが多いことと、粗末な食事でこき使われたのだから「強制労働」のニュアンスが強かった。朝鮮人労務者を強制労働にこき使ったのは朝鮮人技能労働者であって、直接日本人が残酷に扱ったわけではないが、日本国の事業として、日本の企業の作業でのことなので、朝鮮人労務者に強制労働させたのが日本であることに変わりはない。
象山地下壕入口や舞鶴山地下壕の案内看板には次のように書かれていた。
「延べ三百万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され」
この記述に対して、主に右翼勢力がかみついて、いまでは次のように書きかえられている。
「多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています」「必ずしも全てが強制的ではなかったなど、さまざまな見解があります」
右翼勢力がかみついた点は、全員が強制動員だったように読めるとのことだ。西松組の十数名の社員は会社が受注した業務に従事したものなので強制動員とは言えないだろう。朝鮮人労務者は割当人数を供出したのだから強制性を伴った動員であり、当時は徴用と言った。また、天皇御座所建設に動員された男子は学徒動員だったはずで、これは強制動員だった。
しかし、問題は動員が強制だったかどうかではなくて、労働が残虐な強制労働か否かだ。西松組の社員や技能労働者や学徒動員の生徒たちが残虐な強制労働を強いられていたとは言えない。朝鮮人労務者の場合は、粗末な食事と過酷な長時間肉体労働で逃げることや勝手に休むことは許されなかったので「残虐な強制労働」と言うにふさわしい内容だった。
毛無峠 ― 2016年08月19日
浅間縄文ミュージアム ― 2016年08月20日
本の紹介-「見えない壁」に阻まれて ― 2016年08月23日

舛田佳弘・他/著・編『「見えない壁」に阻まれて 根室と与那国でボーダーを考える』北海道大学出版会 (2015/7)
国境の町である根室と与那国は政治の問題から海外交流が難しい。本書は与那国と根室について扱っている。
与那国については、台湾との交流をするために町役場の嘱託職員となった研究者の報告。内容は、国境問題や地方自治などではなく、与那国住民との交流や台湾・花蓮市民との交流の話。学者の話なのだから、もう少し学術的内容が多い方が良かったのではないか。この内容ならば、お笑い芸人のレポートの方が面白くて興味が持てる。
根室の話は根室だけで千島に行っていない。「北方領土問題の視点が強い根室市内の観光案内」と言ったところだろうか。
本は70ページ余りと薄いにもかかわらず、根室・与那国と直接関係のない2地点を取り上げているため、内容が薄い。
根室・与那国は国境に接する僻地であるため、取り締まりがおろそかになって密貿易などで栄えたことがある。しかし、合法的な活動で繁栄するためには、どちらも地域の規模が小さすぎる。かつてのように、人の移動が鉄道だった時代ならば、国境の町には何らかのメリットがあったかもしれないが、航空機で海外に行く時代にあっては、国境の町であること自体に取り立ててメリットはないだろう。
本の紹介―稚内・北航路 サハリンへのゲートウェイ ― 2016年08月24日

井澗裕・他/著・編 『稚内・北航路 サハリンへのゲートウェイ』北海道大学出版会 (2016/7)
稚内はサハリンとの国境であり、2005年までは定期航路があった。本書は、国境を接する稚内とコルサコフのの問題を扱う。実際には、稚内とコルサコフの歴史観光案内といった趣の本。最近、社会科の先生を引率とした地方の歴史観光散策が盛んだが、本書はこの稚内・樺太版。
歴史観光ガイドブックとして読むと、それなりに面白い。しかし、国境の町の地域創生・町おこしを考える参考としては物足りない。稚内は人口希薄のため、サハリン観光や貿易の拠点にはなりえないだろう。日本人がサハリンに行くためには、稚内よりも便利な空港を使った方が良いので、人の移動の拠点にもならない。