謹賀新年 ― 2017年01月01日
シベリア俘虜関連資料 ― 2017年01月15日
最近、シベリア俘虜関連資料数点をYahooオークションで落札した。
その中に「小隊員の名簿」があった。(写真のもの)
「我が小隊所属隊員の名簿。帰国時書類は発見されると没収されるという話だったので3部作成して部下の分隊長と手分けして持ったがこの1部だけ無事帰れた。手製のリックサックの縫目に縫い込んで来たので一部擦れて不鮮明な部分がある。欄内の者は新京で編成当時からの部下で欄外は入ソ後我が小隊に編入された者である。」
資料は、千葉巌が作成したもの。
この名簿のうち、右ページ上段枠内の14名を「厚生労働省・ソ連邦抑留中死亡者名簿50音別索引(http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/50onjun/h03/index.html)」で調べると、最初の「高田五郎」が「1945/11/21 ハバロフスク地方・第18(コムソモリスク)収容地区 第893病院」にて死亡埋葬されていることがわかる。しかし、出身地が東京となっていて住所地の秋田とは異なる。また、「中島亨」が「1947/6/6 ウズベキスタン共和国 アングレン墓地」にて死亡埋葬されている。出身地と住所がともに長崎なので同一人物だろうか。それ以外の人は死亡者名簿に記載がないので、残りの12人は無事帰国を果たしたのだろうか。
この資料は、別に欲しくなかったし、史料価値があるのかどうなのかもわからない。
この資料の価値についてわかる人、欲しい人がおられましたら、教えてください。
シベリア俘虜関連資料-陸軍准尉・千葉巌の資料(2) ― 2017年01月16日
最近、シベリア俘虜関連資料数点をYahooオークションで落札した。
その中に「引揚証明書」があった。(写真のもの)
厚生労働省の調査結果では、シベリア抑留者数として次の数値が掲載されている。
(1)旧ソ連地域に抑留された者 約 575,000人(うちモンゴル約 14,000人)
(2)現在までに帰還した者 約 473,000人(うちモンゴル約 12,000人)
(3)死亡と認められる者 約 55,000人(うちモンゴル約 2,000人)
(4)病弱のため入ソ後旧満州・北朝鮮に送られた者等 約 47,000人
http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2009/11/01.html
帰還した者、約473,000人の多くは舞鶴港に上陸したのだから、写真のような書類は相当数が作られたはずなので、珍しいものではなさそうだ。しかし、戦後70年を経過して、いまだに捨てられず残っているものは少なくなっているかもしれない。
その中に「引揚証明書」があった。(写真のもの)
厚生労働省の調査結果では、シベリア抑留者数として次の数値が掲載されている。
(1)旧ソ連地域に抑留された者 約 575,000人(うちモンゴル約 14,000人)
(2)現在までに帰還した者 約 473,000人(うちモンゴル約 12,000人)
(3)死亡と認められる者 約 55,000人(うちモンゴル約 2,000人)
(4)病弱のため入ソ後旧満州・北朝鮮に送られた者等 約 47,000人
http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2009/11/01.html
帰還した者、約473,000人の多くは舞鶴港に上陸したのだから、写真のような書類は相当数が作られたはずなので、珍しいものではなさそうだ。しかし、戦後70年を経過して、いまだに捨てられず残っているものは少なくなっているかもしれない。
シベリア俘虜関連資料-陸軍准尉・千葉巌の資料(3) ― 2017年01月17日
本の紹介ー日本会議の解説 ― 2017年01月18日
「日本最大の右翼組織」「安倍政権を支える国家主義団体」と報じられる日本会議について、最近いくつかの本が出版されている。中でも有名なのは、菅野完の本だ。ここでは、この本以外の4冊を紹介する。
上杉聰/著『日本会議とは何か 「憲法改正」に突き進むカルト集団』合同出版 (2016/5)

タイトルに「カルト集団」とあることからもわかるように、日本会議と諸宗教団体との関係の説明が詳しい。
日本会議が「生長の家」「念法真教」のような新興宗教や神社本庁・仏教系宗教団体などを糾合する形で生まれ、これら諸宗教団体関係者が運動の主体を担っていることを明らかにした後、日本会議の主な活動である「憲法改正」「教科書問題」などへの積極的な関与を明らかにしている。
本書を読むと、日本会議は「おどろおどろしい」団体であって、警戒が必要であることが理解できる。日本会議にはそのような一面があるのだから、この本を読む意義は大きい。しかし、この本だけで日本会議の全体を理解したと思ってしまったら、それは一面的な理解だろう。
日本会議が「生長の家」「念法真教」のような新興宗教や神社本庁・仏教系宗教団体などを糾合する形で生まれ、これら諸宗教団体関係者が運動の主体を担っていることを明らかにした後、日本会議の主な活動である「憲法改正」「教科書問題」などへの積極的な関与を明らかにしている。
本書を読むと、日本会議は「おどろおどろしい」団体であって、警戒が必要であることが理解できる。日本会議にはそのような一面があるのだから、この本を読む意義は大きい。しかし、この本だけで日本会議の全体を理解したと思ってしまったら、それは一面的な理解だろう。
俵義文/著『日本会議の全貌 知られざる巨大組織の実態』 花伝社 (2016/6)

日本会議の出自を宗教系と学者系との2つの側面から解説。さらに、日本会議の活動である「憲法改正」「教科書問題」などへの積極的関与を明らかにする。
この本を読めば、日本会議の全貌が理解できる。しかし、「なぜ日本会議は政権中枢に影響力を及ぼすようになれたか」この点がわからなかった。
この本を読めば、日本会議の全貌が理解できる。しかし、「なぜ日本会議は政権中枢に影響力を及ぼすようになれたか」この点がわからなかった。
青木理/著『日本会議の正体』 平凡社 (2016/7)平凡社新書

日本会議の概要を知るために1冊読むとしたら、本書を第一に薦めたい。文章も読みやすい。この本を読んだ限り、日本会議におどろおどろしさは感じられない。
上杉聰の本などでは、日本会議と宗教系団体との関係が中心に描かれているが、本書では右翼系学者らとの関係も詳しい。日本会議は国政に影響を及ぼす有力団体になっているが、なぜ、そのようになったのか、本書を読むとその答えがあるようだ。
上杉聰の本などでは、日本会議と宗教系団体との関係が中心に描かれているが、本書では右翼系学者らとの関係も詳しい。日本会議は国政に影響を及ぼす有力団体になっているが、なぜ、そのようになったのか、本書を読むとその答えがあるようだ。
山崎雅弘/著『日本会議 戦前回帰への情念』集英社 (2016/7)集英社新書山崎雅弘/著『日本会議 戦前回帰への情念』 (2016/7)集英社新書

本書は、日本会議の思想・政策と安倍政権がそれらを取り入れていることを示すもの。「日本会議がどのような理由で政権に影響を及ぼしているのか」、「日本会議の出自は何か」などについては、詳しくない。
シベリア俘虜関連資料-陸軍准尉・千葉巌の資料(4) 俘虜葉書 ― 2017年01月19日
写真はシベリア俘虜だった千葉巌が差し出したはがきの返信。この葉書を差し出したいきさつについて、以下の説明がある。
『 最初は思想調査に使うのだろうと誰も書かなかったが強制的に書かされたので1回目は仕方なしに「ガンは元気です」とだけ書いて出したが返事が来たので2回目以降は抵抗なく出した。』
シベリア俘虜葉書に関しては、以下のような誤った記述が散見される。
『国際法によって、捕虜が母国に手紙を出すことは認められている。しかし、ソ連がそれを許したのは・・・すべての捕虜が対象ではなく、ソ連側が「優良労働者」などと認めた一部の捕虜たちであった。(栗原俊雄/著『シベリア抑留』岩波新書 2009.9 P137)』
俘虜葉書の差出については「全員差し出せなかった」「全員差し出した」「一部のものが差し出した」など、収容所によってばらつきがあり、一律に「優良労働者」のみに認められたわけではない。(そういう収容所があったかもしれないが。)
実際には、俘虜葉書を出したくない人にも「出せ、出せ」とうるさく言ったようだ。葉書を差し出そうとしなかった理由として、千葉は「思想調査に利用されることを嫌がった」としているが、このほかに「俘虜になったことを知られたくない」「特に書くことがない」などの理由もある。
さて、シベリア俘虜葉書は、1946年11月26日、東京港に入港したスモールヌイ号により届けられたおよそ8万通を最初に、その後も、たびたび到着したので、総数は、かなりの数に上ったと思われる。しかし、市場に残っているものは案外少ない。しかも、ほとんどが往復はがきの往信部であって、写真のような返信部はさらに少ない。返信部は抑留者本人が帰国するときに持ち帰ったものなので、少なくて当たり前だが。