本の紹介ー日中共同研究報告書 2 近現代史篇2019年06月16日


北岡伸一・歩平/編『日中共同研究報告書 2 近現代史篇』勉誠出版(2014/10)
 
 日中共同の歴史研究は以下の経緯で実施された。
 〇2005年4月の日中外相会談において、町村外務大臣(当時)より日中歴史共同研究を提案、翌5月の日中外相会談において、詳細は事務当局間で議論していくことで一致。
 〇2006年10月の安倍総理大臣(当時)訪中の際、日中首脳会談において、日中有識者による歴史共同研究を年内に立ち上げることで一致。同年11月、APEC閣僚会議の際の日中外相会談において、歴史共同研究の実施枠組みについて合意
 〇2008年5月、胡錦濤国家主席訪日時に、首脳間で歴史共同研究の果たす役割を高く評価するとともに、今後も継続していくことで一致。
 
 以上の経緯で出来上がった歴史研究の成果報告書のなかで、本書は近現代史の部分。日本側の見解と中国側の見解がそれぞれ書かれている。
 南京大虐殺の日本側見解は以下のように書かれており、これが、日本の研究のまとめということになる。
 
 中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では二十万人以上(松井司令官に対する判決文では十万人以上)、一九四七年の南京戦犯裁判軍事法廷では三十万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では二十万人を上限として、四万人、二万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。
 日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ、さらに陸軍中央部にも伝えられていた。
 P327
 
 安倍政権はこの研究で、自分の誤った歴史観を押し付けるきっかけを作ろうと目論んだふしがあった。右系の歴史学者を選んだつもりだったのだろうが、まともな歴史学者だったため、でっち上げの歴史捏造を主張することもなく、南京大虐殺については日本軍の行為が事実として認定されている。
 本研究では、日本の極右勢力による歴史捏造は失敗したため、政府主導で始めた歴史研究成果を現政権が顧みることはなくなった。
 
以下、参考のため目次を記しておきます。
 
<近現代史>
総 論
第1部 近代日中関係の発端と変遷
第1章 近代日中関係のはじまり
(日本側)近代日中関係の発端 北岡伸一
(中国側)近代日中関係の発端 徐勇・周頌倫・米慶余
第2章 対立と協力 それぞれの道を歩む日中両国
(日本側)対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真
(中国側)対立と協力:異なる道を行く日中両国 徐勇・周頌倫・戴東陽・賀新城
第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動
(日本側)日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二
(中国側)日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 王建朗
第2部 戦争の時代
第1章 満州事変から盧溝橋事件まで
(日本側)満洲事変から日中戦争まで 戸部良一
(中国側)満洲事変から日中戦争まで 臧運〇  
第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦
(日本側)日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎
(中国側)日本の中国に対する全面的侵略戦争と中国の全面的抗日戦争 栄維木
第3章 日中戦争と太平洋戦争
(日本側)日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄
(中国側)日中戦争と太平洋戦争 陶文釗

 第2部「戦争の時代」は日本が中国を侵略した歴史なので、日本の右翼勢力からしたら、この部分こそ、自分たちに都合の良い記述をしてほしかったところだろう。日本側執筆者の戸部良一は防衛大学校教授、波多野澄雄と庄司潤一郎は防衛省防衛研究所研究員と防衛省のお抱え学者で固めている。
 それでも、事実は事実なので、安倍政権に都合の良い記述にはならなかったのかな。

* * * * * *

<< 2019/06 >>
01
02 03 04 05 06 07 08
09 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

RSS