本の紹介-シオニズム ― 2025年12月23日
鶴見太郎/著『シオニズム─イスラエルと現代世界』岩波新書 (2025/11)
著者は東大准教授で、ロシア・ユダヤ史、シオニズム、イスラエル・パレスチナ紛争などが専門の歴史学者。本書の他にも、ユダヤの歴史を扱った新書には、以下の本があり、こちらの方がより多く読まれているようだ。
ユダヤ人の歴史(2025/1)中公新書
本書は、シオニズムの解説であるが、ロシア帝国のユダヤ人近代史やポグロムの歴史から解き明かし、現代のシオニズムについて説明している。記述の内容や歴史の流れの解説など、基礎知識がない者にとっても、わかりやすい。
第二次大戦期のユダヤ人虐殺ではナチスドイツの犯行とされているが、本書では、別の始点に注目している。P106に以下の記述がある。
「ホロコーストの主戦場が東欧で合った事実は今一度正確に認識されなければならない。…ドイツ単独で多数のユダヤ人を連行することは不可能だった。…現地民主導でホロコーストというよりポグロムが繰り返された例も、今日では多く紹介されている。」
なお、現在、ウクライナ政権が称賛しているバンデラ・ステツコ主義者は、ウクライナでホロコーストに直接協力した人たちだった。
本の紹介―イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国 ― 2025年12月09日
鶴見太郎/著『イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国』 講談社 (2020/11)
著者は東大准教授で、ロシア・ユダヤ史、シオニズム、イスラエル・パレスチナ紛争などが専門。
著者は、最近、中公新書から『ユダヤ人の歴史』、岩波新書から『シオニズム』を上梓している。本書は講談社選書で、新書に比べて学術的な内容のため、読むのが面倒に感じた章もあった。
第一次大戦前、ユダヤ人口が多かったのは、現在のポーランド・ウクライナ・ロシアと、当時のロシア帝国内だった。イスラエルの建国やシオニズムなど、イスラエルの好戦的姿勢には、これら旧ロシア帝国内ユダヤ人ポグロムが関与しているのだろう。この点、ユダヤ人は気の毒ではあるが、自分たちが残虐行為を受けたからといって、無関係なアラブ人に残虐となって良いとの理屈は成り立たない。イスラエルの残虐性の原因がどこにあるのか、本書を読んでも、良く分からなかった。
ところで、旧ロシア帝国内にユダヤ人が多かった原因として、本書では、ドイツからの移住者を理由に挙げている。南ウクライナのユダヤ人は、トルコ系ハザール人起源とする説もあったが、これだとイスラエル建国の根拠がなくなるので、この説はイスラエルが否定している。本書で触れられていないところを見ると、科学的に否定されているのだろうか。
東京国立博物館 ― 2025年11月16日
本の紹介―新・古代史 ― 2025年10月15日
NHKスペシャル取材班/著『新・古代史: グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権』(NHK出版新書 735)(2025/1)
最新の日本古代史知識の現状が新書にまとめられている。
弥生時代後期の卑弥呼から古墳時代初期の雄略天皇までの日本史。卑弥呼の時代は魏志倭人伝に記述があるが、いまだに邪馬台国がどこにあったのか、あるいは、卑弥呼は日本書紀の記述と関係があるのか、わかっていない。また、4世紀の日本については中国の文献にもなくて、詳しいことはわかっていない。
本書は、このような日本史の現状を説明するもの。日本が、中国・朝鮮と交流を持っており、日本史は、東アジアの国際情勢と関係があるので、当時の中国・朝鮮の状況に関する記述もある。
本の紹介-南京事件 (岩波新書) の続き ― 2025年09月24日
本の紹介-南京事件 (岩波新書) の続き ― 2025年09月20日
現在、中国が作成した、日本軍による南京大虐殺事件を扱った映画『南京写真館』が、日本を除く世界各国で上映され、興行的成功を収めている。
日本では、頭の悪いネット右翼が流行っていて、南京大虐殺を否定する人たちがいる。この人たちは、『南京事件は東京裁判のでっちあげで、事件当時どこも報道していなかった』などの、虚偽を信じ込んでいる人もいるようだ。笠原十九司/著『南京事件 新版』 (岩波新書)(2025/7)には、153-155、159、197-199頁で、事件当時広く報道されていた事実を明確にしている。ただし、頭の悪いネット右翼は、岩波新書のようなまともな本を読んで理解することは困難だから、本書は虚偽を信じ込む人に役に立たないかもしれない。
千葉県佐倉市の歴史民俗博物館の展示品に「南京事件を報じる記事 LIFE」があり、誰でも容易に見学できるので、ネット右翼でも、史実を容易に理解できると思うのだが、彼らがどうしてここまで無知なのか理解できない。
日本軍による南京大虐殺を伝える「LIFE 1938/1/10」の表紙
国立歴史民俗博物館の解説
ただし、国立歴史民俗博物館では、日本軍の残虐を示すページではなくて、南京から船で脱出する住民の写真のページを展示している。日本軍の残虐を示すページは、あまりにも生々しすぎるので、展示がはばかられたのだろう。
これが、LIFE誌の日本軍の残虐を示すページ。写真には英語の解説がある。このような内容。
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(左上写真の解説)
南京の民間人が、極度の悲しみに暮れながら、日本軍の爆弾の破片で負傷した瀕死の息子を抱えている。これは12月6日、日本軍の隊列が市の高い古城に迫る直前の出来事だ。門の内側に築かれた土塁に注目してほしい。この写真のような、約15万人の南京市民が、南京に留まった約27人の白人男性によって非公式に組織された「安全地帯」で、包囲の間ずっと身を潜めていた。このうち18人はアメリカ人だった。日本軍は、この安全地帯をある程度尊重した。
(左下写真の解説)
南京市内で日本軍は、兵士と民間人を50人ずつ縛り上げ、処刑した。上の遺体は、死後しばらく経っている。手前の男たちの頭上に電柱と電線が横たわっているのが見える。背景の日本兵は、荷馬車を使って主に食料を求めて商店を組織的に略奪している。南京での組織的な略奪は、日本軍兵站部が威信よりも食料を必要としていたことを示している。
(右下写真の解説)
反日主義者の中国人の首は、12月14日、南京陥落直前、南京郊外の有刺鉄線のバリケードに挟まれていた。12月12日に日本で陥落が祝われた南京では、13日、14日、15日と征服者たちの砲火が浴びせられ続けたが、この首は凍えるような寒さの中、状態を保っていた。16日、上海の日本軍報道官は「南京が完全に静かだとは言えない。おそらくあと2、3日かかるだろう」と認めた。
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本の紹介-南京事件 ― 2025年09月18日
笠原十九司/著『南京事件 新版』 (岩波新書)(2025/7)
現在、中国が作成した、日本軍による南京大虐殺事件を扱った映画『南京写真館』が、日本を除く世界各国で上映され、興行的成功を収めている。
本書は1997年に出版された同名の本の改定新版。写真の右が新版で、左が旧版。
新版は、旧版比べて、章立てが変わっているが、内容的には大きな違いはない。旧版Ⅴ章が、Ⅵ,Ⅶ,Ⅷ章になり、内容も増えている。ここは、南京掃討作戦による日本軍の残虐行為を資料に基づき説明する部分。
本書は、一般向けに書かれた本で、予備知識なしに、南京大虐殺事件の全貌が理解できる。新版の方が、新たな知見も加わっているので、新版を読んだ方が良いだろう。
当時、南京は中国の首都で、外国人ジャーナリストも多かったので、白昼堂々と行われた日本軍の犯行は、世界に広く知れ渡ることとなり、日本は国際的な非難を浴びた。しかし、日本は国内での報道を禁止したため、多くの日本人には知られることはなく、日本国内では、武勲を喜ぶ民衆であふれた。
南京大虐殺の犠牲者数は、数万から40万と諸説ある。これは、南京の範囲をどこに定めるのか、時期をどのように定めるのか、何を以て虐殺犠牲者とするのか、という問題があるので、研究者によって犠牲者数が違ってくる。現在、南京市の範囲は、南京城内を含む南京特別区域、六合区、浦口区、江寧区、溧水区、高淳区であるが、本書では、南京の範囲を、現在の南京市に加えて、句容市を含めている。これは、当時の南京市の範囲である。南京大虐殺事件の期間として、本書では、1937年8月15日の海軍航空隊の南京爆撃を起点とし、1938年3月28日の中華民国維新政府樹立までとしている。南京大虐殺犠牲者数は、およそ20万人あるいはそれ以上としている。
南京大虐殺事件の犠牲者数に関して、まともな研究者の中で、少ない人数を挙げているのは、秦郁彦/著「南京事件」であるが、これに対して、本書は、日本人研究者の中では多めの犠牲者数になっている。
日本では、ネット右翼など、頭の悪い人たちを中心に、南京大虐殺を否定する人たちがいる。歴史の無知によるデタラメ言説であるが、このような虚偽に対して、本書の帯には、以下の説明があり、読書に便利である。
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南京事件Q&A
・南京事件は東京裁判のでっちあげで、事件当時どこも報道していなかった。
⇒報道されていました。本書153-155、159、197-199頁参照。
・南京入城後ののどかな写真や映像が残されている。
⇒プロパガンダです。検閲もありました。本書81、236頁参照。
・日本軍は規律正しい軍隊だった。
⇒軍紀違反が横行していました。本書68-70、241、242頁参照。
・殺害されたのは便衣兵で問題ない。
⇒捕虜や投降兵を殺害しています。「便衣兵」の認定にも何重もの問題がありました。本書104、152、196-198、256、257頁参照。
・当時、南京には20万人しかいなかった。
⇒20万人は南京城内の安全区の人ロです。被害のあった南京市全体の人ロではありません。本書200、270頁参照。
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本の紹介-現代史の起点 ソ連終焉への道 ― 2025年09月12日
塩川伸明/著『現代史の起点 ソ連終焉への道』 岩波書店 (2025/7)
ゴルバチョフのグラスノスチ・ペレストロイカによって、ソ連は崩壊し、冷戦はソ連の完全敗北で終結した。
本書は、ロシア・ウクライナ史の大家・塩川先生の近著で、ゴルバチョフ期の政治史を詳細に記す。政治の動きの他に、経済状況にも言及はあるが少ない。政治に関しては、ソ連中央の他に、各共和国のや東欧諸国の政治への言及もある。学術研究書ではなくて、一般向けに書かれているようで、出展等には多くはない。
本書は、全11章のうち、最初の2章はゴルバチョフ時代以前のソ連政治を記すが、ここは、予備知識の確認程度の内容で、記述のメインではない。3章以降がゴルバチョフ期の政治史で、内容は高度なので、ソ連政治やゴルバチョフ時代の政治に対する予備知識がないと、読むのはつらいと思う。また、本書は、政治史が記述のほとんどで、経済は少なく、また、民衆に対する記述はほとんどないので、この点の予備知識がないと、なんとなく消化不良の感があるかもしれない。
本書は、塩川先生の著書らしく、記述の内容は客観的・高度で信用できると思う。
本の紹介-増補 南京事件論争史 ― 2025年08月26日
笠原十九司/著『増補 南京事件論争史』(2018.12)平凡社
最近、櫻井よしこ氏が「南京大虐殺はわが国の研究者らによってなかったことが証明済みだ」との発言をしたそうで、南京事件がちょっとした話題になっている。「南京大虐殺はなかった」との主張は、神主・フィクション作家・ギャグマンガ家などによってなされたことがある。邪教・フィクション・ギャグは、真実を語るものではないので、「無かった」と主張があっても良いように思う。
では、史実はどうだったのか。本書は、近現代史が専門の笠原十九司によるもので、各人の主張を比較検討し、「南京虐殺なかった」説は史実に反することを明らかにしている。本書は2007年に出版された本の増補改訂版。
(以下は、2019年に書いた記事の再掲です)
2007年は「南京虐殺がなかった」とする説の破綻がほぼ確定的となった年だった。「南京虐殺なかった」説を唱える人は、匿名の怪しい人、神主、ギャグマンガ家など、歴史学者でない人たちが多かった。そうした中、亜細亜大学教授・東中野修道は「南京虐殺なかった」説を唱える歴史学者として脚光を浴びていた。しかし、東中野修道の南京事件研究にたいして、名誉棄損であるとの訴えがなされ、2007年に下された判決では「学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」との理由で、東中野修道に損害賠償支払いが命じられた。
亜細亜大学教授・東中野修道の「南京虐殺なかった」説の手法は、彼の嫌う資料の中に、少しでも疑問点があると、それを誇張して、すべての資料が虚偽であるかのように吹聴し、彼の妄想が真実であるとの主張をするものだった。本書においても同様な指摘がなされている(P245)。また本書に指摘はないが、東中野修道の説は写真の検証に対する無知が露呈するなど、致命的な欠陥が明らかになり、東中野修道説は破綻した。
本書は2007年に出版された本に加えて、それ以降の状況が加筆されている。第7章「2007年」から第9章「2010年代後半」まで、ページ数にして74ページになる。
「南京虐殺なかった」説の破綻が歴史学上は明白になった後、2007年以降は、自民党政府、特に安倍政権による、強引な政治介入の時代になった。南京大虐殺をモチーフとした映画を上映禁止としたり、教科書検定で政治介入するなど、政治主導による南京虐殺否定論がすすめられている。
さらに、日中両国政府主導で実施された、北岡伸一・東大名誉教授らを中心とした日中歴史共同研究の成果の中で、日中共に南京虐殺を史実として認定されると、これを無視する態度をとるなど、明白となった史実を無視する傾向が続いている。
このような右翼・自民党に対して、南京事件の真相解明の研究も進んでいる状況が示されている。
なお、東中野修道が南京事件論争から退場した後、立命館大学名誉教授・北村稔が「なかった」派の論客となったと思っていたのだが、彼の言説も否定されたようだ。現在は、評論家の阿羅健一が論客のようだ。歴史学研究として南京虐殺が認定された後でも、評論ならば妄想でも何でもありなので、評論家ではちょっね。
p325~p330に南京事件否定派が通州事件へシフトしているとの記述がある。通州事件とは、日本の傀儡政権に雇われた中国人が反乱を起こして、麻薬密売関係者等、日本人・朝鮮人を殺害した事件であるが、大日本帝国政府は、歴史全体を見ることなしに「中国人が日本人を殺した」として、敵愾心を煽り立てるのに利用した。
日本軍は阿片を中国に密売して戦費を調達していたため、害毒の大きいケシの新種改良が行われた。現在、東京都薬用植物園では、このケシを見ることができる。美しい花で、一見の価値があります。5月中旬が見ごろです。
旧版については、以下に感想を書きました。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2008/01/06/2548242
通州事件については以下に解説を書きました
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2018/07/29/8928254
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2018/08/06/8934331
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2006/09/10/518422
東京都薬用植物園のケシの花の写真はこちら
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2010/05/16/
本の紹介-歴史のなかの貨幣 ― 2025年08月22日
黒田明伸/著『歴史のなかの貨幣 銅銭がつないだ東アジア』(岩波新書)(2025/3)
中世日本では、独自貨幣を発行せずに、渡来銭が使われた。江戸時代になって、寛永通宝の時代になると渡来銭の使用はなくなったが、かつて大量に使用されたため、現在でも残存数は多い。
本書は、唐代以降、東アジアにおける貨幣製造と利用に関して、詳しく書かれている。寛永通宝以降の日本と、清朝以降の中国については詳しくない。
貨幣は銅あるいは銅合金なので、銅の生産が貨幣製造のカギを握る。10世紀ごろまで、中国では酸化銅鉱物が銅材料だったが、11世紀以降は銅硫黄鉱物を銅材料として使えるようになり、銅生産の増大をもたらした。このことが、渡来銭においても、北宋銭が主流である要因になっている。300年ほど遅れて、日本でも銅硫黄鉱物が利用できるようになると、日本の銅生産量が飛躍的に増大た。日本独自の貨幣鋳造がなされていない時代には、銅は輸出に回されたものも多いが、私鋳銭も多く作られたはずで、できの悪いのは鐚銭として区別できるが、できの良いものは、中国官鋳銭との区別は難しい。
また、鋳造の流動性を向上させるためには、純銅ではなくてスズあるいは亜鉛合金とする。しかし、日本では、かつてスズの生産が乏しかったので、純銅に近いものがあり、鋳つぶれを起こした鐚銭の多数残存している。
このほか、本書では撰銭と撰銭禁止令についても詳しく書かれる。明の撰銭は、青銅色の宋銭を評価し、新しく作られた硬化を下等に評価したそうだ。上手に宋銭を私鋳して、数年かけて古色を付ければ、それなりに儲かるような気がする。日本の撰銭では、永楽通宝が高評価される地域が合ったので、明の撰銭とは価値観が違うようだ。




