サンフランシスコ条約11条の訳語-「裁判」とは何か「判決」とは何か2005年09月21日

 今年の5月頃、靖国問題に関連して、サンフランシスコ条約11条の訳語の可否が議論されたことが有ります。常識的に考えて、日本の外務官僚が単純な英語の翻訳ミスを犯すとは考えられないし、この問題に関して議論になったときの政府の説明は、常に一貫していたので、これまで、この問題を気にしたことはありませんでした。ところが、最近、右翼的経済人の解説を読んで、唖然としたので、サンフランシスコ条約11条の訳語を数回に渡って取り上げます。

今回は、「裁判」とは何か「判決」とは何か。

最初に、サンフランシスコ条約11条の冒頭部分を掲載します。

(英語)Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and…

(日本語)日本国は,極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し,且つ…
 

東急エージェンシー社長だった前野徹氏の著書「新歴史の真実」のP52,P53に以下の記述があります。

*************
 実は日本語で「裁判」と訳されている個所は、英語では「Judgment」です。いうまでもなく、これは「判決」であり、「裁判」ではありません。だが、どういうわけか、日本の官僚による訳文では「裁判」にすり替えられています。あたかも、裁判全てを受け入れたかのような表現になっているのです。何かの作為が働いているとしか考えられません。
*************

 前野徹氏は扶桑社からも何冊か出版している、右翼的経済人です。

 あまりにもレベルの低い誤りに唖然とします。ここでは、サンフランシスコ条約11条の意味内容には立ち入ることなく、日本語の「裁判」と「判決」はこの場合、ほとんど同じ意味であって、前野氏の言うように「すり替え」ではないし、特に「何かの作為が働いている」わけでもないことを説明します。

 法律用語では、「裁判」とは裁判所や法廷の意味ではなく、判決・命令・決定を合わせて裁判といいます。このため、サンフランシスコ条約11条のjudgmentの訳語を「裁判」「判決」どちらにしても、基本的に同じ意味になります。

 もう少し詳しく説明します。まず、一例として、交通違反を犯したときのことを考えてください。たいていの場合、以下の4種類になるでしょう。
①軽微な違反のときは、反則金の支払い。
②ほんの少し重い違反のときは、書類送検の後、不起訴(起訴猶予)。
③少し重い違反のときは、書類送検の後、簡易裁判所で略式命令。
④重い違反のときは、書類送検の後、裁判所で公判が開かれ、判決が下る。

  ①②は司法手続きは行われていませんので、裁判はありません。③は略式命令なので、裁判ですが、判決ではありません。④は裁判で、判決です。このように、③④を合わせて裁判といいます。裁判には、判決・命令のほかに決定もあります。つまり、裁判のほうが判決よりも広い概念です。命令・決定と判決の違いは、訴訟法上の司法手続きの違いです。(詳しくは、刑事訴訟法43条~45条などを参照してください。)

 極東軍事裁判所では判決が下りました。このため、サンフランシスコ条約11条の指すjudgmentが極東軍事裁判所の判決のことであるならば、judgmentを「裁判」「判決」どちらに訳しても同じ意味になります。しかし、日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷に「判決」のほか「命令」があるならば、サンフランシスコ条約11条のjudgmentsは「判決」と訳すと正確さを欠くことになります。このため「裁判」と訳すことが正解なのかもしれません。

 なお、1971年6月17日「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)」第5条でも、英文のjudgmentsは日本文では裁判となっています。

最後に、広辞苑の裁判の説明を掲載します。
〔法〕裁判所・裁判官が具体的事件につき公権に基づいて下す判断。訴訟法上は、判決・決定・命令の3種に細分。

 たとえ虚偽を吹聴するいいかげんな著書であったとしても、せめて広辞苑ぐらい調べて欲しい。


補足:
 1971年沖縄返還協定第5条4項です。

4. Japan may continue the execution of any final judgments rendered in criminal cases by any court in the Ryukyu Islands and the Daito Islands.

 この、final judgments は日本文では「最終的裁判」です。この訳語が「最終判決」だと、ちょっと困ったことになります。重い犯罪者は裁判で判決が下されるけれど、科料や低額の罰金程度の軽微な犯罪だと、裁判所の略式命令で済まされることが多いと思います。命令は判決ではないので、「final judgments」が「最終的判決」になっていたならば、軽微な犯罪だった場合、罪がなくなってしまいます。「最終的裁判」だと、略式命令も含まれるので、罪を免れなくなります。

 ということで、judgmentの訳語は、裁判・判決ともに正解、むしろ裁判が正解の場合が多いと言うことになるでしょう。
 英和辞典を幾つか調べてみると、一般用は、最初に「裁判」次に「判決」となっているものが多く、学習辞書は最初が「判決」になっている場合が多いようです。

(反論・意見は歓迎しますが、刑事訴訟法44条も読んでないような低レベル反論はご容赦ください。)

コメント

_ にお ― 2007年06月20日 03時40分03秒

こんばんは。
刑事訴訟法44条について、確認したいのですが
HPによって内容が違うようなので、Web検索では不足
でしょうか?
また刑事訴訟法で、東京裁判について説明できるのでしょうか?
各国の法律用語との整合性も見る必要はどうでしょうか?

そもそも、今頃ここにコメント入力しても平気なのでしょうか?
ルール違反でしたら申し訳ありませんでした。

_ cccpcamera ― 2007年06月20日 11時00分37秒

 日本の法律の条文を知りたいときは、六法全書を調べます。刑事訴訟法のようなポピュラーな法律は小六法にも、当然、掲載されています。三省堂の模範六法も良いと思います。これらの本は、ご自宅にお持ちの人も多いと思いますが、お持ちでなければ、近所の公立図書館には有ると思いますので、そちらでご利用ください。

>刑事訴訟法で、東京裁判について説明できるのでしょうか?
 できないでしょう。
 
 司法制度を学ぶ場合、日本の大学では、刑事訴訟法か民事訴訟法を最初に学ぶと思います。私も、日本の大学でしか勉強したことがないので、司法制度を理解する上での基礎知識として、刑事訴訟法・民事訴訟法になります。
 にお様は、外国の大学出身ですか。もし、そうならば、そちらで学ばれたことを基礎知識として、東京裁判を理解されればよろしいかと思います。

なお、日本語の法律用語を知るために、有斐閣の法律用語辞典を使っています。

_ 関野 通夫 ― 2008年10月18日 13時17分30秒

失礼ながら、この筆者は語学と国際契約、条約にどのくらい詳しいのか疑問に思います。英和辞典ではなく、英英辞典を引き、可算語と非可算語での意味の違いを、
契約、条約における単語の意味を厳格に解釈する必要性を、そしてフランス語、またはスペイン語(英語とともに、サンフランシスコ平和条約の正文)を読んでみてください。裁判などという訳或いは解釈は全く可能性がありません。そのくらいの学識がなければ本件を論じる資格がないことを自覚してください。

_ cccpcamera ― 2008年10月20日 15時37分15秒

関野通夫さま。

 サンフランシスコ条約の翻訳・解釈は西村熊雄・下田武三氏らが中心になっています。このような人たちの正しい解釈に対して、ろくな知識もない右翼の論客やギャグ漫画家、作家などがデタラメを吹聴しました。
 西村熊雄・下田武三氏など、そうとうたる人物の解釈を、評論する能力は私にはありません。私の記述は、これら政府説明をやさしく解説し、極端に知識が乏しい右翼の論客やギャグ漫画家、作家などの説明の誤りを指摘したものです。

 「英和辞典ではなく、英英辞典を引き」とお書きです。当然ですが、このBlogの記事を書く前に、OEDで用語を調べていますよ。いくらなんでも、当たり前ではないですか。ただし、法律や条約の正しい理解に、これらの辞書はあまり役に立ちません。専門の辞典が必要です。日本の法律用語を知るためには、有斐閣の法律用語辞典をお奨めします。英米法律専門家の友人はいないので、Blogでは深入りしていません。
 広辞苑やコンサイス英和辞典を持ち出したのは、右翼の論客・ギャグ漫画家、作家などの知識が、あまりにもあきれた低能なので、それを揶揄するためです。
 考えても見てください。「OEDを調べれば分るのに、ギャグ漫画家はOEDも調べられないのか!」と書いたところで、当たり前すぎて面白くないでしょう。気持ちとしては「小学生用国語辞典を調べれば分ることが、右翼の論客は分っていない」と書きたかったのですが、そういう主張ができる小学生用国語辞典が見つかりませんでした。


関野通夫さまは書きました。
>裁判などという訳或いは解釈は全く可能性がありません

私は元記事に書きました。
>刑事訴訟法44条も読んでないような低レベル反論はご容赦ください

関野通夫さまは、刑事訴訟法44条を読まれた上で書いているのでしょうか?もし、既に読まれた上で、このような誤った記述をされたのでしたならば、刑事訴訟法46条をお読みください。次のように書かれています。
『第46条 被告人その他訴訟関係人は、自己の費用で、裁判書又は裁判を記載した調書の謄本又は抄本の交付を請求することができる。』
サンフランシスコ条約11条で言う『裁判』とは、裁判書あるいはその内容のことです。裁判所あるいはその審理と混同しないように。

_ cccpcamera ― 2008年10月22日 09時03分09秒

上記コメントの追記です

 仏文だと「Le Japon accepte les jugements prononc s par ...」と「prononc(言い渡し)」が付いているので、「jugements」は一般用語の裁判のことではなくて、一般用語の判決のことであるとの説明がなされることがあります。これは、正しい説明です。
 しかし、仏文を持ち出すまでも無く、日本語でもこのことは明らかです。日本語文では、「極東国際軍事裁判所…の裁判」と書かれているので、法律用語の裁判であることは明白です。法律用語の裁判は、一般用語の裁判のことではなくて、一般用語の判決に近い意味なので、仏文も日本語文も同じ意味です。

 なお、「極東国際軍事裁判所の裁判=極東国際軍事裁判所の判決」なので、「極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」と訳しても、「極東国際軍事裁判所の判決、並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」と訳しても、どちらでも良かったのですが、日本の条約文は前者になっています。
 右翼の論客、ギャグ漫画家、右翼作家などは、どうも前者の訳が嫌いなようなので、彼等が仲間内で、後者の訳を使っても、よろしいでしょう。何も違わないのだから。

_ cccpcamera ― 2008年10月29日 19時15分10秒

<参考になる政府の国会答弁>

参議員予算委員会 平成10年03月25日

○政府委員(竹内行夫外務省条約局長) サンフランシスコ平和条約におきます用語の問題に関しまして御答弁申し上げます。
 確かに先生おっしゃいますとおり、英語文でジャッジメントという言葉が使われておりまして、これを通常は裁判という文言を当てる場合と判決という文言を当てる場合がございますけれども、いずれの場合におきましても特段の意味の差があるとはこの場合におきましては考えておりません。
 この極東国際軍事裁判所の裁判を例にとりますと、裁判の内容、すなわちジャッジメントは三部から構成されておりまして、この中に裁判所の設立及び審理、法──法律でございますけれども、侵略とか起訴状の訴因についての認定、それから判定、これはバーディクトという言葉を使っておりますけれども、及び刑の宣言、センテンスという言葉でございますけれども、こういうことが書かれておりまして、裁判という場合にはこのすべてを包含しております。
 平和条約第十一条の受諾というものが、単に刑の言い渡し、センテンスだけを受諾したものではない、そういう主張には根拠がなかろうと言わざるを得ないというのが従来政府から申し上げているところでございますことは、先生も御承知のとおりでございます。


衆議員予算委員会 平成18年02月14日

○麻生国務大臣 極東軍事裁判所の裁判を受諾したということであります。
 ジャッジメンツの話を言っておられる方もよくいらっしゃいますけれども、これは、ジャパン・アクセプツ・ザ・ジャッジメンツと書いてあって、その後、アウトサイド・アンド・インサイド何とかとずっと文が出ていますので、B級戦犯、C級戦犯含めまして、複数の裁判所の決定に皆従うという意味で、ジャッジメンツというぐあいに複数になっているというように理解するのが正しい英語の理解の仕方だと存じますので、裁判所の判決ではなくて裁判を受諾したというように、サンフランシスコ講和条約第十一条はそれを意味しているものだと理解しております。

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