トムラウシ遭難考-遭難のマナー2009年08月16日

 2009年7月16日、北海道大雪山系トムラウシ山で、ツアー登山パーティー18人のうち、8人が遭難死亡する、痛ましい事故がありました。このパーティーは危機に直面したときに、全員が人命救助を優先させようとしたのか、疑問です。

 トムラウシでは2002年7月にも同様な遭難がありましたが、このときは、遭難者を横目に、平然とやり過ごした他の登山者のマナーが批判されました。『羽根田治/著 ドキュメント気象遭難』は、この事故を含めて、いくつかの気象が原因の遭難事故を調査し、まとめたものです。この本のあとがきに、登山者のマナーに対して以下の記述があります。
 ひとつ気になったことがある。"登山者の無関心さ"についてだ。そこに亡くなっている人がいるのに、あるいは今まさに死に直面している人がいるのに、「力になれないから」「救助隊に任せて」と言って知らん顔でその場を素通りしていく登山者というのは、いったいなんなのだろう。本書の取材を進めていくうちに、そういう登山者が少なからずいることを知り、正直言って驚いた。
 都会では、行き倒れたホームレスに人々がまったく関心を示さないことが、以前から問題になっている。今、それと同じようなことが山で起こっているという。登山者のモラルも地に落ちたものである。
 山で困っている人がいたときに、自分のできる範囲でなにかしてあげようとするか、あるいは無視して通りすぎるか。問われているのは、救助できる技量・体力があるかないかという問題ではない。人としての心があるかないかだと思う。(羽根田治/著 ドキュメント気象遭難 あとがきより)
 2009年7月16日のトムラウシ遭難では、他のパーティーは関係ありませんでした。しかし、遭難している事実認識が、パーティーのメンバーによって異なっていたのではないだろうか、疑問です。つまり、だれそれとだれそれが遭難したけれど、自分は遭難していない、との意識があったのではないかと思えるような節があります。
 登山は気心の知れたメンバーで行うとの常識があったため、メンバーに病人が出た場合は、当然に登山は中止するか、パーティーを登山続行と病人看護の2つに分けるか、どちらかだろうと思っていました。でも、今回、遭難したパーティーはツアー登山と言って、まったく知らないもの同士をツアー会社が集めて、旅行スタッフが引率する形式です。個々のメンバーは金を払って登山旅行を提供されているのだから、他のメンバーに病人が出ても、あずかり知らぬところ、病人だけをツアーから排除すればよいということになります。病人だけが遭難者で、他のメンバーは遭難していないとの意識が生じても不思議はありません。病人は遭難者なのだから、ツアースタッフが遭難と認めて、警察に救助を求め、警察に何とかさせればよく、健康な人は遭難と関係ないので救助作業を手伝う必要はない、との意識が生じる可能性があります。普通の添乗員付き旅行は、そういうものなのかもしれませんが、登山は危険を伴うので、全員が協力しないと、健康な人も危なくなるのではないだろうか。何より、安易に救助を求めることになります。救助は、関係者が命がけで行うものなので、安易に救助を求めることを前提とした登山は、決して行ってほしくないものです。

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