志賀義雄の墓は東京多磨霊園にあります。
1963年、部分的核実験禁止条約が米・英・ソ連の間で締結され、大気圏内での核実験が禁止された。同年、日本もこの条約に加盟した。核兵器開発を急いでいた中国の北京指導部はこの条約に反発。日本共産党宮本派は、北京に追従して、日本での条約締結に反対した。日本共産党内の、志賀義雄を筆頭とする人たちは、宮本路線に反対し、部分的核実験禁止条約に賛成、宮本共産党と決別して「日本のこえ」を結成した。「日本のこえ」に参加したものは、志賀義雄のほかに、鈴木市蔵・神山茂夫・中野重治がいる。