外務省から回答いただきました2010年04月26日

外務省から回答いただきました。
「J字の矢印および8.27は引き返した日付」との回答いただきました。
 あまりにも、ずさんな見解に驚きます。

 ソ連が北千島を武装解除するのに立ち会った、水津満少佐の証言では、8月27日に引き返したとなっています。水津は新知島に立ち寄った後に、ウルップ島を一周して引き返したとしていますが、新知島に立ち寄った日付を明らかにしていませんでした。

 1991年にソ連が崩壊し、これまで秘密だった資料が公開されるようになると、ボリス・スラビンスキーの研究により、水津満少佐の証言には誤りがあることが明らかになっています。水津の乗せられた警備艦ジェルジンスキー号は8月27日には新知島に上陸し、28日にウルップ島に到達、その後帰還しています。
 平和祈念事業特別基金「戦後強制抑留史」で中山隆志は、新知島に立ち寄った日付を8月27、ウルップ島を8.28~31としています。

 水津満少佐の見解は、たとえ誤りではあったとしても、日本政府はそれに固執しないといけない理由があるのです。
 日本の領土要求の根拠の一つに、「当時、ソ連もはっきりと千島列島を得撫島以北と考えていたために、はじめは択捉島以南の諸島を占領する意思のなかった(われらの北方領土1992年以前の版)」との説明をしています。このため、引き返した日付が8月27日と言わないと、これまで嘘をついてきたことになってしまいます。

水津満少佐の証言関連の説明を以下に書いていますので、ご覧ください。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Hoppou3.htm

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