日本原電2013年04月25日

 
敦賀市の日本原電2号機直下の断層を、規制委は活断層と判断するようです。日本原電1号機は老朽化しているので、この原発は廃止になるのだろうか。写真は、PR館から見た日本原電2号機と1号機。左側のドームが1号機で、右側が2号機だと思う。その後ろにある白い円筒は解体される「ふげん」。


で、話は、変わって。
昨日のTBSニュースで、南大隅町の森田町長が、最終処分場などの核関連施設誘致活動をする権限を民間人に委任していたとの報道があった。これって、東京千代田区のオリエンタル商事・原幸一氏ですよね。これまで、何度も報道された名前なのに、ニュースでは、なぜ、匿名なのだろう。

屈辱の日2013年04月27日

 
 4月28日はサンフランシスコ条約が発効し、日本の占領統治が終了したので、記念式典が行われるようです。
 1947年9月、昭和天皇・裕仁は、自分(あるいは自分の子孫)の保身のために、GHQに対して、沖縄は米軍の自由勝手にすることを求めました。沖縄を犠牲にしたことが、天皇制が維持されている唯一の要因ではないけれど、その後、沖縄は、米軍の自由勝手にさせられる運命になり、いまだにそれが継続している面があります。

なお、昭和天皇・裕仁の要望に対して、W.J.シーボルトは、以下のコメントをしている。
It will be noted that the Emperor of Japan hopes that the United States will continue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus, a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest.
  
 
 沖縄の運命は過酷だったけれど、本土も、安保条約により、米軍が、日本のあらゆる場所を、自由に使えるようになりました。これほど、主権が制限された国は、あまり無いのではないだろうか。
 
 1960年、広範な反安保闘争を押し切る形で、岸内閣は、安保条約の強化をねらった新安保条約を締結しました。写真は、この時、発行された記念切手。日米修好100年を記念するとの建前ではあるが、実際には安保改定を記念するものだったため、発行には強い反対が起こり、写真のように、黒枠で囲み、反対の意思を表した封皮も作られました。日米修好条約は、典型的な不平等条約であり、改定に苦労した経緯があるのに、記念切手発行を強行するのも、当時の岸内閣の傲慢な態度です。
(1960年の安保改定は、日米同盟が強化され日本が米国の世界戦略に巻き込まれ易くなったとの考えと、これまでの不平等条約が、形式的にせよ、一部、双務的で平等な条約になったとの見解があります。)

えとぴりか2013年04月29日

北方四島交流事業に使われる「えとぴりか」が東京湾に入港したので、見学。
えとぴりかは、普段は根室港にあって、根室と北方四島の間を航海しているので、東京で見る機会はめったにない。東京に来る前は、大分・徳島に寄港。4/30に出港して、根室に帰るのだとか。
  
  
新橋から「ゆりかもめ(電車の名前)」に乗って、国際展示場正門へ。
  
  
すぐそばの埠頭に、「えとぴりか」が係留されていた。
  
  
操舵室と船長。普段、室内では帽子をかぶっていないのだけれど、ちょっとポーズを取ってもらいました。
 
 
  
ロシア人が日本に来るときにも使われるので、ロシア語表示もあります。
水はヴォーダ、お茶はチャイ。
  

    
客室は、一番大きいのが8人部屋。2人、4人部屋が多いように感じた。結構大きな船だけれど、客は80人程度だとか。年寄りが乗るので、ある程度ゆったり作らないといけないようです。
 
 
  
  
この船で、日本から北方四島に行くのは、年寄りが多いけれど、北方四島から日本に来るのは、若い人が多い。根室は、寂れてしまって、高齢化が進んでいるけれど、北方四島は、ロシアの投資が盛んで、若い人で活気にあふれています。活気にあふれた町を捨てて、過疎で寂れた町に返還を望む人がいるのだろうか。
  

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