本の紹介-北方から来た交易民 絹と毛皮とサンタン人 ― 2015年06月16日

佐々木史郎/著『北方から来た交易民 絹と毛皮とサンタン人』NHKブックス(1996/6)
江戸時代、アムール川流域に住む人たちを「山丹人」と言い、樺太アイヌを介しての彼らとの交易を「山丹交易」と言った。本書は、いわゆる山丹人の人々、明との関係、ロシアとの関係、清との関係、樺太アイヌを介しての日本との関係など、山丹人の民族誌。このほか、樺太アイヌにも触れられている。
博物館には、山丹服と言われる江戸時代に伝わった満州服が展示されていることがあるが、この、山丹服が、山丹交易によってもたらされたものの一つである。山丹服を見る機会は少なくないが、山丹交易について書かれた本は少ない。本書はNHKブックスの性格上、一般読者を対象としたものであるため、出典などは詳しくはないが、山丹人について詳細な状況が示されるなど、内容は深い。文明開化前の北方諸民族について、ややもすれば、未開で遅れた原始人であったかのようなイメージが持たれるが、そのような誤った認識は本書で一掃される。
著者は、間宮林蔵の著書を随所で参考にしている。間宮林蔵と言えば、間宮海峡の発見者として有名であるが、著者は、この件に関しては、否定的。
「樺太調査に関しては、彼と共に調査に従事した松田伝十郎のほうがより大きな業績を残している。樺太と大陸の間の海峡を確認した最初の日本人は伝十郎の方であ る。(P25)」「林蔵の海峡発見は実は伝十郎に案内されたもの(P25)」」
本の紹介-琉球独立論 ― 2015年06月19日

松島泰勝/著『琉球独立論』バジリコ (2014/7)
琉球独立論を唱えることが、悪いことだとは思わないが、当面、可能性があるとは思えない。
2013年、龍谷大学経済学部教授・松島泰勝らは、琉球の独立を前提として、琉球独立に関する研究・討論を行う「琉球民族独立総合研究学会」を設立し、琉球独立の啓蒙活動を行っている。本書は松島泰勝の琉球独立の理論的裏付けを与えるもの。
本書は、3部に分かれる。
第1部は琉球の歴史の簡単な解説。元々、琉球は独立国であって、江戸時代は薩摩の支配を受け入れていたが、独立を失っていたわけではなかった。明治になって、日本に武力併合された。
本書の琉球史解説部分は、ページ数の関係で、内容が薄いと感じる面もあるが、簡潔にまとめられ、琉球史全体が見渡せるように書かれている。読んでおく価値はある。
第2部は琉球独立論の正当性の説明。
琉球独立は正当であるとの論は理解できる。しかし、それは一面そうなのであって、別の面からみたら独立しない方が良いとの論も成り立つだろう。独立しないことは誤りで、独立が正しいとまでは、思えなかった。
第3部は独立の方法論。
もし、沖縄県民の圧倒的多数が独立を志向しているならば、ここに書かれた論も、ある程度現実的なのかもしれない。しかし、現在、沖縄県民の中で、独立を志向する世論は圧倒的に少数派だろう。琉球独立への道で、第一にしなくてはならないのは、独立の世論を盛り上げることだ。本書には、そのことへの言及がほとんどなかった。これでは、空理空論ではないか。
本-セルデンの中国地図 ― 2015年06月22日

ティモシー・ブルック/著, 藤井美佐子/訳 『セルデンの中国地図 消えた古地図400年の謎を解く』太田出版(2015/3)
あまり、興味を持てなかったが、読んだことを忘れないように、書いておく。
セルデンとは16世紀から17世紀のイギリスの歴史学者・政治家。本書は、セルデンが大学図書館に寄贈した1地枚の中国地図をめぐる話。この地図は、漢字表記の中国・周辺地図だが、南シナ海を中心に絵がいており、他の中国地図と比べ異色。しかし、この地図が後世の地図作成に影響を及ぼしたこともなく、また、現在の領土問題に使用されていることもないなど、社会への影響を及ぼしていない。
以下の10章からなる。
目次 序文
第1章 この地図の何が問題なのか?
第2章 閉鎖海論
第3章 オックスフォードで中国語を読む
第4章 ジョン・セーリスとチャイナ・キャプテン
第5章 羅針図
第6章 中国からの航海
第7章 天円地方
第8章 セルデンの地図の秘密
エピローグ 安息の地
沖縄慰霊の日 ― 2015年06月23日
23日は沖縄慰霊の日。
1945年6月23日、日本軍の敗北が必至の事態に及び、日本軍司令官・牛島満は、勝手に責任を放棄して、無責任な自殺。このため、現地停戦が不可能な状況となり、多くの沖縄住民を死に追いやることになりました。6月23日は、沖縄住民が見捨てられた日なのに、どういう理由で、この日が慰霊の日なのか、疑問でした。
写真は、摩文仁の丘頂上付近に立つ慰霊碑。沖縄住民を戦争犠牲者として慰霊するのではなく、日本のために命を投げ出した英霊として奉慰・顕彰する目的に感じます。
この碑を見ていると、6月23日は、もう一度戦争するとき、多くの沖縄県民が、犠牲を喜んで受け入れるための日であると感じます。
1945年6月23日、日本軍の敗北が必至の事態に及び、日本軍司令官・牛島満は、勝手に責任を放棄して、無責任な自殺。このため、現地停戦が不可能な状況となり、多くの沖縄住民を死に追いやることになりました。6月23日は、沖縄住民が見捨てられた日なのに、どういう理由で、この日が慰霊の日なのか、疑問でした。
写真は、摩文仁の丘頂上付近に立つ慰霊碑。沖縄住民を戦争犠牲者として慰霊するのではなく、日本のために命を投げ出した英霊として奉慰・顕彰する目的に感じます。
この碑を見ていると、6月23日は、もう一度戦争するとき、多くの沖縄県民が、犠牲を喜んで受け入れるための日であると感じます。
祝:ロシア、サケ・マス流し網漁禁止法 ― 2015年06月25日
ロシア上院は、ロシア排他的経済水域でのサケ・マス流し網漁を禁止する法案を可決したとの報道がある。今後、大統領の署名を経て、法案が成立する予定。法案が成立すると、日本漁船も流し網漁が禁止されるため、混獲による環境破壊に多少の歯止めがかかる可能性があり、たいへんに喜ばしい。
1989年には、南太平洋で長さ2.5キロを超える流し網を禁止するウェリントン条約が成立し、1991年には、国際連合総会において、公海上における大規模流し網操業禁止が決議がなされている。
本の紹介-日米開戦の正体 ― 2015年06月29日

孫崎享/著『日米開戦の正体―なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか』祥伝社 (2015/5)
1941年12月8日、日本は真珠湾を攻撃し、日米戦争が始まった。日本には、アメリカ首都を占領し、アメリカを占領統治する計画はなかった。ちょっと叩けば、アメリカ国民に厭戦気分が生じて、降参すると思ったとしても、アメリカ国民に厭戦気分を作り出すためのアメリカ世論工作をする気もなかった。負けるために戦争をしたわけではないだろうに、いかなる理由で、無謀な開戦に突き進んだのか。
本書は、綿密な資料分析を元に、日米開戦に至った経緯を明らかにしている。
Amazonをみると、いろいろと詳しいレビューがあり、いまさら私が感想を書くまでもないように感じるので、目次のみ書き留めておく。
序章:なぜ今、真珠湾への道を振り返るのか
第1章:真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか?
第2章:真珠湾攻撃への一五九日間
第3章:真珠湾への道は日露戦争での“勝利”から始まっています
第4章:進みはじめた真珠湾への道―日露戦争後から柳条湖事件直前まで
第5章:日本軍、中国への軍事介入を始める
第6章:日中戦争突入、三国同盟、そして米国との対決へ
第7章:米国の対日政策
第8章:真珠湾への道に反対を唱えていた人たち
第九章:人々は真珠湾攻撃の道に何を学び、何を問題点と見たのか
第十章:暗殺があり、謀略があった
本の紹介-樺太・千島考古・民族誌 1 ― 2015年06月30日

馬場脩/著『樺太・千島考古・民族誌 1』 北海道出版企画センター(北方歴史文化叢書)(1979/3)
馬場脩は、明治末から昭和初期にかけて、千島や樺太などで考古学調査を行い、北方地域の考古学研究の先鞭をつけた研究者。
本書は、馬場脩の幾つかの論文をまとめたもの。この中に、北千島・占守島の3回にわたる発掘調査の記録がある。
目次とページを記す。
異例の石器時代遺跡函館住吉遺跡に就いて 7
北千島占守島に於ける考古学的調査報告 33
北千島占守島の第二回考古学的調査報告 67
第三回北千島占守島の竪穴発掘 109
アイヌの土鍋に就いて 114
占守島の最近の竪穴と今次の発掘 120
北千島樺太の考古学的調査 131
日本北端地域のアイヌと煙草 135
千島に於けるアリュート族 148
樺太アイヌの穴居家屋 182
占守島及川第十号竪穴出土の繊維性遺物 199