トムラウシ遭難考-戸田新介氏2009年08月18日

 2009年7月16日、北海道大雪山系トムラウシ山で、ツアー登山パーティー18人のうち、8人が遭難死亡する、痛ましい事故がありました。一般に、この手の事故では、生存者はあまり語りたがらないことが多いのですが、今回の遭難では、生還した戸田新介氏がマスコミにいろいろと当時の状況や、自身の見解を述べています。戸田氏の他に、前田氏・亀田氏・野首氏らの証言も知られています。このような証言は、事故を解明し、今後の事故防止に重要です。ただし、警察の捜査中という事もあり、ガイドの証言が、あまり分っていません。

インターネットページには、報道や証言をまとめて、現時点で分っているところを、まとめている有用なページがいくつかあるようですが、以下のページはその中でも、一番良くまとめられています。
http://subeight.files.wordpress.com
 注)私のBlogは事故概要をまとめたものではなくて、事故に関して私が思うところを書いているものです。

上記、インターネットページに『戸田新介様のご意見』が記載されています。
http://subeight.files.wordpress.com/2009/07/document.pdf
この、戸田新介様と、今回のトムラウシ遭難で生還した戸田新介氏は同一人物なのか、別人なのか、私にはわかりませんが、ここに記載された意見は、遭難に対する一つの意見として参考になります。一部を引用すると以下のように書かれています。
自分は停滞の時間を2時間と見ています。会社は30分としたいのだと思います。この時間が自分は低体温症に次々とかかった原因だと思っています。会社はそれを避けたいのでしょう。今まで元気であった人が風と雨のもとで休んでいるつらさは動いている人からは分からないかもしれない。そして少しでも調子が悪かった人から低体温症にかかったと思います。7人は死ななくてよかったのにと思います。ガイドはケアなるものに熱中していたのです。ガイドは全体の安全を考えるという1番重要な任務を忘れていたのだと思います。自分は初めからこのことは言っています。待機すれば彼女が回復するとおもったのでしょうか。出発から何度も繰り返して、ついに彼女が眠り込みそうになりあわてたのでしょう。自分は何が起こっているのかはよく分からなかったが、自分が叫ばなければ彼女が冷たくなるまで停滞したかもしれません。見殺しにすることは忍びないとガイドは言っていたと社長は言う。この場合についてなのかはわからないが、ことは同じだと思います。これが言い訳になると思っているのでしよう。ガイドの任務はそんなところにはないと思います。冷徹に全体の安全を図ることだけをかんがえるべきです。しかしかれらはこの点で何もしなかったと言えると思います。故障者のケアなるものに取り紛れて全体の安全をまったく考えなかったと思います。頭を使えと言っているのです。

 これまでの登山の常識とはかけ離れた意見のように感じます。
 登山メンバーの中に遭難者が出た場合、全員が、その能力に応じて、人命救助に最大限の努力をすべきであることは、人間として当然の責務です。
   数人で登山をしているとき、パーティーのメンバーに何らかのアクシデントが起こったとします。たとえば、一人が岩場から転落して、崖下に、血を流して倒れているようなことは、まれに起こります。起こってはいけないことですが。このようなとき、メンバーに、岩登りの技量があるものがいたら、遭難者の所に下りてゆき、人命救助のための応急処置を図るでしょう。その間、岩登りの技量の無いメンバーは、遭難救助のサポートに全力を尽くします。登山技量は人によって違うので、ほとんど戦力にならない人がいることもあるかもしれませんが、それぞれ、できる範囲で全力を尽くします。上から見た感じ、ほぼ確実に事切れているだろうと思っても、一縷の望みを託して、人命救助に最大限努力することは言うまでも有りません。『どうせ死ぬから、救助隊を要請して、自分たちは登山を続けよう』などと考える人は、普通の登山者には絶対にいないでしょう。遭難者が出た場合、1%でも生存の望みがあるならば、生存のため、全力を尽くすことは登山パーティーの最低の責任で、人間としての当然の責務です。
 戸田新介様の文章はどのような状況での記述なのか詳細は分りませんが、一般に生存の可能性がほんの少しでもある場合に、『冷徹に全体の安全を図ることだけをかんがえるべき』などと平然と言い放つのは、人間の仮面をかぶった鬼畜の言い分に感じます。

 なお、多田ガイドは他の登山客を待たせているとき、動けなくなった石原大子氏・植原鈴子氏を北沼南部のビバーク地点に一人で背負って移動させ、そこでビバークさせていました。植原鈴子氏は残念ながらお亡くなりになりましたが、石原大子氏は翌日救助され無事生還を果たしています。
 北沼のビバーク地点(2地点)でお亡くなりになったのは、登山客3人とガイド1人です。残された遺族の悲しみは、想像も出来ません。ガイドだけではなく、一部同行登山者も必死になって助けようとしたけれど、その甲斐空しくお亡くなりになりました。寒い中、皆に打ち棄てられて死んだのではないことが、遺族にとっては、唯一の救いでしょう。どうして、『冷徹に全体の安全を図ることだけをかんがえるべき』などと、平然と書く人がいるのでしょう。このような意見だとしても、もう少し違った書き方も有るだろうに。
 http://subeight.files.wordpress.comは、今回のトムラウシ遭難が良くまとめられており、その点は評価できるのだけれど、こんな意見をコメント無しに掲載しているところが、情けなくなります。

 ところで、『今まで元気であった人が風と雨のもとで休んでいるつらさは動いている人からは分からないかもしれない』と書いてあるけれど、これは、どういう意味なのでしょう。遭難事故現場を想像すると、書かれた意味が、私には理解できませんし、同じ状況に自分が置かれたとき、このようになることは考えられません。目の前に、低体温で寒がって異常をきたした人がいるんですよ。普通に、人間の心があるならば、何とか助けたいと思うでしょう。必死で手足をさするとか、自分の持っているコンロ(ストーブ)でお湯を沸かして飲ませるとか。休んでいる余裕は無く、体を動かさなくてはならないので、それだけで体がホテッテくると思います。
 「異常をきたしているなど知らなかった」「手伝いを求められなかった」。後になって、そのように言うことは十分可能で、実際にそうだったかもしれないし、法的には、それで十分でしょう。人命救助の介護を自主的に手伝った登山客が1名存在したことが知られています。他の人はどうしていたのでしょう?
 体が弱くて、そういった作業が出来ない人もいるかもしれません。でも、寒いのが分っているならば、なぜ、余分に服を着ないのでしょう。雨が降っていて雨具を脱ぐのが嫌だった可能性が有ります。でも、数人の人がいるんですよ。ビニールシートか何かで、雨をよけるようにすれば、余分に着ることは十分に可能だったはずです。風が強くてシートが広げられないならば、人が並んで風除けになるなど、何か出来たはずです。他人のためには指一本動かさないとの信念の人が、固まっていたのでしょうか? それより何より、じっとしていて寒いのならば、ラジオ体操でもして、体を動かせばよいのに。

 登山とは、山を歩くものだけれど、昼食のときは停滞するし、その他、休憩時に停滞することは当然です。長めの休憩で体が冷えるならば、ウエアーを余分に着ることは、当たり前です。停滞していると体が冷えてどうしようもない状態になっているということは、著しい装備不足で、既に遭難必至の状況です。
 ガイドが登山客を待たせた場所は、滑落・転落・雪崩・落石などの危険性が無い安全な場所です。雨が降っていた・風が吹いていた・気温が低かったなどの理由をあげる人がいるかもしれません。でも、こんなの、田舎のバス停は、どこでも似たような状況です。

 と言うことで、この文章、実際にその現場にいた、赤い血の通った人間が書いたものとはちょっと考え難いように感じます。遭難から無事生還した戸田新介氏とは別人が書いているのではないだろうかと想像しています。

また、戸田新介様の意見では、以下のようにも書かれています。
この文書では2人のガイドの言っていることだけが実質上問題であるが、斐品氏の言が客観性を装うために利用されている。斐品氏の言がなければ2人のガイドだけのいわば「言い訳」に過ぎないとみなされるのを防ごうというのでしょう。だから修飾物ははずしてかんがえればよいと思います。幸い斐品氏の言はガイドたちの言とは関係のないところを述べているだけで、斐品氏の言を外しても差しさわりがないようです。

 『この文書』とは、アミューズ・トラベルの見解『トムラウシ山の遭難事故の経過について』のことで、旅行会社が事故関係者・遺族に遭難事故の経過を説明したものです。
 かけがいの無い肉親を失った遺族が一番知りたいことは、肉親の死亡状況はどんなものだったかということでしょう。旅行会社はこの点を誠心誠意、遺族に明らかにする責任があります。北沼の2箇所のビバーク地点でなくなった登山客は3人で、この人たちの様子は多田ガイドが見ているので、会社側の説明は多田ガイドの説明に沿っています。下山途中に亡くなった4名については、死亡状況をガイドは見ていません。このため、会社の説明では、登山客の一人である斐品氏の言を引用しているのでしょう。
 下山途中で亡くなった4名の遺族の方々にとって、一番重要な部分は、斐品氏の言であることに、間違い有りません。

   戸田新介様の見解は、『2人のガイドだけのいわば「言い訳」に過ぎないとみなされるのを防ごうというのでしょう』と、死者の遺族に対する思いやりの微塵のかけらも見えない、自己中心的解釈です。さらに、『斐品氏の言を外しても差しさわりがない』とは、遺族の心の傷に塩を塗りこむかのごとき文章に感じます。戸田新介様の自己中心的利益のためには、『斐品氏の言を外しても差しさわりがない』と考えたのかもしれませんが、もしそうならば、『自分の利益には関係ない』と書けばよいのに。

コメント

_ しびっく ― 2010年06月26日 19時11分58秒

一般的に生還者は余程の勇気がなければ表に出て来ないものです。
戸田様は勇気を持って証言されています。
辛い気持ちでいる当事者の言に嘘や偽りはないと存じます。

_ cccpcamera ― 2010年06月27日 08時43分27秒

しびっく様

一般論としては、ご指摘のとおり「辛い気持ちでいる当事者の言に嘘や偽りはない」ことが多いと思います。
しかし、世の中にはいろいろな人がいるのだから、実際はどうなのか個々に検証する必要があります。

『トムラウシ山遭難事故調査報告書』によると、松本ガイドの状態に関しては、戸田証言が正しくなかったことを医学的に証明しています。

なお、トムラウシ山遭難事故調査報告書のなかに書かれている、男性客Cの言動を考えると、嘘や偽りはないと頭から信じてはいけない理由もありうるような気もします。

_ 元アミューズ社員です。 ― 2010年07月25日 14時17分19秒

犠牲者には気の毒に思いますがただ運が悪かった。アミューズ社の実態を知っていればとても参加しようとは思わないだろう。世間的にガイドはプロと思われているようだが道を知らないタクシードライバーがいるようにピンからキリまである。アミューズの幹部はガイドの肩書きこそあるものの実は素人であり、山の事はよくわかってないのである。すでに10年以上前になるが私が会社の安全対策のずさんさに「ご意見申し上げ」た事があったが当時専務の松下氏は「事故起こしてもいいんだそのために弁護士雇ってんだから」と豪語していた。人の命など何とも思ってないのである。戸田さんには勇気を持ってこれからも発言して欲しい。そして会社の刑事責任の追求につながれば幸いである。

_ cccpcamera ― 2010年07月27日 13時21分23秒

元アミューズ社員さま、コメントありがとうございます。

ご記入の意味が分からない点があります。
 ガイドにはピンからキリまでであるということは当たり前です。
 道を良く知らないタクシードライバーは、公的資格(運転免許証)を持っているので、タクシードライバーとしては全く問題ありません。東京で数十年のキャリアのあるタクシードライバーが、別の地でタクシー運転手をしても、何の問題もありません。
 トムラウシ遭難の添乗員は、社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドで、国家資格である旅程管理主任者資格を持っていました。しかも経験豊富であるので、ガイドとしてはピンにあたります。

 アミューズ社の役員が「事故起こしてもいいんだそのために弁護士雇ってんだから」と豪語していたとのことですが、弁護士と顧問契約していたのならば、立派な会社です。一般論から言えば、旅行業は法令を順守する必要があるので、弁護士にお願いして法令順守を図ることは、会社として優れた行為です。事故の恐れがあっても、法律上・判例上・社会通念上、許容範囲内に収めようと、弁護士を含めて検討することは、決して批判すべき行為ではありません。

 弁護士とは国家資格を持った、優れた、有能な、法律の専門家です。やくざの用心棒とは全く異なりますので、誤解なきようにお願いします。

_ sivbikku ― 2010年08月02日 23時03分11秒

昔の検事は闇米は食わぬと云い、餓死して世間で笑われたものです。
しかし高度成長期に突入し、検事の報酬が安い為に組織暴力団にヘッドハンテェングされ高い報酬で弁護士に鞍替えするものもいました。
同様に警察官もいました。
お金の力は恐ろしいものです。
他人の命ですから痛くも痒くもないのでしょう?
それよりお金なんでしょう?

_ (未記入) ― 2022年10月17日 19時27分39秒

弁護士雇っているから事故を未然に防ぐ努力を怠っても良いのですか?そのような会社が立派な会社とは言えないと私は考えます。
眼の前で困っている人がいれば助ける。これは確かに心がけとして美しいものではあると思います。がこれはあくまで他者を助ける余裕があれば、の話。山というのはそのような人情を理解してくれるほど優しいものではないと思います。
どのようなときでも全体の安全を考えることが結果として犠牲者を減らすことに繋がります。仲良しごっこで全滅しては元も子もないでしょう。
確かに公開されている戸田氏の文書が実際トムラウシ山遭難事故の関係者であるかは第三者には判断できるものではないかも知れませんが、それを鑑みてもネット上に公開されている戸田氏の意見は至極真っ当なものであると考えます。
周りの助かるかもわからない人を助けるために我が身を差し出せなどと当事者の事情も知らず言い放つ人のほうが私にはよほど鬼畜生の類に思えますね。

_ (未記入) ― 2022年10月17日 19時34分25秒

10年以上も前の記事に今更何を、と自分でも思ってしまいますがあなたの記事は、そしてあなたの言葉は私の目にあまりにも自分勝手に映り憤りを抑えずにはいられなかったのでコメントさせていただきました。
私の意見が荒唐無稽だと言うのならどうぞ公開して晒し者にしていただいて結構です。あなたがあなた自身の考えを正しいと本気で思っておられるのならコメント、ひいてはあなた自身への批判を承認せずもみ消してしまう必要などないでしょうから。

_ cccpcamera ― 2022年11月02日 10時56分56秒

 10年以上前の記事ですがコメントありがとうございます。
 元記事を書いたときは、わからないことがたくさんあったので、通常考えられる推定をもとに書きました。その後、いろいろと明らかになるので、その場合はその時に修正すればよいと思っていました。
 
 しかし、残念ながら、この事故の続報はほとんどありません。ツアー会社や関係者が不起訴となったとのネットの書き込みを読んだことがあります。もし、不起訴ならば、刑事的には罪に問われる責任はなかった、ということです。ただし、旅行は完遂しなかったので、旅行代金の払い戻しはあったはずです。ツアー客は明らかに損害を受けているので、責任按分の損害賠償の支払いがあった可能性も高いと思います。しかし、民事裁判等の報道はなくて、私には何もわかりません。
 なお、ツアー会社はトムラウシ事故後も営業を続けていたが、その後、海外ツアーで事故を起こして、それをきっかけとして会社はなくなったはずです。

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