島根県「竹島問題研究会」2013年08月02日

『竹島初記載の地図発見=1760年代、日本領示す-島根県』
との、新聞記事があるけど、ちょっといい加減すぎる。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013080100687
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013080202000148.html
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130801/art13080119410007-n1.htm
http://www.asahi.com/national/update/0801/OSK201308010054.html

 報道されている地図は、長久保赤水によるもので、新聞記事では分かりにくいが、地図には、朝鮮半島の一部も記載されてうようだ。この時代、竹島とは現在の鬱陵島のことで、すでに、日朝間の条約で、朝鮮の領土であり、日本の領土でないことが確定していた。
 地図には、現在の竹島を表す松島も記載されている。朝鮮領であることが確定している鬱陵島とともに記載されていることは、日本領であるとの根拠にはならない。
 
 中世において、地図に描かれることはその国の領土であることを示すものであった。1696年、日本にやってきた安龍福は、朝鮮地図に竹島が記載されていることを示していることが、日本の記録にも残されている。中世では、地図に記載されることが、領土であることになるが、両国間で領有権紛争が生じた後には、地図に記載されることと領有権とは関係ない。

 尖閣諸島は、清国の地図に記載されていた。また、清国領であることに、異議を唱える国はなかった。しかし、日清戦争が勃発し、日本の勝利が近くなると、日本政府は隠密裏に、尖閣の領有を決定した。下関条約で割譲を受けた台湾などは、日本が中国から盗み取ったものであるとの見解が国際的に確定しているため、中国は、尖閣も日本が盗み取ったものであると抗議している。

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