本-アイヌ語地名と日本列島人が来た道2021年02月03日

 
筒井功/著『アイヌ語地名と日本列島人が来た道』河出書房新社 (2017/10)
 
 秋田県以北にはアイヌ語由来の地名が多いが、山形県以南になるとアイヌ語由来の地名は急激に少なくなる。東北東部では、その境界は明白ではない。著者はこの事実を実証的に明らかにしている。この事実から、東北以南でアイヌ語由来の可能性がある地名について、こじつけであると結論している。また「朝鮮語由来の地名はめったにない」、「アイヌと沖縄人は全く別の集団である」としているが、これらの結論は単なるこじつけの感がある。アイヌ語と思える地名が孤立してある場合、そこに一部移住したアイヌの集落があった可能性もあるので、孤立していることを以て、アイヌ語由来でないと結論付けることはできないだろう。また、群馬県甘楽郡は渡来人が多かったので、朝鮮語由来と考えるのが普通だろう。
 
 「東北北部以北にはアイヌ語由来と思える地名が多い」「東北南部以南はアイヌ語由来と思える地名は少ない」。
 この結論以外に、本書に興味はなかった。

本の紹介-テーラワーダ仏教2021年02月04日

 
アルボムッレ・スマナサーラ/著『テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え』大宝輪閣(2014.1)
 
 日本の仏教は「大乗仏教」だが、本書は「上座部仏教」のテーラワーダによる仏教解説。
テーラワーダはスリランカ仏教界長老が東京幡ヶ谷の道場で指導・説法をしている仏教団体。
 
 釈迦入滅後、釈迦の教えは口伝により伝えられた。これらを基に成立した経典が「阿含経」である。テーラワーダは阿含経を所依の経典としているが、日本の仏教は、のちに成立した大乗仏教である。阿含経の中にも釈迦の教えでないものが混入しているし、大乗仏教経典がすべて釈迦の教えに反しているというわけでもないが、テーラワーダの教えは釈迦の教えを色濃く残していると考えられる。
 平たく言えば「心を見つめようね」「正しい行いをするといいよ」「正しい知恵があった方がいいよ」、これがテーラワーダによる釈迦の教えである。
 上座部仏教は自分の心や、自分の行いに関する教えなので、日本では全く流行っていない。大乗仏教では「観音菩薩を拝むとご利益があるよ」のように、絶対者を拝むことや、坊さんにお金を払って拝んでもらうことを推奨するが、日本人には、この方が手っ取り早くて人気があるのだろう。

本の紹介-捨てられる宗教2021年02月06日

 
島田裕巳/著『捨てられる宗教』(2020/9)SB新書
 
 世界のカトリック信者が大幅に減少している。また、日本でも仏教信者の人口も大きく減っている。神道信者も減少している。医療が充実し、平均寿命が長くなった国では、一般的傾向である。
 本書ではこの事実を指摘し、その原因は、医療の発達で病気が治るようになったため、加持祈祷の必要性がなくなったこと、さらに、平均寿命が延びたことにより、死後の世界を考える必要がなくなったことが原因であるとしている。このほか、直葬・家族葬が増え、以前のような会社関連が参列する葬儀は少なくなったことなどが示される。
 書かれていることは「なるほどそうか」と思うが、この内容ならば新聞の特集記事程度で十分で、新書一冊にしては、内容が薄いように感じた。
 なお、最近は特にコロナの影響で、葬儀の参列者は極端に減っている。今後、この傾向が定着するのだろうか。

本-法華経とは何か など2021年02月07日

 
植木雅俊、橋爪大三郎/著『ほんとうの法華経』筑摩書房 (2015/10)
植木雅俊/著『法華経とは何か その思想と背景』中央公論新社 (2020/11)
 
 『ほんとうの法華経』は二人の対談形式。両書とも、特に読むことを薦めない。
 
 これらの本は何の目的で書かれたのだろう。
 法華経は日本で一番ポピュラーなお経。日本の法華経は、鳩摩羅什が漢訳したものなので、原書のサンスクリット文のものと、多少のニュアンスの違いが生じるのは仕方ない。著者の植木はサンスクリット版法華経を翻訳し、漢訳法華経との違いを解明している。
 これらの本は法華経の概要をサンスクリット版に基づき解説し、所々で、漢訳との違いに言及している。しかし、サンスクリット本と漢訳本の違いは小さく、新書本を読んで法華経概要を理解する人に、どれだけ必要なことだろうかと疑問に思った。
 
 著者は「小乗仏教」の用語を「有部」の意味で使っているようだ。釈迦の教えにより誕生した仏教は「初期仏教」「原始仏教」などと呼ばれる。初期仏教はその後「上座部」「大衆部」に分裂した。これらは、その後さらに分裂し、最終的には20程度になった。これらを部派仏教と呼ぶ。部派仏教の中で、最有力だったのが「説一切有部」で略称が「有部」である。大乗仏教は部派仏教時代に成立し、自分たち以外を「小乗仏教」と賤称した。当時、最有力が「有部」だったため、「小乗仏教」の用語が「有部」を特に指している場合もあった。
 現在、日本で「小乗仏教」というと、「南伝仏教」あるいは「上座部仏教」を指す。著者が「有部」思想を批判するならば、普通に「有部」の問題点とすればよいところを、「小乗仏教」と書いているため、読んでいると「上座部仏教」の問題であるかのような気がしてくる。普通に「有部」と書けばよいのに、あえて分かりにくい表現を使っており、感心しない。
 
 そういう問題点はあるが、法華経の入門的解説書として特に悪い本であるということはない。しかし、法華経の入門的解説書など、世にいくらでもあるので、あえて本書を読む必要はないと感じた。

本の紹介-歎異抄 仏にわが身をゆだねよ2021年02月08日

 
釈徹宗/著『歎異抄 仏にわが身をゆだねよ』NHK「100分de名著」ブックス(2019/5)NHK出版
 
 NHK放送番組「100分で名著」のテキスト。内容は、歎異抄のごく簡単な解説。
 「歎異抄はきっと素晴らしい本だから、これから読んでみよう」と思っている人が、本を読む前にさわりを知ろうとするときに適切な教科書かもしれない。
 私は、他力本願を信じることはできないし、そもそも極楽往生など希望しないので、歎異抄をざっくり説明されても「ああ、そういう本ですか」という以上の感想はなかった。

本の紹介-宗教は現代人を救えるか2021年02月14日

 
佐々木閑/著、小原克博/著『宗教は現代人を救えるか』平凡社新書(2020/4)
 
 仏教学者で僧侶の佐々木閑と神学者で牧師の小原克博による対談。佐々木閑は浄土真宗の僧侶であるが、律を専門とする仏教学者で、初期仏教に詳しい。現代日本と日本仏教の関係の話が多い。
 日本の鎌倉仏教は旧仏教を批判し民衆のものとするために誕生した。これは、キリスト教のプロテスタントがカトリックを批判し民衆のものとするために誕生したことに、形式的には類似している。しかし、佐々木によると、プロテスアントが聖書を基にキリストの教えに立ち返ることを目的とした運動だったのに対して、鎌倉仏教は釈迦の教えから遠く離れてしまった点で、プロテスタントとは異なっている。
 
 本書のタイトルは『宗教は現代人を救えるか』であるが、本書の内容は、仏教全体から見た日本仏教の特殊性に関する記述が多い。
 
 日本では、鈴木大拙の仏教思想を高く評価する向きがあるが、佐々木はかなり否定的だ。ちょっとシニカルに以下の説明をしている。
小原 西洋思想に席捲される時代に人っていく中で、日本には独特の思想があるのだ、ユニークな仏教思想があるのだと言われると、自信を回復させてくれますよね。
佐々木 ただ、それは明治期に出会ったヨーロッパ経由の仏教ではなく、従来の日本の大乗仏教経典が含んでいたものを、再評価しようという動きなんですね。ですから、あくまで彼らのベースは日本仏教なんです。それが、例えば鈴木大拙の日本的霊性などにローカライズされていくんですね。目本独自のものなんだぞという意味付けだと思います。最近、それがまたクローズアップされていると思うんですけれども、やはり本質において、鈴木大拙の考え方は思想にまでは至っていなくて、思想を作るためのフォームだと思います。
 つまり、フォームですから、概念規定はされておらず、形式だけがある。そこへ、読み手が自分の思っているものを入れると、自動的にいろいろなことがうまく行くようになっている、数学の方程式のようなものだと思うんです。ですから、例えばそこに阿弥陀を入れるとちゃんと形になりますし、例えばスウェーデンボルグを入れれば霊界が出てくるというように、何を入れても答えが出てくるようになっているのが、鈴木大拙の言説の本質だと思います。だからこそ非常に受け入れられやすいと思うんですが、絶対にその大拙の言説と合わないのが、皮肉にも釈迦の教えですよね。そういったフォームは絶対的に存在しないと言っているのが釈迦の教えですから。
小原 諸行無常ですから、フォームは否定されますね。
佐々木 各自が感じている絶対的なものを代入すればそれぞれにちゃんと答えが出てくるんですが、釈迦の仏教は絶対的なものはないと言うのですから、そのフォームそのものを否定しているわけです。そういう意味でぱ、鈴木人拙と釈迦はまったくの対極にあるわけですが、その大拙教が近年受けるものですから、それもある意味では、一つの宗教の形だろうと思います。(116-117)

本の紹介-その虐殺は皆で見なかったことにした2021年02月19日

  
舟越美夏/著『その虐殺は皆で見なかったことにした』河出書房新社 (2020/11)
  
 著者は共同通信の記者。
 トルコではエルドアン大統領の体制で、クルド人に対する大規模虐殺が続いている。本書は、エルドアンのクルド虐殺のうち、南東部の町ジズレの虐殺を取り扱ったもの。
 本書では、生存者の手記や取材をもとに、ジズレにおけるクルド人虐殺の模様を詳細に明らかにしている。国際社会でエルドアンの虐殺を取り上げたのはロシアであるが、本書の最後の章で、西側社会が、この虐殺に対して関心を払わず、エルドアンに迎合している状況を記す。
 タイトルは「その虐殺は皆で見なかったことにした」となっているが、本書の記述の大半はジズレでのクルド虐殺の実態であり、欧米各国が虐殺の責任追及をしない状況の記述は少ない。
 
 トルコと言えば、アルメニア人へのジェノサイドを起こしたアタテュルクを、建国の父として尊崇している国である。ヒットラーのユダヤ人ホロコーストはアタテュルクの真似をしたものだとする説もあるほど、トルコは異民族大虐殺国家なので、今回のクルド人虐殺は、トルコの犯す、いつもの犯罪のような気がする。本書には、トルコ兵が命令とはいえ、どうして虐殺をしたのかを解明しようとしている記述がある。しかし、トルコ人はもともと人権意識が低い『劣等民族』であり、このような虐殺が平気で行えるのではないか。本書を読んでいると、そのように感じた。

本の紹介-AIに負けない子どもを育てる2021年02月23日


新井紀子/著『AIに負けない子どもを育てる』東洋経済新報社 (2019/9)
 
著者は2018/2に、『AI vs.教科書が読めない子どもたち』を上梓している。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2021/01/28/9341848
 
 前書は、AIの文章解析と人の理解の話だったが、本書は、AIの話はなく、もっぱら人が文章を理解する話。
 日本語の文章は、多くの日本人ならば、難なく読めるだろうが、4行以下の短い文章でも、正確に読めているかと言うと、多くの人はあまり読めていないそうだ。これでは、高校生は教科書を読んで理解することはできないし、大人でも同様なことが起こる。 
 
 次の例文がある。
 「誰もが、誰かをねたんでいる」「誰もが、誰かからねたまれている」
 この2つの文章は同じ内容か、違う内容か。
 数学系出身の私には、2つの文章は、違う意味であることは自明であるが、数学系以外の人には、同じ意味と誤解する人が多いだろう。両者の違いが分からない人には、本書を一読することを薦めたい。
 
 近年、小学校から高校まで、アクティブラーニングが行われている。著者は、このような授業により、読解力低下を招いているとしている。私は、小学生の読解力の向上には、算数の応用問題に取り組ませることが必要だと思っているので、著者の見解はもっともだと思う。
 
 著者は、どのような文章が正しく理解できていないのかを判断するために、『リーディングスキルテスト(略称:RST)』を開発した。これは、1から4行ぐらいの短い文章を読んで、その文章を正しく理解しているのかを調べるものである。文章を読むときに、論理関係を無視して、単語だけをつなげて、理解しようとする人がいるが、こういう人が誤るような文章が作られている。
 『リーディングスキルテスト』は、読解に躓いている人や、躓いている個所をあぶり出すのに有効な処方のようだ。以下の記述がある。
 
2018年に有償版を公開したときに真っ先に「新人研修に使いたい」と申し込んできた一部上場企業が数社ありました。…私は…成績を見ながら「御社がこの人を採ったということは……この人は、Dランクの私立文系で体育会出身、面接では背筋もピンとしてはきはきと答えたのが好印象だったのでしょう。営業職を、と思ったかもしれませんが、コンプライアンスを守れませんよ。マニュアルや約款を読めないからです」「この人は……某有名私大出身のクオンツ志望ではありませんか?具体例同定の理数の問題はよくできていますが、実は推論とイメージ同定が中学生並みです。大学入試で数学の記述式を経ていないため、数学を知識と
して詰め込んでいるような気がします」「この人は、TOEICの点数かSPIの点数がものすごく良かったのではありませんか?それは対策塾に通った成果で、本当は読めていないと思います」と分析したりすると、かなりの頻度で当たるようなのです。…第6章で詳述しますが、RSTの能力値と入学し得る高校の偏差値は相関します。
 ただし、『リーディングスキルテスト』は、自然言語なので、書き手の意図を忖度する部分が生じ、厳密性に欠ける可能性があるように感じる。『リーディングスキルテスト』の例文Q15に、以下の問題がある。
 
Q15: 以下の文を読みなさい。
 世界の難民・国内避難民らの数は、2015年末、前年より約580万人増えて、約6530万人に達した。国連難民高等弁務官事務所が統計を取り始めてから最も多く、第二次世界大戦後、最悪の状況だ。このうち、国境を越えた難民は約2130万人で、パレスチナ難民を除くと、最も多いのはシリアの約490万人になる。
 上記の文に書かれたことが正しいとき、以下の文に書かれたことは正しいか。「正しい」、「まちがっている」、これだけからは「判断できない」のうちから答えなさい。
 2015年末のデータによれば、国内避難民より、難民のほうが多い。
 ①正しい ②まちがっている ③判断できない
 
この問題の正解は②だそうだ。そして、次の解説をしている。
 『月刊NeWsがわかる』(毎日新聞出版、2017年7月号)という雑誌からの引用で、…記者にとっては、当然読めるはずと感じている文が読者に正確に届いていない可能性が高いことを、この問題は示唆しています。
 問題を振り返ってみましょう。世界の難民・国内避難民の総数は約6530万人です。難民は約2130万人とありますから、国内避難民の数のほうが多いことがわかります。おおよその暗算をするのが苦手だと辛い問題です。ただ、この問題にはもう一カ所、つまずきやすい部分があります。それは、「このうち、国境を越えた難民は約2130万人で」という新聞や社会科学系でよく見られる言い回しです。
 この文には二通りの読み方があります。一つは「国境を越えた難民と国内に留まった難民がいる。国境を越えた難民は約2130万人である」という読み方です。もう一つは「国内に留まったら国内避難民、国境を越えたら難民と呼ばれる。難民の数は約2130万人である」という読み方です。第三文だけ提示されたら、どちらの読みが正しいか判断できません。けれども、第一文冒頭に「世界の難民・国内避難民」とあることから、国内に留まったら国内避難民になる、だから、後者の読みが正しい、と読ませる文章です。 
 著者は数学系の教授だが法学部出身だそうだ。数学系出身の私には③も正しいと思える。文学では、同じ意味に異なった単語を使うことが多いが、数学では異なった用語は異なった意味と考えることが多い。「難民」と「避難民」にはどのような関係があるのか、Q15文章では分からない。「同じ意味に違いない」と書き手を忖度すると、著者の解説は正当であるが、「難民」と「避難民」が別物ならば、著者の考えは誤りだ。
 もう少し説明しよう。Q15に次の一文があったとする。
 「難民とは戦争や迫害などで居住地に住むことができず、政府の援助を受けていない人をいう。災害で体育館や仮設住宅へ移住した避難民は難民ではない。」
 この文章があれば、「難民」≠「避難民」と読む人が多いだろう。もっとも、こんな文章を書く人はいないかな。
 では、このように書かれていたらどうだろうか。
 「難民とは戦争や迫害などで居住地に住むことができず、政府の援助を受けていない人をいう。災害で体育館や仮設住宅へ避難した住民は難民ではない。」
 
 著者は「難民」と「避難民」が同じであると文学的解釈をしたか、それとも、難民問題を論じているのだから、難民以外は文章に入ってこないだろうとの予想の元に、「国境を越えた難民と国内に留まった難民」「国内に留まったら国内避難民、国境を越えたら難民」の2種類の解釈しかしなかったようだ。「国境を越えた難民、国内に留まった難民、国内避難民」の3種類がいる、あるいは「国境を越えた難民、国内に留まった難民、国内避難民、国外避難民」の4種類がいる、との解釈も成り立ち、これらの解釈だと正解は③になる。
 「いや、そんなことはない、著者の解釈が正しい」と思う人には、次の変更を考えてほしい。
  Q15の最初の文を「世界の難民・国内避難民らの数は」から「世界の難民・国内困窮民らの数は」と変更する。この問題だと、正解は③と考える人が多いだろう。
 日本語も、どの国の言葉も、書き手を忖度する部分があり、忖度の違いが、解釈に違いにつながることがあるのは、仕方ないことだ。
 

本の紹介-裁判官だから書ける イマドキの裁判2021年02月28日

 
最近の裁判の話題。薄いブックレットに30テーマを説明しているので、1つのテーマが4ページほどと内容が薄い。「へ―そうなんだ」との感想は持てたけれど。。。

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