尖閣2010年10月22日

 尖閣列島は、江戸時代の日本の認識では、中国(清国)の領土です。

 尖閣列島が、日本で、最初に紹介されたのは、天明6年発刊の『林子平/三国通覧図説』です。当時、ロシアの蝦夷地進出が盛んになったため、国防の必要性を解いたものです。この本は、蝦夷地の話が主題ですが、朝鮮・琉球にも言及され、このうち、琉球周辺図の中に、尖閣諸島を『釣魚台』などの名称で記載し、中国の領土である赤色に着色されています。
 中国では、明代には尖閣の存在は知られ、以降、琉球との交通の中継地として使われていたようです。
 
 日清戦争が起こり、日本が優勢になると、日本は尖閣を領有宣言し、さらに、戦勝により台湾を領有しました。以降、尖閣・台湾は日本の領土でした。
 日本の太平洋戦争敗戦により、日本は連合国に占領されますが、台湾は中国、尖閣・琉球は米国、本土は米国、千島はソ連の担当になりました。日本が独立した後も、尖閣・琉球は米国の信託統治のもとに置かれました。

釣魚島:
 Googleの地図には尖閣諸島の日本名のほかに、中国名称である『釣魚島』の名前が記載されています。日本は、これを削除するように要請したとか。でも、『釣魚』は、江戸時代に日本で最初に紹介された時の名称です。中国名と言えばそうだけれど、日本での古名でもあるわけで、何も削除する必要もないように思うのですが。

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