竹島問題-外務省の説明2007年02月21日

昨年12月末、日本政府は竹島問題にもっとまじめに取り組んで欲しいとの記事を書きました。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2006/12/21/1040916

外務省は竹島問題に対して、おもにホームページで広報活動を行っているそうです。今年になってから、外務省の竹島問題のホームページは大幅に改良されました。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/

 これまでの、いいかげんな記述から、史実に基づいた記述になっています。若干首を傾げたくなる記述がないわけではないですが、かなりまともで、竹島問題の学習の基礎にふさわしい内容になっています。北方領土問題に関して、外務省はパンフレットを発行しています。竹島問題も、ホームページの内容に基づいて、啓蒙用のパンフレットを発行して欲しいものです。

 しかし、大きな疑問が有ります。『竹島の領有』のタイトルで、鬱稜島渡海免許の話が掲載されています。この話の中に「隠岐から鬱陵島への道筋にある竹島は…」と、竹島の話がありますが、結局、竹島は鬱稜島支配の添え物でしかないような記述になっています。
 現在、鬱稜島は韓国の領土であることに、争いがありません。韓国は、竹島は鬱稜島の属島であるかのような主張をしています。日本としては、鬱稜島は韓国の領土だけれど、竹島はそれとは異なるという主張をしなければならないはずです。
 江戸時代の一時期、韓国の領土である鬱稜島を誤解により領土として使用しており、その中で、竹島も使用していた。日朝の正式な交渉で、鬱稜島の使用をやめ、それに伴って、竹島も使用されなくなった。外務省のホームページはこのように読めます。これでは、韓国の主張と同じではないか。日本の領有を主張する根拠になるのだろうか。

 また、不思議な記述が有ります。(そのうち訂正されるかもしれない。)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/gaiyo.html#01
『2.竹島の領有: 我が国は、遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立していたと考えられます。この当時、鳥取藩米子の大谷・村川両家は、鬱陵島への渡海を幕府から公認され、交互に毎年1回、同島に渡海して漁労や竹木の伐採等を行うとともに、これによって得られた鮑(あわび)を幕府に献上してきました。この間、今日の竹島は、鬱陵島への渡海の船がかりの地として、また、漁採地として利用されていました。』 
 これでは、『渡海の船がかりの地として、また、漁採地として利用され』ていたならば、領有権が確立していたということになってしまいます。
 択捉島へ日本が進出する以前に、ロシアの勢力は択捉島で住民から毛皮を取り立てたり、ラッコの捕獲を行ったりしていました。こんなので、ロシアの領有権が確立していたとするならば、日本の北方領土要求は根底から覆されます。

* * * * * *

<< 2007/02 >>
01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28

RSS