中尊寺2014年05月01日

連休前半を利用して、中尊寺を見学しました。
  
    
桜がちょうど見ごろ。
  
  
境内のあちらこちらに、カタクリが咲いていました。
  
  
エンレイソウも見ごろ。でも、地味な花です。
  
  
達谷窟毘沙門堂には、シロバナエンレイソウ。

いろいろな花が一斉に咲いて、良い季節です。

福島原発事故 3年後2014年05月03日

 
2014年4月29日に福島旅行をした。
 
 飯館村蕨平は、長泥や、浪江町津島と同じ程度に、高濃度汚染された。他の地域は、帰還宅困難地域に指定され、立ち入りはできないが、蕨平のみ、居住制限区域のため、立ち入り可能になっている。
 飯館村蕨平公民館の線量は、3.4μSv/h。
 桜が見ごろだったが、だれにも会わなかった。自販機も空っぽ。

鴨川-「ロシア人上陸の地」碑2014年05月05日

 
 元文年間、シパンベルグ探検隊の一隻は本体を離れて、日本の太平洋岸を南下し、安房国鴨川天津に上陸し、水の補給などをした。このとき、地元民との交流もあったようだ。
 2005年、日魯和親条約150周年記念行事の一つとして、「ロシア人上陸の地」碑が建てられている。
 
写真の切り貼り
 記念碑の絵の部分にはガラス板がはめられ、周りの風景が反射して写りこむ。このため、絵の部分の横に黒布を掲げて、斜めから撮った写真を、PCで変形して元に戻し、ほぼ正面から撮った写真に切り貼りした。(写真をクリックすると拡大します。)

成東・東金 食虫植物群落2014年05月06日

5月4日、千葉県成東・東金の食虫植物群落を見学した。
ウマノアシガタ、ハルリンドウが咲いている。
  
ウマノアシガタは黄色い光沢のある花。
  
   
ハルリンドウは青紫。
  
  
目が慣れると、イシモチソウが、あちこちにあるのが見える。
 
 
  
コモウセンゴケも有るけれど、葉が地面に張り付いている。
  



絵本-メチのいた島2014年05月07日


『メチのいた島』 すぎはらゆみこ/著、 かみなかおさむ/イラスト 山陰中央新報社 (2014/03)

 子供向け絵本。
 内容は、竹島で捕獲したニホンアシカが飼われていた池で、ニホンアシカと遊んだ小学生の話をした後に、竹島は日本の領土であると一方的に説明するもの。
 小さい子供に、事実の都合よい部分だけを教え込んで、大人の都合に適した教育を押し付ける典型的な手法に感じる。このような教育は、一般に行われ、特に、成績が悪い子供をしつけるためには、もっとも有効な手段なので、自分の子供が、成績が良くないと感じている人は、この本を子供に見せて、領土問題の学習に使うことも有効だろう。ただし、優秀な子供は、自分で考える習慣をつけさせるべきなので、この絵本は、あまり役に立たないと思う。

 この本を読むと、「日本が竹島で漁をしていた時代、ニホンアシカも楽しく暮らしていたのに、今では、竹島は韓国に不法に占拠され、ニホンアシカも絶滅してしまった」と感じるだろう。領土の領有権には、日韓政府で異なった主張があるが、それとは別に、ニホンアシカは、明治の終わりころの乱獲によって、急激に個体数を減らし、その後、絶滅に追いやられたものだった。捕獲方法は、撲殺が多く、竹島の浜は、ニホンアシカの死体で、真っ赤に染められていた。
 絵本に書かれているニホンアシカと、現実の漁とは、だいぶ異なっている。

   なお、本書でも「島根県立三瓶自然館サヒメル」に展示されているニホンアシカの写真を使っているが、この館の展示パネルには、事実が正しく書かれている。絵本を読むよりも、まじめな博物館の展示を見たほうが有用だ。
悲劇の海獣 ニホンアシカ
 ニホンアシカは、今では絶滅したとされる悲劇の海獣です。かつては日本近海に広く生息し、江戸時代の終わり頃までは4~5万頭が生息していたといわれていますが、19世紀末から20世紀初頭にかけて多くの場所で乱獲が行われ激減してしまいました。最後の集団繁殖地であった竹島でも、1904年(明治37)から8年間で14,000頭ものニホンアシカが捕獲されました。そして、皮はカパンなどの皮革製品に、皮下脂肪は油に、肉や骨は肥料に利用され、幼獣は生け捕りにされてサーカス用に売られました。当時、アシ力猟は一種の産業として成り立っていましたが、適切な資源管理を怠ったため、種の絶滅をまねいてしまいました。
 (「島根県立三瓶自然館サヒメル」展示パネルより)

福島原発事故直後に鼻血2014年05月09日

マンガ「美味しんぼ」の話:
 福島第一原発取材後に主人公たちが原因不明の鼻血を出したとのマンガがあるとかで、環境相や双葉町長がこれを批判・抗議しています。
 福島原発事故後の鼻血ならば、新聞報道や、参議院証言などもあって、当時は良く知られたことだったはずなので、いまさら何を言っているのか。参議院証言は公文書が作成されるが、公文書の信憑性など、どうでもよくて、漫画は絶対的真実で、絶対に誤解がないように、書かなくてはいけないとでも言うのだろうか。
 参考:第179回国会 参議院・東日本大震災復興特別委員会 第8号(平成23年12月2日)宍戸隆子参考人の発言


鼻血:
 福島原発事故は、事前準備もなく急に起こったので、関係者には、心身ともに、ものすごいストレスになり、鼻血を出す人がいたこと自体、不思議でも、なんでもないことです。福島原発事故のために鼻血が続いた人がいたことなど、当たり前で、何が、疑問なのだ。原発は複雑なシステムで、地域社会に大きな影響を持っているのだから、事故の影響が、単に放射線の直接被曝のみにとどまらないことは明らかです。直接被曝が、一番怖いので、この点に関心がもたれるけれど、一旦事故を起こしたら、直接被曝以外に、いろいろな影響があって当然。
 かく言う私も、原発事故後のGWに、浪江町津島などを旅行したけれど、このときには、鼻に血が混じっていたはずです。私の場合は、花粉症が悪化したためと思われるので、別に、気にも留めなかったけれど。

本の紹介-波よ鎮まれ (尖閣への視座)2014年05月11日


『波よ鎮まれ (尖閣への視座)』 渡辺豪, 嘉数よしの,又吉嘉例/著, 沖縄タイムス「尖閣」取材班/編 旬報社 (2014/4)


 本の内容は、八重山の人と、台湾の人に対する尖閣問題のインタビュー。
 戦前から米国占領時代にわたって、尖閣は、台湾漁民と、沖縄漁民が出漁する漁場だった。沖縄返還に伴い、日本政府は、尖閣周辺海域から台湾漁民を締め出し、その範囲が拡大していった。そうした中、日台中3国間で、ナショナリズムを背景とした、領有権争いが起こった。
 このような偏狭なナショナリズムは、地元民には、迷惑極まりない場合もあり、本書では、地元で生活する立場に立って、偏狭なナショナリズムを批判し、これを克服することを求める、地元民の見解をまとめている。ただし、本書に収録された、地元民の声が、平均的なものであるかどうかは、疑問だ。領土問題があると、地元には、国の金が落ちるので、その利権に預かる人と、排除される人がある。利権派は、尖閣での対立を望んでいるはずなので、本書に記載された証言は、利権に関係ない人たちの声を、集めたものなのだろう。

 かつて、沖縄が米軍統治下にあった時代、本土復帰運動を進めていた勢力があった。現在、八重山には、ナショナリズムを鼓舞して、尖閣領有を声高に叫ぶ人も多い。米軍統治下で本土復帰運動に熱心だった勢力と、ナショナリズムを掲げて尖閣運動をしている人たちとは、相容れないようだ。日本の領土問題との切り口で見ると、同じような問題なのに、運動の目的には、大きな違いがあるのだろう。

福島原発事故が原因で鼻血・・・あたりまえでしょう2014年05月12日

福島原発事故が原因で鼻血:
 
 マンガ「美味しんぼ」のなかで、福島原発事故後に、鼻血が出る人がいるとの描写があるとかで、これを批判している人たちがいるようだ。でもね、福島原発事故が原因で鼻血が出た人がいること自体、不思議でもなんでもないことです。福島では、まだ寒い時期に、長期間、避難所生活を余儀なくされたのだから、血圧が上がった人も多かっただろう。血圧が上がると、鼻血が出る人は、珍しくはない。また、避難を余儀なくされた人の中には、鼻血の原因は、直接被爆ではないのかと心配した人も多かったと思います。
 福島原発事故が原因で鼻血が出た人がいたことや、直接被爆が原因ではなかろうかと心配した人がいたことは事実なので、マンガ「美味しんぼ」の記述が、事実と大きく異なるとは思えない。
  
 長期間の避難所生活が原因で、鼻血が出るようになった人がいることは間違いないだろう。しかし、鼻血の原因はこれだけではないと思う。栄養の問題、寝具や衣類を屋外で乾燥できずカビやダニの影響があった、子供が運動できなかった等々、色々な原因が考えられる。
 事故当初の放射線直接被爆の影響や、その後に、放射性物質を吸引した影響などについては、分からない。
 
 今後、どこかの原発が事故を起こすかもしれない。そのときは、福島と同様に、被災者は、避難所に長期間放置される恐れがあるにもかかわらず、何の対策も立てずに、原発を推進しようとしている勢力にとって、この漫画が目障りであることは、間違いない。日ごろから、非常時の対応を考え、対策を建てることが必要なのに、その努力を怠っている愚か者が、マンガを批判し、騒ぎ立てているように思える。
 
 
X線CTと、放射能被曝の比較:
 Twitterをみると、札幌医大の高田純氏は以下のように書いている。
 『病院の放射線科や歯科医でのX線撮影で、鼻血が出たという事例は、聞いたことがありません。みなさんも、X線撮影あるでしょう。CT検査(一回、およそ10ミリシーベルト)でも、鼻血ないのです。小学館は、福島県民に謝罪し、風評被害・精神被害を賠償すべし。』
 また、武蔵野市の歯科医師・野々村氏は以下のように書いている。
 『もし「福島に行って被曝したので鼻血が~」が事実だとしたら、私の歯科医院のレントゲン室・CT室は毎日“血の海”でしょう。ありえません。(上顎の歯の根は鼻に近接しているので、同部の撮影時、放射線は確実に鼻粘膜を貫いています)』
  
 これらの主張は、いったい何を言っているのでしょう。本人に直接聞けば良いのだけれど、メールアドレスが分からないので、聞けない。
 X線CTのエネルギーとγ線のエネルギーは、両方ともに、Svの単位で測るけれど、両者は違うものなので、Svの値が同じでも、生体に及ぼす影響は、違うはず。それとも、両氏の使っているX線CT装置は、セシウムのγ線と同じような放射線が出るのかな。
  
 物理が苦手な人にちょっと説明します。X線・γ線・赤外線・紫外線などは、どれも電磁波であり、光子という名前の粒子線です。光子は一粒一粒がエネルギーを持っていて、一粒のエネルギーはE=hc/λと書くことができます。γ線・赤外線・紫外線はλ(波長)が違い、光子のエネルギーが異なります。X線とγ線の違いは、波長ではなくて、作り方の違いです。電子から出てくるのをX線、原子核から出てくるのをγ線と言います。作り方の違いとは言っても、実際には、一般に、X線の方が波長が長く、光子のエネルギーが低いことが多いのです。
 光子一粒のエネルギーが小さくても、たくさんの光子が飛んでくれば、総エネルギーは大きくなります。
 赤外線電気炬燵に当たったときの暖かさと同程度に、紫外線を浴びたらどうなるでしょう。重症な皮膚障害になるかもしれません。暖かさが同じであるということは、総エネルギーが同じ程度であることを意味しています。このように、赤外線と紫外線とでは、総エネルギーが同じでも、生体に与える障害は全く異なります。赤外線と紫外線とでは、光子一つのエネルギーは3倍程度以上異なります。
 X線CT装置のX線と、放射性セシウム由来のγ線とでは、波長が異なることが多いので、Svで表す吸収線量が同じでも、生体に与える影響は異なると考えられるはずです。
 
 X線CTの光子一つのエネルギー(陰極管の管電位で決まる)が、セシウムのγ線よりも小さいならば、X線が安全だからと言って、γ線が安全とは言えないのです。
 両先生が使っているX線CT装置のX線エネルギーは、何MeVなのだろう。
  
 どなた様か、医科・歯科で使用するCTのX線エネルギーは、何MeV程度なのか、あるいは、陰極管電位は何MVなのか、ご存知でしたなら、教えてください。

 注)以前、γ線のエネルギーと遮蔽能の関係を簡単に計算してグラフ化しました。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2011/03/23/5754773

放射性物質対策に関する不安の声について2014年05月13日

環境省は5月13日付で、福島原発事故後の鼻血に対する見解を示した。
http://www.env.go.jp/chemi/rhm/info_1405-1.html
 
【放射線被ばくと確定的影響の1つとされる疲労感、鼻血といった症状との関係について】(一部省略)
 ○東京電力福島第一原子力発電所の事故の放射線被ばくが原因で、住民に鼻血が多発しているとは考えられません。
 ○国連公表によれば、住民への健康影響について、「確定的影響は認められない」とされています。
 
 
 さすが、官僚の見解だけあってすばらしい作文で、まったく同感です。たしかに、「原発事故の放射線が原因で住民に鼻血が多発しているとは考えられない」けれど、
 ○原発事故が原因で、住民に鼻血が多発した可能性がある。
 ○原発事故の放射線が原因で、住民に鼻血が発生した可能性は、今のところ、完全には否定できない。
 ○国連は、住民への健康影響について、確率的影響がないとは言っていない。
  
 
小泉進次郎:
 マンガ「美味しんぼ」の鼻血騒ぎに関連して、小泉進次郎復興政務官は、「私はあれだけ福島に行っているが、鼻血を流したこともない。行くたびに元気になって帰ってくる」と発言したそうだ。
 アジテーションがうまい人ですね。でも、ちょっと考えてみれば、小泉発言は「おれは真冬に裸でも風邪ひとつひいたことないぞ」と言っている熱血漢と同類の発言で、安全性の説明には、まったく、なっていないですね。(2014/5/14 追記)

本の紹介 - 元島民が語る われらの北方四島 ソ連占領編2014年05月18日


元島民が語る われらの北方四島 ソ連占領編 (1988年3月)
 制作:北方ライブラリー制作委員会 委員長:木村汎

 古い本であり、販売されたものではないので、大きな図書館に蔵書がある程度で、一般には、ほとんど 見る機会はない。しかし、ソ連占領当時のようすを、旧島民の証言を元に、まとめた本なので、この問題 に関心のある者にとっては、欠かせない一冊。
 しかし、住民の証言は良いとして、タイトルや、編者の解説はいただけない。内容と異なることを平気で書いて 、事実でないことが、さも事実であるように書かれている箇所が散見される。
 タイトルでは「ソ連は、進駐当時、アメリカ兵はいないかと尋ねた」「日本人は北方4島から強制送還さ れた」となっているが、内容を読んでみると、決してそうとは言えない。

 制作委員会委員長の木村汎氏は、自身の著書のなかで、ソ連兵は決まって「アメリカ兵は上陸していないか」と 言ったと書いている。
『元島民が語るわれらの北方四島』も、証言している。北方四島の各々に上陸してきたソ連兵が真っ先に 日本人住民に尋ねた質問が、きまって「アメリカ兵は上陸していないか」という問いだった、と。  日露国境交渉史 中公新書(1993.9) P102,103 

 本書を読むと、木村汎氏の著述内容は、事実とかなり異なることがわかる。『元島民が語 るわれらの北方四島』から、木村汎氏が指摘する2箇所を見てみよう。
アメリカ兵の存在をしつこく尋ねる
 ソ連兵の進駐当時の様子を福井澄さん(釧路市在住)は、次のように話しています。・・・
 ソ連兵は口々に何か言うのですが、お互いに言葉が通じず閉口しました。しかし、よく聞き返しまし たところ、『日本の兵隊はいるか?とかアメリカ兵は上陸していないか』と言っているのでした。次に は、『占領の旗を揚げたい。何か赤い布はないか?』と言います。確か万国旗が神社にあったはずだと思い 、探しましたがありません。(P152,153)

アメリカ兵はいないか…  
 「ソ連軍が色丹島に上陸したのは二十年九月一日でした。上陸地点は斜古丹です。・・・ソ連軍が進駐 して来て最初に聞かれたことは、「アメリカ兵が島にいないか』ということです。
 当時、・・・島に残っていたのは武器もなく何等抵抗できない島民のみでした。言葉がまるで通じないということもあって、いきなり発砲されたりという事態も考えられ、大変不安でした。(P176,177 )

 どちらも、タイトルでは、アメリカ兵の存在を聞いたとなっているが、内容を読んでみると、元島民の証言では、言葉が通じず、ソ連兵の言っていることを推定した結果、「アメリカ兵はいないか」と聞いたと思ったのであった。本書には、元住民の証言がいくつも記載されているが、アメリカ兵云々の元住民証言は、この2箇所だけであって、木村汎氏の著書に書かれているように、『きまって、アメリカ兵は上陸していないか、という問いだった』事実はない。本書に記載されている、軍人の証言でも、アメ リカ兵云々の話は、日本軍特警隊員による、わずか1箇所である(P371)。
 本書のタイトルで、事実と異なる記述をしているが、木村汎氏の著書では、さらに輪をか けて、事実でないことを書いているようだ。

 「強制送還された日本人」の章も、いただけない。
強制送還された日本人
 北方四島からの日本人の強制引揚げは、ソ連側の方針で、昭和二十二年七月から実施されました。・・ ・
 この強制引揚げは、地域によって引揚げの月日に差があります。最も早かったのは、昭和二十二年七月 四日、二度目は同年九月下旬、四度目は二十三年十月上旬、二十四年七月下旬が最後と言われています。
 これら数度にわたる引揚げは、いずれもソ連側の事情による一方的な命令によるもので、日本人島民の 意志では全くありませんでした。ソ連軍占領下の島の生活を嫌い、日本への帰還を望んでいた島民は確か に多くいました。しかし、中には、祖先伝来の地を守り、住み馴れた島で平和に暮していきたいと強く願 っていた人も少なからずいたのです。
 ソ連軍は一方的に引揚げを通告し、日本人島民の任意の選択は一切認めないと言う強制的なものでした 。

 (このあと、具体的な証言が記される。)

 以上のように、元居住者たちは、北方の歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島から強制的に、わずかな身 廻品を持たされただけという裸同然の姿で、追い出された当時の悲惨な状況を切切と語っています。 (P398,399,419)

 初めの部分とまとめの部分だけを読むと、日本人が強制送還されたかのごとく感じるだろ う。しかし、住民証言など内容を読むと、まったく異なっていることが分かる。
 ソ連兵と結婚のため残留した女性の話や、引き揚げ順番を早くするため賄賂を使った話、残されると知って発狂した人の話などがあるが、残留希望が聞き入れられなかった人の話は、一件もない。
 さらに、P407の表には、推定残留者数202名、一般資料で確認できる残留者数12名と記されており、「歯舞一家8 名希望残留」との特記がある。

 以上のように、本書の旧島民の証言の部分は、十分に読む価値があるが、北方ライブラリー制作委員会・委員長木村汎によるものと思われる記述や、タイトルなどは、事実と異なる記述が多く、この部分には、読む価値はないだろう。

* * * * * *

<< 2014/05 >>
01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

RSS