教師は聖職か2015年05月25日

 ときどき『教師は聖職』であるとの論を為す人がいる。
 キリスト教の牧師・神父は聖職者と言われるので、日本で聖職と言ったら、さしずめ僧侶だろう。
 
 昨日、親戚の葬儀に参列した。生前、故人は、長きにわたり栃木県で中学校理科教師・小学校教頭・校長等、教育に携わっていた人で、同時に僧侶だった。教師を定年退職した後は、寺の住職となった。
 故人の子息も、中学校理科教師の傍ら僧侶を務めている。僧侶なのだから聖職者に違いないだろう。
 
 僧侶兼教師は聖職者かもしれないが、普通の教師が聖職かと言われると、ちょっと違うような気がする。僧侶は仏教の教えに従って儀式を行ったり、説教をしたりする。科学とは異なり、宗教は教義に疑問を挟むことはなく、単に教えを無批判に教える存在。ところが、理科教師は科学を教えるので、教科書に書いてあることを単に教え込むのではなくて、真実を探求する意欲を起こさせるのが重要な教育のポイントとなる。
 
 聖職=>教えを無批判に教える
 教師=>真実を探求する意欲を起こさせる
 
 このように考えると、教師は聖職者とはだいぶ異なる。教師の役割として、真実を探求する意欲を起こすのではなく、政権の決めたことに無批判に盲従する衆愚国民を作ることが、教師の役割と思っている人には、教師は聖職に違いない。

                 合掌

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