太地町のイルカ大屠殺-太地町イルカ漁を考える2015年09月27日


  (イルカ追い込み漁のようす)
  
  (早朝から環境保護団体の進入を警戒する海上保安庁のボート)
  
  
太地町のイルカ漁はシーシェパードをはじめ、各国の環境保護団体から強い非難を浴びている。以下、非難を無視してまで、推し進める必要があるのかどうかを考えてみる。
  
  
1.太地町の捕鯨は伝統文化か?
 太地町は古式捕鯨発祥の地としている。長い間、くじらやイルカを採ってきたことは事実だが、だからと言って、すべてのイルカ漁を正当化する理由にはならない。
 北海道のことを考えてみよう。アイヌの人たちは川で鮭をとって生活の糧としてきたが、現在、鮭を川でとることは禁止されている。水産庁では「儀式のため」「伝統漁法継承のため」の捕獲ならば許可するが、生活のための捕獲は認めていないようだ。
 もし、太地町が「儀式のため」「伝統漁法継承のため」にイルカを採るのならば、それを禁止することは不当かもしれない。しかし、太地町で行われている捕鯨は「商業捕鯨」であって「儀式捕鯨」ではない。伝統文化とはまったく関係のない捕鯨であるので、伝統文化を理由にすることはできない。
   
 エンジン付ボートを使ったイルカ追い込み漁は「伝統漁法」ではない。
  
 太地町で捕獲されたイルカの一部は生きたまま水族館へ販売される。また食肉とされたものはスーパーマーケットに流通する。このような販売・流通目的の漁業は伝統とは言えない。すなわち、太地町イルカ漁は、その手法も目的も伝統文化ではなく、伝統文化を口実とした単なる商業捕鯨である。
  
 ビジネス情報誌オルタナ(2015年6月)によれば、「太地町の追い込み漁」すなわち「燃料で走る船を使い金属管を叩く音で追い込むイルカの追い込み漁」は、1969 年に設立された「太地町立くじらの博物館」に展示するために始まったものである。
  (古式鯨漁の遺構。現代の商業捕鯨では使われない。)
  
  
2.昔から食べているのだから今も食べてよいのか
 昔食べていないものを今食べているものや、昔食べていたが、今では食べられなくなったものは珍しいことではない。昔から食べてきたことは、今食べる理由にはならない。ただし、自分で捕ったくじらを自分で食べるのならば、それほど批判は浴びないだろう。現在、国際的な批判を浴びているのは、販売目的に行われる大規模イルカ漁だ。
 写真は、太地町で食べた「くじら丼」「くじらからあげ定食」。牛丼や鳥からあげがあるのだから、くじらやイルカがなくても生きるために困ることはなく、どうしても食べなくてはならない理由は無い。
 そもそも、食べるだけのためならば「イルカ追い込み漁」は必要ない。
 
(太地町の食堂のメニュー「くじら丼」 )
   
(太地町の食堂のメニュー「くじら唐揚定食」)
  
  
3.WAZAの決定とJAZAの決断
 2015年4月、世界動物園水族館協会(WAZA)は、太地町のイルカを水族館が購入することが「動物の福祉」の倫理規範に違反するとして、日本動物園水族館協会(JAZA)に会員資格停止を勧告した。これに対して、JAZAでは太地町のイルカを購入しないことを約束してWAZAに復帰した。
 現在、欧米各国の多くの水族館のイルカは、水族館で繁殖したものを使っている。水族館は教養・教育施設であるため、多数のイルカを必要としないので、水族館で繁殖したイルカで間に合っている場合が多い。これに対して、日本の多くの水族館は、営利目的の娯楽施設として、イルカショーがメインの出し物になっており、多数のイルカが必要なために、太地町追い込み漁で活け取りされたイルカを必要としていた。今後、イルカの調達が容易ではなくなるので、営利・娯楽施設から教育・教養施設へと転換を図る必要性に迫られるだろう。
  
 こうした中、太地町「くじらの博物館」では、JAZAを脱退して、太地町イルカを購入しショービジネスを進めるそうだ。教養・教育よりもビジネスを優先する、民度の低い国民性の表れだろう。情けない。 
(太地町イルカを購入しショービジネスを進める 太地町「くじらの博物館」)
 
  
4.調査捕鯨について
 日本は学術調査の目的と称して、南氷洋で捕鯨を行ってきたが、2014年の国際司法裁判所の判決では、調査に名を借りた事実上の商業捕鯨であるとの理由で禁止された。太地町では、調査捕鯨船・第一京丸が展示されている。
 学術調査ならば、多数の学術成果を発表して、日本人海洋学者が各国の大学教授のポストを確保すればよいのに、ほとんど成果のない調査しかしてこなかったのだから、禁止されて当然のことだ。
(かつての調査捕鯨船 )
  
  
5.情報発信不足と反対運動の押さえ込み
 太地町イルカ追い込み漁に強く反対しているシーシェパードの論理は、要するにイルカを採ることが嫌いであるとの感情論だろう。これに対して、和歌山県や太地町の見解は、要するに食べたい物を食べて何が悪いという感情論だ。シーシェパードの論理は単純な感情論だが、和歌山県や太地町の見解は販売のための商業捕鯨を自分たちの消費であるかのようにごまかしている点で、たちが悪い。
 どちらの感情論が国際的共感を得ているかといえば、シーシェパードの圧勝だろう。今後、和歌山県や太地町は、感情論をやめて理性で説得するか、国際的共感を得られるような情報発信が必要なのに、そのような努力も能力も欠如しているようだ。情報を隠して、警察と海保で取締りをするだけの対応では国際理解は得られない。
     
  (シーシェパードのイギリス人青年。悲しい表情でイルカ追い込み漁を見つめていた。)
  
 ルイ・シホヨス監督が作成した映画「ザ・コーヴ」は、2010年にアカデミー賞を受賞した。この映画には、イルカショーが残酷であるとして批判するメッセージと、太地町のイルカ屠殺は残酷であるとする2つのメッセージが含まれている。前者については、WAZAの決定により、日本の多くの水族館も太地町イルカ購入を断念した。
 太地町では屠殺はイルカを苦しめないようにしていると説明する一方で、屠殺現場は秘密にして取材を拒否してきた。映画では、立ち入り禁止区域に無断進入して撮影するなどの映画作成方法が強調された内容となっている。困難を克服した上での撮影が、国際的に高い評価を受けて、映画はアカデミーショーを受賞した。
 しかし、現場を見ると、映画の撮影方法は、それほどたいしたことではない。彼等が立ち入り禁止区域にカメラを設置して撮影したことは事実だが、そのようなことをしなくても、長い自撮棒のような撮影機材を使えば、合法的に撮影できるように思える。しかし、撮影方法のために、日本政府がイルカの残虐な屠殺を推し進めている印象が強い映画になり、映画の国際評価に繋がった面は否定できない。
  (イルカを屠殺する場所は、取材目的でも見せることはない。)
  
 映画には余り出てこなかったが、太地町のイルカ漁は警察・海保の援護のもとに行われている。和歌山県警はイルカ漁時期には臨時交番を設置し、イルカ漁見物の観光客に対して職務質問をしている。質問内容は、見物目的、住所氏名に止まらず、生年月日・電話番号・職業・勤務先名・捕鯨に反対か賛成かまで質問するので、捕鯨に反対する日本人観光客にはかなりの威圧になっているだろう。
  
(観光客に職務質問する和歌山県警警察官)
  
(イルカ漁時期に設置された臨時交番)
  
   
 以上見てきたように、太地町イルカ追い込み漁の実態は、手法も目的も伝統文化ではなく、伝統文化を口実とした単なる商業捕鯨であるので、日本の伝統文化として守る価値はない。漁の正当性主張においても、国際理解は得られていない。日本国内の政治力により国内法上合法化し、警察と海保によって守られながら、実態を隠した上で行われている。このような状況を今後も続けることは、日本の国益にも反し、地元の観光にもマイナスだろう。
  
    
 太地町は那智に近く、海が綺麗な町なので、観光に力を入れれば良いように思うのだけれど、実際には町に来てくれる外国人を敵視して、日本の観光客にも不快な思いをさせるようなことをしている。こんなことでは、町はジリ貧以外にないのではないだろうか。
  
    
 欧米各国の多くの水族館のイルカは、水族館で繁殖したものを使っているが、太地町「くじらの博物館」では、JAZAを脱退して太地町イルカを購入しショービジネスを進めるそうだ。太地町「くじらの博物館」の入館者数は1974年の478,573人をピークに、1992年以降減少を続け、2006年には150,722人、2009年141,688人、2013年87,175人と最盛期の1/5まで減少した。これでは経営が成り立たないので、2005年よりイルカを海外の水族館に輸出販売する事業を行っている。観光客の減少による赤字補填をイルカ追い込み漁に依存し、それが観光客の減少に拍車をかけている悪循環が見て取れる。
    
参考資料
 遠藤愛子『変容する鯨類資源の利用実態』国立民族学博物館調査報告97:237-267(2011)
 太地町役場ホームページ(http://www.town.taiji.wakayama.jp/tyousei/sub_02.html) 2015/9/28閲覧
     

コメント

_ ひらばやし ― 2015年09月29日 12時06分06秒

コメントを掲載して頂けるかどうか分りませんが、書き損じがありましたので訂正して再投稿しておきます。



>太地町のイルカ漁はシーシェパードをはじめ、各国の環境保護団体から強い非難を浴びている。以下、非難を無視してまで、推し進める必要があるのかどうかを考えてみる。



非難に論理的な根拠が無いなら、寧ろ無視しなければならないのではないでしょうか?

「残酷」「野蛮」はただの価値観です。

水場の捕殺なので、血が水に混じって赤く映えますが、捕殺時に出血するのは山で獲る鹿・猪・ウサギ・野鳥なども同じです。しかしその血は土の上に落ちるので、想像力の無い人達を刺激しません。

「他の狩猟は即死だからいい」とか言ってる信じられないほど頭が悪い人も居ますが、銃を使っても即死は稀ですし、括り罠や檻や籠を使う場合など、即死どころか2日以上拘束監禁の苦痛と恐怖が続くわけですが、日本でも行われているそれら鳥獣への狩猟への反対/妨害キャンペーンなど、ご覧になった事はありますでしょうか?

もう45年も毎年豊漁である以上、資源量の心配は嘘ですし、仮に本当ならば「捕獲量を減らせ」で済む筈ですが、彼等は「すべて止めてしまえ」としか言いません。

「水族館」も、食用捕殺しかしないフェロー諸島でも同じ連中が反対キャンペーンで、逮捕者まで出してるので、単なる言い訳ですね。

「文化・伝統だから」というのは「民族や地元の象徴的な行為だから、継承するべき」という話ではありません。

特に食糧生産の場合、その土地や風土に合った食糧生産が、結果として「食文化」と呼ばれてる、という事です。

その地で地域の特性にマッチした食糧生産の技術が損なわれた場合、社会動乱時等の生存可能性が下がってしまう。

動乱時等、流通が絶たれ自前での食糧生産が生存を左右する時、捕鯨や鯨を食用とする技術があればその分食料は確保出来、生存可能性は上がる。要はその地域に合った食糧生産が「文化」と称されてるだけで、故に残さなければならない、という事です。

自然災害や社会不安が増大している昨今、別にそれほど大袈裟な話ではなく、現実に起こり得る問題だと思いますが、如何でしょうか?

つまり、一般の理解は順序が逆になっており、それ故それを「右翼的」だと批判したり軽視する原因になっているようです。



何故「食用に殺し、売ってはいけないのか?」という論理的な説明は何処にもありません。

どうして「鯨類だけは商業利用してはいけないのか?」という説明もまた、一切無いようです。

持続利用可能ならば、それをしてはいけない理由は存在しません。

何故に一部の人達の「鯨類の特別視」や甘えた感傷によって、生り業いや食習慣が妨害されるべきである、と考えられるのでしょうか?

少数派価値観は多数派価値観によって淘汰されるべきである、という事かな?

フェローの妨害もしている以上、「水族館」は批判の為の苦し紛れの言い訳。
WAZAの尻馬に乗って大騒ぎするも、それでは論理が破綻してるって事に気付きもしない・・・あまりにも浅ましいとは思いませんか?



こういった話をすると、反捕鯨/反イルカ漁の方は皆さん会話を拒絶なさいます。

一度でいいから。キチンと自身の立場を客観的な理屈を立てて説明できる方とお話がしてみたいものです。

_ cccpcamera ― 2015年09月30日 17時06分20秒

ひらばやし様。コメントありがとうございます。世の中にはたくさんの人がいるのだから、いろいろな考えがあるのは当然ですが、貴殿が「非難には論理的な根拠が必要である」とするのならば、この考えは奇妙に感じます。

 社会のルールは論理だけで決まるのではなくて、多くは合意によって決まっています。このことは、幼稚園以来社会生活を送るなかで学ぶことです。非難に論理的な根拠があってもなくても、社会合意に反している行為は非難されて当然です。このため、非難には論理である場合や感情論である場合など、いろいろなケースがあります。

 イルカの捕獲禁止は、今のところ国際社会の合意にはなっているとは言い難いので、反捕鯨派は捕獲禁止が国際合意になるように活動しているのでしょう。太地町がイルカ捕獲を続けたいならば、捕獲容認が国際合意になるようにすればいいのに、そのような努力や能力が見えないことが不思議でなりません。

 シューシェパードの活動は単なる感情論だと思います。シューシェパードに論理で対抗するならば、ネイチャーのような権威ある雑誌に学術論文を寄稿するとか、いろいろな方法があると思いますが、捕鯨派はどうしてそのようなことをしないのでしょう。
 シューシェパードが作成した映画は国際的に高い評価を得ています。反捕鯨の論理が優れているためではなくて、ドキュメンタリー映画としてデキが良かった、それだけのことのように感じます。このため、感情論で対抗したいのならば、もっとデキの良い映画を作れるなり、いろいろな方法があると思います。

_ ひらばやし ― 2015年10月01日 20時25分37秒

今回もまた書き損じがありましたので、訂正して再投稿しておきます。



コメントの掲載とご返答、有難うございます。



私も貴方の仰る事を非常に奇妙に感じます。

「論理的な根拠が無い非難」は唯の「感情論」「価値観の押し付け」ですよね。

これに一々従って生り業いを放棄していたら、社会は滅茶苦茶になります。

故に、それを非難するのならば、その根拠となる論理的な根拠提示が無ければならないのは、至極当然の事です。

無根拠に、自らの価値観のみに基いて他人の行いを非難するのが許されるのは、幼稚園児か小学生低学年辺りまででは?

そして仮に「合意」「多数決」で決めるのであれば、「それが多数派である事」を証明しなければなりません。

一体誰がいつ「全世界人口の多数派がイルカ漁反対である」というアンケートを採ったのでしょうか?

単に声の大きい者、メディアを利用して喧伝した者、より大衆を騙すのが巧い者、がそれを多数派に見せているだけ、ですね。

そしてそれはナチスドイツがドイツ国民をユダヤ人差別と戦争と大虐殺に誘導したプロパガンダと全く同種の物です。



 ※ 「今現在、経済やハリウッド的な価値観の洗脳から欧米の支配力が強い、という事実があるから、従ってしまおう」



これでは、物事の正しさは反映されず、単に今現在の「カースト」がより強固になるだけ、ですね。

貴方は「イルカは食用捕殺してはいけない」「イルカ漁は誰の価値観に照らしあわせても、残虐なので、してはいけない」という全人類的な「合意の存在」を示せますか?

そんな事を調べるのは現実には不可能でしょう?ならば、ナチスドイツ式のプロパガンダに洗脳された声の大きい馬鹿者どもに、「他の狩猟者と変わらない事をしているだけ」の人達の生活が壊されるのが正しいのかな?

逆に「価値観以外の、してはいけない理由」が無い以上、ナニをしても自由、というルールを決めれば、全ての価値観を持つ人たちが不平を持たず、地球上の資源を有効利用しながら繁栄できます。

「ネットやニュースで非難されたり、デモされたりしてるから」「IWCで勧告が出たから」は「合意」ではアリマセン。

単に貴方や、イルカ漁に反対してる人達が「合意しない」と言ってるだけ、です。

これで他人様の生活を奪う事は唯の悪しき全体主義であり、プロパガンダ洗脳に操られたファシズムですね。



とりあえず、国際機関における「合意」という事で言わせて貰えば、今現在、IWCで資源管理対象となってるのは大型鯨類13種のみで、所謂「イルカ漁」=沿岸小型捕鯨はIWCによって「各国政府自治体によって資源管理するべし」と決まっております。

貴方の伝で言えば、これに関して「合意」「多数決」があるのは「小型鯨類は各々が資源管理しながら利用していい」という事です。

貴方達が論理的な根拠を持ってイルカ漁の差し止めや改善を求めるならば、最低限、IWC本会議場で3/4以上の得票を得た上で、その資源管理をIWCに委ねるべく手続きをとらねばなりません。



>シューシェパードの活動は単なる感情論だと思います。シューシェパードに論理で対抗するならば、ネイチャーのような権威ある雑誌に学術論文を寄稿するとか、いろいろな方法があると思いますが、捕鯨派はどうしてそのようなことをしないのでしょう



「学術論文」とは?

単純に「してはいけない理由」が存在しない、食物生産に関し、ナニを論文に書くのでしょうか?

貴方は「シーシェパードは感情論」だと仰ってますが、ならば「イルカの資源量への懸念」など無関係ですので、論文など書きようがアリマセン。

鹿・猪・兎・野鳥、その他の沢山の狩猟食物生産は全世界で行われておりますし、欧米では単に剥製製造や遊びの為のスポーツハンティングまで行われていますが、明らかに違法な場合を除いて、それらは誰による批判も妨害も受けません。

捕殺の瞬間を映像に撮ってネットに上げられ、散々野蛮人だの残虐だのと非難され、ネガキャンされてるのは鯨類を除けば、後は精々がアザラシ猟(これもSSが妨害してる)だけ。

とにかく、「論文」に関しては意味が不明ですので、詳細な説明をお願いします。

今回、ようやく日本側からアンサー映画が製作されたようですが、私はまだ未見であります。

しかし、貴方が考えている様な意味での実効性はあまり無いかと思います。何故ならば貴方をはじめとする多くのイルカ漁反対派には最初から理屈と云う物が存在しないから。



何れにせよ、感情論と価値観の押し付けしか根拠を持たれていないのは再度確認が出来ました。

賛成派の「食って何が悪い?」は「してはいけない理由」の一つも提示できない者達から非難されれば当然出る反発です。

これを「感情論」と言いたいのならば、先ず「感情論ではない根拠」を示しましょう。



今回、期待していなかった掲載とご返答をいただけましたので、折角なのでこの成り行きをイルカ漁賛成派/反対派双方に確認してもらうべく、幾つかの場所にリンクを貼らせて頂きました。

再度のお返事をお待ちしております。

_ めぐる ― 2015年10月01日 22時31分36秒

>シーシェパードが作成した映画「ザ・コーヴ」は、2010年にアカデミー賞を受賞した。この映画には、イルカショーが残酷であるとして批判するメッセージと、太地町のイルカ屠殺は残酷であるとする2つのメッセージが含まれている。前者については、WAZAの決定により、日本の多くの水族館も太地町イルカ購入を断念した。

「The Cove」を作成したのは、シ―シェパードではないと思うのですが…シーシェパードが関わっていたか否かまでは知らないのですが…。


太地町のイルカ屠殺に関して、以下の二つの論文が参考になると思います。

・A Veterinary and Behavioral Analysis of Dolphin Killing Methods Currently Used in the “Drive Hunt” in Taiji, Japan

・和歌山県太地町のいるか追い込み漁業における捕殺方法の改善



>どちらの感情論が国際的共感を得ているかといえば、シーシェパードの圧勝だろう。今後、和歌山県や太地町は、感情論をやめて理性で説得するか、国際的共感を得られるような情報発信が必要なのに、そのような努力も能力も欠如しているようだ。情報を隠して、警察と海保で取締りをするだけの対応では国際理解は得られない。

>「残酷」「野蛮」はただの価値観です。

>WAZAの尻馬に乗って大騒ぎするも、それでは論理が破綻してるって事に気付きもしない・・・

ブログ主様の「感情論をやめて理性で説得するか、国際的共感を得られるような情報発信が必要」ということが具体的にどのようなことを言わんとされているのか分からないのですが、国際的共感を得るためには、国際社会が言うところのANIMAL WELFAREにかなったイルカの取り扱いをしていると主張しそれが認められることしかないと思います。もっとも何がなんでもイルカを利用するなという人たちの共感は得られないとは思いますが。

WAZA のホームページでAnimal Welfareを検索されると、いくつかの項目が出てきますので、これらをお読みになるといいのではと思います。また、これらの項目の中のAnimal Welfareのところにある文章の最後にThe World Zoo and Aquarium Animal Welfare Strategy will be published in October 2015.と書かれていますが、一読する価値があるのではないでしょうか? 焦点を当てて議論すべきなのは、イルカの取り扱い方法の如何の一点だと思います。 「残酷・野蛮はただの価値観です。」というような主張は、国際社会に通用しないと思います。

_ ひらばやし ― 2015年10月03日 10時32分55秒

再度のコメントの掲載、有難うございます。



めぐる様。


別の価値観を持つ者達、部外者から「共感」を得なければ、「生り業い」を止めなければならないのかな?

猪・鹿・熊・兎・野鳥の狩猟従事者は、その仕事の仕方が、部外者からの「共感」を得て、それによってその生り業いが継続できてるのかな?

そも、彼等の仕事、その捕殺の瞬間を、誰か観た事があるのかな?それが評価・論評・考証の遡上に上がった事が有りますか?

その捕殺の様子が動画に撮られ、ネットに上げられて大騒ぎされてるのは、少なくとも合法狩猟では捕鯨イルカ漁とアザラシだけ。違法狩猟ですらほとんど無いよね。


>「何がなんでもイルカを利用するなという人たち」


が意見を変えないというのは貴方自身も知っている事ですから、「殺し方・扱い方」ではなく、「イルカだから」です。

そして、他の狩猟対象動物や畜産動物(の「死の瞬間」ではなく、その「生涯の苦痛」)と比較し、「どちらが、どんな理由でより悪い」という基準が決められない以上、それは「イルカを利用させない為の言い訳」でしかアリマセン。

最初のコメントにも書きましたが、多くの狩猟対象動物の苦痛や恐怖が「イルカ漁対象のイルカより  小  さ  い  」とどうやって判断しますか?

「畜産動物の生涯に亘る苦痛と、『野生の被捕食者として受ける苦痛と大差無い苦痛』しか受けないイルカ、どちらの苦痛がより大きい」と誰に決められる?

全人類的な「ヒトが利用する動物の苦痛に関する基準」など、どうやって決めたらいいと思いますか?

「致死時間」?

「苦痛とは死の瞬間、痛覚で感じるモノだけである」?

その論文にしても欧米的な価値観での「残酷」を軸にしてるだけで、何の意味もアリマセン。




フェロー諸島での食用目的のみイルカ漁にも同様の妨害がされている以上、「水族館」や貴方が言ってる「Animal Welfare」「国際的共感」は単なる  『  言  い  訳  』  でしかアリマセン。


初夏あたりにWAZAの騒ぎがあったころ、WAZAは「捕殺や捕獲の仕方が『非人道的』・『残虐』であるから」という理由で改善を求めましたが、具体的に「ナニが、どう残虐で、どう非人道的なのか?」という説明を一切しないままでしたね。何故だと思いますか?

それに関して反対派と議論をしていましたら、彼女は苦し紛れに

「イルカは耳が良いから、選別された後、移動させられる前に同じ群れの食用に選別された個体が同じ湾で殺される時にその悲鳴を聞くのが残虐だ」

と。成る程、これは受け入れるかどうかは別として「だから、残虐である」という説明にはなっていると思いました。

ですが、何故それをWAZAは太地漁協に説明しなかったのか?と疑問が起きるのは当然ですよね。

結論はすぐに出る。

「太地漁協に、その『残虐』改善への対処をされては困るから」

です。生体販売用の個体を移動させるまで、食用個体の捕殺を待てばいいだけ。だから、対処自体は簡単です。でも、それを敢えて説明しない。

なんら具体性の無い「残虐・非人道的」という価値観・感性由来の要請に従ってしまう事は奴隷と同じです。故に、太地がそれに従えない事を知ってて、その具体的な説明をしなかった、という事です。

対処されると何故困るかって?

反捕鯨団体の圧力で動いてる彼等が本当に求めてるのは「イルカ漁の残虐さの軽減・改善」ではなく、「イルカ漁そのものの廃止・その為の圧力」ですから。

太地が対処せず、それを理由にもっと言い掛かりの圧力を高める事が目的だから、です。



> 「残酷・野蛮はただの価値観です。」というような主張は、国際社会に通用しないと思います。


現実に価値観でしかアリマセンので。

「多数派の価値観によって少数派の価値観は潰されても良い」?

これも最初のコメントに書きましたが、「食文化」とはその地域の特性、その地で生産出来る食料によって決まりますから、それは即ち社会動乱時の生存を左右する、という事です。

当然「イルカは食用として殺してよい動物である」という価値観も、その地で生きる為の食糧生産をしてきた人達にとって、極自然に形成されてきたものです。

それを全く無関係の者達の価値観によって破壊されてしまう事を認めるのは、「国際社会の価値観だから」と、「してはいけない理由」も無いまま「長い物」に巻かれてしまえば、将来起こり得る動乱時、その地に住む人々の生存可能性が、そんな下らない感傷によって下がってしまう、という事ですよ?

鯨・イルカの捕獲方法、解体の技術や加工保存の知恵が損なわれてしまえば、その分食糧生産は減り、生存可能性も小さくなります。

太地町の人達が自分達の意思で止めるのならば、それによってその子孫の生存可能性が下がるのは自業自得です。

また、イルカの資源量が絶望的に下がって、即座に捕獲を止めなければ絶滅してしまう、などという状況ならば、絶滅しては太地町民にとっても元も子も無いので、それは「してはいけない理由」になります。

しかし、外部の感傷価値観に依拠した要請に従ってそれを受け入れるべき、というのは

「将来の太地町民の生存可能性よりも、自分達の価値観を押し付けたいだけの馬鹿どもの感情を優先する」

という事です。

それゆえ、私は「論理的な根拠の提示が無い相手には従ってはいけない」と言っています。

「国際社会」や「共感」などといった「空気読め」的な曖昧模糊としたものは「論拠」にはなりません。

その様な「虎の威」ではない、客観的で具体的な「してはいけない理由」を元にハナシが出来ないのならば、それは何処まで行っても「価値観の押し付け」でしかアリマセン。

このコメントのやり取りは幾つかの場所で注目してもらってるようで、引き続き実の有る応答をお待ちしております。

_ cccpcamera ― 2015年10月05日 12時59分18秒

めぐる様
ご指摘ありがとうございます。また、論文の紹介ありがとうございます。
The Coveを作成したのはルイ・シホヨス監督ですので、そのように元記事の記述を訂正しました。

_ めぐる ― 2015年10月05日 22時35分24秒

平林様

SNSの発達で世界各国における様々な過酷な動物の扱いの事例が容易に入手できるようになりましたが、イルカ漁を批判している海外の人々が属する国においても家畜や野生動物の過酷な扱いが皆無ではありません。ただ、だからと言って、「あなたの国では、カンガルーを殺しまくってるじゃないですか?イルカ漁の批判できないでしょう?」というような方向に議論が展開するのは賢明じゃないと思います。

家畜や野生動物の取り扱いの如何について論じる場合、そこに過酷な取扱いなどの問題があるならば、対象とする個々の動物に焦点を当てて、別々に論じるべきだと思います。

平林様は、「残酷・野蛮はただの価値観」と捉え、シーシェパードやその他の反イルカ漁の方々の主張を念頭において発言されておられるようですが、イギリスにおいて、劣悪・過酷な家畜の取り扱いを改善すべく生じた動物福祉の考え方は、現代の欧米社会において広範囲に見られるのではないかと思いますし、我が国においても少しずつ広まってきています。もしAnimal Welfareを欧米的な価値観の押し付けのように捉えるとしたら、西洋社会で生まれた動物園や水族館なども肯定できなくなるのではないかと思います。


欧米におけるアニマルウェルフェア -動物福祉畜産の動向-

http://www.nochuri.co.jp/report/pdf/nri1205ki1.pdf

農林水産省
平成25年度海外農業・貿易事情調査分析事業(欧州) 報告書
第III部 EUにおける動物福祉(アニマ ルウェルフェア)政策の概要

http://www.maff.go.jp/j/kokusai/kokusei/kaigai_nogyo/k_syokuryo/pdf/h25eu-animal.pdf


動物福祉に関してEUの動き

http://www.nlbc.go.jp/ibaraki/AnimalWelfare/animal_welfare_3.htm


>初夏あたりにWAZAの騒ぎがあったころ、WAZAは「捕殺や捕獲の仕方が『非人道的』・『残虐』であるから」という理由で改善を求めましたが、具体的に「ナニが、どう残虐で、どう非人道的なのか?」という説明を一切しないままでしたね。何故だと思いますか?

WAZAのホームページにTaiji Dolphin Drive Hunt  Qs&Asというのがありますが、やはり、具体的な記述は、ほとんどありません。何であれ、他者が言葉にしなかったことの理由は分からないです。推測ですが、「ナニが、どう残虐で、どう非人道的なのか?」ということは、太地町に滞在する反イルカ漁の人たちが発信する情報でしか知り得ないわけで、WAZAにとっては間接的に得た情報でしかなく、そのことに言及することを避けたのかもしれません。

>これも最初のコメントに書きましたが、「食文化」とはその地域の特性、その地で生産出来る食料によって決まりますから、それは即ち社会動乱時の生存を左右する、という事です。当然「イルカは食用として殺してよい動物である」という価値観も、その地で生きる為の食糧生産をしてきた人達にとって、極自然に形成されてきたものです。

野生動物は、国民の共有財産とも言われますから、「哺乳類であり知的で社会性のあるイルカを利用すべきではない」という考えも「イルカは食用として殺してよい動物である」という考えと同等の価値を持つのではないかと思います。ただ現実的に捕獲や捕殺が行われているわけですから、そこには動物福祉の適用があって欲しいと思います。

また、将来起こり得るかもしれない食料危機に備えることはとても重要だと思いますが、今現在の人口を考えると、海の生き物もあっと言う間に捕り尽くされてしまうでしょう。日々の食料を全面的に他者に頼らないという意識を皆が持つことが重要なのではないかと思います。さらに言えば、人の食料が不足するような時は、動物を養う余裕もなくなるはずなので、動物園や水族館の生き物は大丈夫なのか心配になります。

_ めぐる ― 2015年10月06日 07時38分26秒

訂正です。

野生動物は、国民の共有財産とも言われますから、「哺乳類であり知的で社会性のあるイルカを利用すべきではない」という考えも「イルカは食用として殺してよい動物である」という考えと同等の価値を持つのではないかと思います。

と書きましたが、イルカは、陸の野生動物ではなく広い海を泳いでいる海の野生動物なので、どこかの国の共有財産と考えるのは妥当でなく、誰のものでもないと考える必要があるかもしれません。あるいは、人類の共有財産とでも考えるのがよいのかもしれません。。

いずれにせよ、捕りたいという考えと捕るべきでないという考えは、やはり同等の価値を持つのではないかと思いますが、この場合は、考える主体が全人類になるということなのでしょうね。現実的には、たとえば、さんまが海外の漁船に先取りされて日本の漁獲量が大幅に減少しているというニュースがありましたが、捕った者勝ちになるということでしょうか。

_ cccpcamera ― 2015年10月06日 09時04分33秒

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