アイヌの遺跡2008年10月25日

アイヌの遺跡

日本人の北方進出を顕彰するような碑がいくつもありますが、先住民の遺跡はぞんざいな扱いです。
写真は、納沙布岬にある、チャシ跡を示す標識。草に覆われた中に、ポツンと立っています。道路から近いのでたどり着けましたが、訪ねる人など誰もいないといった雰囲気でした。

アイヌの遺跡2008年10月25日

西月ヶ岡遺跡

根室近郊にアイヌの遺跡「西月ヶ岡遺跡」があります。出土品の一部は、標津町ポー川史跡自然公園などにも展示してあるようですが、広大な遺跡自体は荒れ果てた土地で、訪れる人もほとんどいません。写真は、隣接道路から撮ったもの。標識も朽ちていました。

アイヌの遺物2008年10月25日

アイヌ遺跡出土貨幣

アイヌの遺跡はあまり見向きもされてない雰囲気ですが、資料館には多少の遺物の展示があります。でも、少ない。
写真は、根室市歴史と自然の資料館(北海道根室市花咲港209)の、根室半島アイヌ遺跡の出土貨幣。

上3枚は皇宋通宝、下4枚は洪武通宝で、ともに、中国からの渡来銭です。
皇宋通宝は日本の平安末期ごろの北宋で鋳造され、洪武通宝は日本の室町時代に、明で鋳造されました。ただし、これらの中国銭は、日本に大量に輸入され、更に、日本国内でも、私鋳されているので、写真の貨幣がいつの時代にこの地にもたらされたのか、定かではありません。中国で鋳造されたものか、日本で鋳造されたものなのかは、貨幣の字体を見ればわかるはずですが、私には知識がないのでわかりません。)
どのような経路で、根室のアイヌにこの貨幣がやってきたのかわかりませんが、アイヌと日本との交易で渡島半島からアイヌ社会に入って、その後のアイヌ同士の交易で、根室までやってきたと考えるとちょうど良いように思います。

『中国の貨幣だから、ここは中国固有の領土だったに違いない』と考える人は少ないと思います。

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