クナシリ・メナシの戦い 横死七十一人之墓2008年10月18日

クナシリ・メナシの戦い
 
写真は、納沙布岬に立つ、クナシリ・メナシの戦いで死亡した日本人71人の墓標。

碑の裏側には文字が刻まれていますが、苔が生していて、読める状態では有りませんでした。「クナシリ・メナシの戦い(根室市博物館開設準備室 根室歴史研究会)」によると、現代語訳にすると 、次のようになります。
 『寛政元年五月に、この地の非常に悪いアイヌが集まって、突然に侍や漁民を殺した。殺された人数は合計七十一人で、その名前を書いた記録は 役所にある。あわせて供養し、石を建てる。』

 碑文をそのまま信じると、アイヌは悪い奴だったような気がしますが、実際は全く逆で、当時、日本人の横暴でアイヌは生存の危機に直面していました。日本人が徹底的に弾圧して、その結果としての蜂起なのだけれど、蜂起の被害に遭うとそれだけを取り上げて、相手が凶悪であるようにいい連ねる。

 今、「日本人の誇り」などの言葉で、日本人が被害にあったことだけを強調して、周辺諸民族に対する日本人の優位性を主張する動きがあります。昔と比べて、進歩してないですね。


碑の隣に説明看板が立てられ、そこには、以下のように、史実を中立的に説明しています。

 『寛政元(一七八九)年五月、国後島とメナシ(現在の標津町付近)のアイヌの人々が、当時この地域の場所請負人であった飛騨屋久兵衛の丸配人らに脅されて、僅かな報酬で労働を強いられ、やむなく蜂起し和人七十一人を殺害した。
 松前藩は、ノッカマップ(根室半島オホーツク海側)にアイヌの人々を集め蜂起の指導者三十七人を処刑した。このできごとは、"寛政クナシリ・メナシアイヌ蜂起"と称されている。(以下省略)』

クナシリ・メナシの戦い ノッカマップ・イチャルパ2008年10月18日

チャシ跡

 クナシリ・メナシの戦いで、松前藩は蜂起した31人のアイヌを処刑しました。現在、処刑場所となったノッカマップで毎年9月の終わりごろにアイヌの人達による慰霊祭(ノッカマップ・イチャルパ)が行われています。
 ノッカマップ・イチャルパが行われている場所が知りたかったのですが、探してもどこだかわかりませんでした。

 写真は、ノッカマップのチャシ跡(アイヌの遺跡)をものすごく遠くから撮ったもの。途中の道が、笹に覆われて、近づくことができませんでした。アイヌの遺跡は、誰も見向きもしないようです。
 でも、それにしても、道の笹ぐらい刈ればよいのに。自分が地元民ならば、そのぐらいのことをしてもよいと思いますが。根室には、ボランティアに参加する人がいないのかな。皆、年寄りで、草刈どころではないのかな。

お願い:
 ノッカマップ・イチャルパはどこで行われるのか、ご存知の方、教えていただけませんか。また、ノツカマフ1号・2号チャシ跡に行く道は、いつも笹に覆われているのでしょうか。観光シーズン終了のときだったから、笹に覆われてしまったのでしょうか。

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