ホームページ復旧2013年06月01日

ホームページ復旧しました。
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ホームページ追記2013年06月01日

北方領土問題 参考文献 に追記しました。
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本の紹介 最後のシベリヤ捕虜記2013年06月02日

 
 
『最後のシベリヤ捕虜記 実体験から「抑留問題」を問う』 松本宏/著 1993.3 (MBC21)

著者は、昭和20年8月から昭和23年5月までシベリアに抑留されていた。シベリア抑留では、食料が極端に少なかった等の話が多いが、食料の供給方法を詳述した本は少ない。本書の著者は、日本側の主計として、捕虜部隊の食料を受け取る任についていた。
 本書の内容は、シベリア抑留されたいきさつや、期間の様子なども記載されているが、なんと言っても、抑留中の食料支給方法が述べられている点で、類書との大きな違いがある。シベリア抑留の実態を理解するうえで、必要不可欠の本だ。

 本書の記述によると、著者は、イルクーツクで捕虜になっていたときに、抑留者側主計として、ソ連側から食料を受け取る役を務めていた。本書の記述によると、定められた食料を受け取り、内容確認後、署名して、受け取りが完了するわけであるが、ソ連側は、少なく渡すとそれが賄賂になるので、なるべく少なく渡そうとするため、交渉が大変だったとのことである。旧日本軍ならば、ビンタで解決するところを、ソ連では交渉で解決するため、時間がかかったと記している。日本側主計が、ソ連側と共謀して、不正を働いたならば、日本人捕虜の食料は大幅目減りしていただろう。著者は、そのような不正をしなかったために、本書を執筆したものと思われる。
 シベリア抑留では、食料が極端に少なかった等の話が多いが、どのような不正が行われたのか、不正に、日本軍将校がどの程度関与していたのかを考える必要があるようだ。

本の紹介-日本の領土問題と海洋戦略2013年06月03日



   日本の領土問題と海洋戦略―尖閣諸島、竹島、北方領土、沖ノ鳥島』 中内康夫 他/著 2013.1.25(朝陽会)
 
   
   参議院外交防衛委員会調査室調査員を務める4氏による執筆。
 本書の内容は、日本の領土問題に対する日本政府の立場の説明。対立国の主張も若干含まれている。領土問題では、事実と、日本政府の主張、対立国政府の主張があるが、本書では、それらが明確になるように記載されており、日本政府の主張と根拠が容易に理解できるようになっている。
 日本の領土問題に対する日本政府の説明は、政府発行の無料パンフレット等で容易に知ることが出来る。本書も、その域を出ているわけではないが、事実と日本政府の主張を区別して理解できるように書かれており、日本の主張を理解するうえで参考になる。ただし、事実の中で、日本に都合の悪いことは、あまり書かれていないので、この本を読んだだけでは、正しい事実認識は得られないだろう。

 日本政府の見解であるので、記述内容には一定の限界がある。
 P20に尖閣を「中国・台湾も以前は日本領と認めていた」との項があり、その根拠として、以下の3つをあげている。
 ①1920年の中華民国駐長崎領事からの感謝状に「日本帝国沖縄県・・・尖閣列島」とある
 ②1953年の人民日報に「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」に尖閣が含まれている
 ③1960年発行中国地図には尖閣が沖縄に含まれている
 この記述だけを読むと、日本の主張に問題なさそうに感じるだろう。しかし、①については、この時代は、台湾が日本領だったので、尖閣は日本であることは明らか。また、日本の行政区域では沖縄の管轄なので、このように記載するのは当然だ。
 ②については、ちょっといただけない。この時期に日本の文部省検定済み教科書には、沖縄と日本の間に国境線が書かれ、沖縄にはアメリカ信託統治領であることを示す[ア信]の表示があるものもある。尖閣が日本の言うアメリカ信託統治領であったことを示しているに過ぎない。
 ③は最悪。日本の文部省検定済み教科書には北方領土がソ連領になっているものなど珍しくない。

 竹島の記述にも疑問がある。P38に以下の記述があるが、これで良いのだろうか。
鳥取藩の町人が幕府から鬱稜島への渡航免許を受け、鬱稜島で漁猟に従事しており、その際、途中の船がかりやアワビの漁採の好地として利用されていた。これにより、日本は遅くとも江戸時代初期に当たる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立していた。
 この記述は、外務省のパンフレットの引用なので、これ自体問題はないのだが、それでは、途中の船がかりや漁場として利用されていたならば、領有権が確立されていたと言えるかとの問題が起こる。尖閣は、中世において、清国が標識島として使っていたことは明らかだが、これに対して、日本政府は、国際法上有効に領有していたものではないと主張している。中世の日本の竹島利用と、清国の尖閣利用にはどれほどの違いがあったのだろうか。日本政府内で、竹島・尖閣・北方領土対応部署が違うから、それぞれの論拠に整合性が取れていないのではないだろうか。

 北方領土については、事実を淡々と書いているようで、その点は好感が持てる。
 たとえば、P68には、サンフランシスコ条約締結国会では、条約で放棄した千島列島に択捉島・国後島の、いずれも含まれるとの解釈が示されていた事実が、書かれている。
 また、P71には、1956年の日ソ国交回復のときに、領土問題が解決しなかった理由として、米国の圧力があった旨、記載されている。
重光外相はロンドンにおいてダレス米国務長官と会談し、交渉経過を説明したが、その際、ダレス長官から、日本がソ連の2島返還案を受諾した場合には、当時米国の統治下にあった沖縄を日本には返還しないとの圧力があったとされている。
 ただし、多くは、日本に都合の良い事実のため、北方領土問題全体の理解には制限はある。

本の紹介-尖閣激突2013年06月04日


『尖閣激突 日本の領土は絶対に守る』山田吉彦・潮匡人/著 (2012.11)扶桑社


 特に、お薦めする本ではない。

   元自衛官で拓殖大学客員教授の潮匡人氏と、東海大学教授・山田吉彦氏の対談。両氏ともに、右系親米保守の論客なので、基本的考えは近いのだろうけれど、一致しないところも多々あり、対談形式だと、両氏の論が分かりにくい。2人の別々な論文にしたほうが読みやすかったと思う。
 対談の内容は、尖閣をどう守るか、中国にどう対処すべきか、これまでの対応は正しかったか、このような観点で一貫している。

   尖閣問題を論じるときには、歴史的側面や外交問題などを話題とすることも多いが、本書は、軍事政策的側面に絞って議論している。尖閣問題の全体像を本書だけで理解することはできないが、軍事政策に関心のある人は、一読して損は無いかもしれない。しかし、私は、軍事にあまり興味がないので、本書の評価はできないし、読んでみて、特に有意義と思えるところは無かった。

 2012年8月15日、香港の活動家が尖閣に上陸し、日本の警察により逮捕・強制送還される事件があった。この事件に対して、著者の二人は、上陸を許した点を批判し「第2の敗戦」の章題をつけている。冷静に判断したら、この事件では、尖閣が日本の実効支配下にあることを、国際的に知らしめたので、その点で、日本の100%勝利だ。わざと上陸させて、逮捕したのかもしれない。もし、この事件で、中台が有利になると考えるならば、竹島や北方領土に上陸して逮捕されれば良い。こんなことをする日本国民がいたら、確実に、日本の不利益になる。

 著者の一人の潮匡人氏は、右翼論客と言われることもあるけれど、ずいぶん傲慢な人のようだ。現在の国境線について次の発言をしている。『日本は敗戦国。…戦勝国が築いた国際秩序に従う以外、選択枝はありませんでした。勝者から領有権の放棄を求められ、やむなく受け入れたのが現在の国境線です。元々がギリギリの最低ラインなのです。(P173)』
 日本国と天皇が受諾したポツダム宣言では、日本の領土は、4大島と、連合国が決める島とされていたが、その後、日本は、米国の衛星国的存在になることを含め、外交努力や国民の運動によって、沖縄・奄美・小笠原の復帰を勝ち取ったのであって、このような先人の努力なしに、現在の日本の領土があったわけではない。

 P184でも、おかしなことを言っている。もともと、日本は清国に配慮して、尖閣を領有宣言しなかったが、日清戦争を機に領有宣言した。この件に対して、潮匡人氏は、『昔から中国に対する配慮だけは一貫していたわけですね(笑)。』と言っているが、外交に限らず、町内会のつきあいでも、近隣に配慮するのは当たり前ではないか。

 山田吉彦氏の発言に興味をひかれたところがあった。
 中国が尖閣領有を主張するのは、石油があるからだなどと、いい加減な論調が日本ではまかり通っている。これに対し、山田氏は『じつは、魚釣島の近くには深い開港があり、潜水艦の潜航に適しています。中国があそこにこだわるのは、言われている資源の問題だけではなく、そうした軍事的な事情が潜んでいます。(P144)』としている。政治は、経済だけで動くわけではなくて、内政・外交・軍事・経済が一体化しているのであって、中国の尖閣領有主張にも、内政・外交・軍事・経済が含まれていることは明らかだ。

高校教科書 詳説日本史(山川出版)2013年06月05日


 高校生用の日本史教科書 詳説日本史(山川出版)買いました。10年ぶり。手元にあるのが古くなっているだろうから、そろそろ最新のをと思って。学習指導要領が変わったので、内容も若干変わってるはず。日本史を履修する高校生の多くが、この教科書を使っており、大学入試で日本史を受験するためには、必修の教科書になっています。
 歴史認識は、人のよって異なっても良いけれど、詳説日本史の記述が、一応、標準的な日本史観です。

 最近、日韓関係で歴史問題が話題だけれど、詳説日本史では、韓国併合について、次のように書かれています。



P297
 総督府は,地税賦課の基礎となる土地の測量,所有権の確認を朝鮮全土で実施したが(土地調査事業),その際に所有権の不明確などを理由に拡大な農地・山林が接収され(注1),その一部は東洋拓殖会社や日本人地主などに払い下げられた。

 (注1)これによって多くの朝鮮農民が土地を奪われて困窮し,一部の人びとは職を求めて日本に移住するようになった。

本の紹介 国境のインテリジェンス2013年06月06日


『国境のインテリジェンス』 佐藤優/著 徳間書店 (2013/3/27)

 著者は、鈴木宗男事件がらみで逮捕され有罪となった元外務省職員。外務省失職後は評論家・文筆家として活躍している。

 本書は、日本の領土問題・外交問題について、数ページの記事をまとめたもの。テーマを定めて、系統的な論述をしているのならばよいが、そうではなくて、その時々の問題に対して、ちょっとした解説をしている内容なので、今となっては鮮度のないものが多く、読んでいてつまらない。

本の紹介-開港慰安婦と被差別部落2013年06月08日

 
 
開港慰安婦と被差別部落 川元祥一/著 (1997/8) 三一書房

 ペリー来航で、日本は、開国をすることになるが、その後、1860年5月、横浜に、幕府は外国人用の売春場を作った。開港慰安婦とはそのときの売春婦のこと。なお、長崎稲佐にも、同年に、ロシア人相手の売春場が作られている。本書は、横浜の外国人用売春場が作られたい経緯について書かれている。
 時代は下がって、1945年に日本が敗戦し、進駐軍が上陸することになると、政府は米軍人相手の売春場を作った。これをRAAという。本書のもう一つの話題は、RAAを作った経緯とRAAの売春婦の話題。
 本書は、横浜を話題にしているため、長崎稲佐の話題はない。しかし、どちらも、幕府が作った外国人専用の遊郭であり、時期もほとんど一致するので、両者の開港慰安所を比較検討する必要があるように思う。

 開国すると、米国人が日本に入ってくるわけだが、幕府は何とかこれを水際で阻止して、出島方式のような状況を作りたかった。このために、開港地と定まった神奈川ではなく、当時近隣の寒村だった横浜を開港地とし、そこに、遊郭を作って、外国人が国内に流入するのを防ごうとした。1860年5月に横浜遊郭が完成するものの、当時の攘夷論激しい世相を反映して、肝心の遊女が集まらなかったため、被差別部落民を遊女にしたとのことだ。
 開港慰安婦は、外交のために、幕府が中心になって作ったもので、それは、終戦時のRAAに繋がっている。さらに、戦時中に、主に朝鮮人女性を集めて、従軍慰安婦にしたことにも繋がる。(ただし、従軍慰安婦は本書の話題ではない。)
 被差別部落民を遊女にしたことと関連して、明治政府内部には、開港慰安婦を「奴隷」と認識している文書もあり、慰安婦は「性奴隷」との認識は、明治時代の早い段階で、すでに存在していた。

AKB総選挙2013年06月10日

地方の台頭
 今回の総選挙の特徴は、なんといっても、HKT,SKE,SNH,NMBと地方の台頭だ。遅れて出来たのだから、人気が出るのが遅くなるという当たり前の結果であり、驚くことは無い。
 
  
   
 
主要メンバー
 第1回から上位の主要メンバーの得票を図示すると次のようになる。横軸は回数。縦軸は得票数。第3回総選挙は、皆さん、ちょっと上がっている。
  

次の図は、第3回を消したもの。総監督もグラフから省いている。第3回がちょっと高い理由と、総監督の第4回が少し高い理由は分からないが、これを除くと、どの子も、ほぼ直線的に増えているのが分かるだろう。

  
  
最年長で、アイドルにはちょっと痛いお年の麻里子様と、今が旬のはずのまゆゆを比較してみよう。

  
 二人の得票数は第1回からあまり変わらない。第3回の後、あっちゃんが抜けて、次世代エースとしとまゆゆが浮上しなくてはならなかった。確かに、第4回から二人の順位は逆転しているけれど、得票差はわずか。センター付近で活躍しているまゆゆと、端や後ろに回された麻里子様の人気が同じようなのは、どうしたことか。
    
 一年間、センターやセンター付近を務めたパルルは12位と振るわなかった。運営側がいくら押しても、なかなか上がれないようだ。総選挙のとき、ひな壇に座っているパルルの目つきを見ていると、いまひとつの理由も、何となくうなずけるような気がする。もっとも、優子・まゆゆ・麻里子様など、今年一年で25000~28500票程度の上乗せに対して、パルルは42000以上、上乗せしたのだから、センターを務めたことには、一定の効果はあったようだ。
  
 以上のように見ると、AKBメンバーの人気は、メンバー個人の問題が大きいように思う。握手会の対応とか、AKB以外の活動とか、いろいろなことがあるのだろう。
  
  
卒業
 AKB総選挙では、麻里子様卒業の発表があったけれど、そうなると、こじはるが最年長となるのだろう。さいたま市宣伝部長を務める(?)こじはるは、今後もAKBを続けるのだろうか。
 ということで「にゃんまりん」の得票数の比を書いてみた。横軸は回数、縦軸は、こじはるの得票÷麻里子様の得票。2回目は麻里子様が健闘したので、グラフが下がっているけれど、それを除くと、徐々に右肩下がりで、下がり方がだんだん大きくなっている。
  

         
 麻里子様に比べて、こじはる人気は低下傾向にあること、逆に言うと、こじはるに比べて、麻里子様人気は上昇していたと言える。人気上昇中の麻里子様は卒業の必要なかったのに、とも思える。でも、麻里子様が卒業なのだから、こじはるも、来年までいないかもしれない。
 美女がいなくなって、代りに芋ねーちゃん。見てくれが悪くなるなー。

本の紹介 竹島に行ってみた!2013年06月12日

 
『竹島に行ってみた!マスコミがあえて報道しない竹島の真実』 古谷ツネヒラ/著 (2012/11/16) 青林堂
 
 現在、竹島は韓国の実効支配下にあるので、竹島に上陸するためには、韓国の国内法に従った外国旅行となる。このため、日本政府は、日本国民に対して、韓国領であるとの前提に立った竹島旅行を自粛するように求めている。
 
 本書は、日本政府の自粛要請を無視して、竹島に上陸した時の旅行記。個人の考えが日本政府と違うこともあるので、韓国の実効支配に有利になるような旅行も悪いとは言えないが、著者は、このような旅行が、国際政治の場で、日本の領土要求に不利になるとの理解がないように見受けられる。
 日本政府の自粛要請を無視する形で竹島に旅行したジャーナリストには、西牟田氏や山本氏などがおり、それぞれ著書がある。
   
 本書は竹島旅行記であるが、鬱陵島の独島博物館の見学記なども含まれる。しかし、一冊の本を書くには内容が乏しいと見えて、話が冗長。韓国渡航に際して、ヨドバシカメラで電気コンセントの変換アダプターを買った話など、どうでもいいようなことが、グチャグチャ書かれている。また、鬱陵島から竹島に渡航した高速フェリーで船酔いした話が事細かに書かれている。船酔いしたことを書くのはよいが、話が冗長すぎ。読んでいて、面倒になる。ジャーナリストである西牟田氏の本と比べると、著述の力量の違いを感じる。
 
 本書には写真も多い。印刷が悪いのは仕方ないが、それにしても、使用カメラの歪曲が大きい。もう少し、高級カメラ・レンズを使うべきだろう。竹島のカラー写真もあるが、露光調整すれば、もっと良い写真になったろうと思え、残念である。また、構図を考えて、フットワークを使って、撮影すればよいのに。展示パネルを撮るときは、なるべく正面から撮って、歪みがないようにする必要があるので、P48の写真など、普通は少しかがんで撮るところだが、著者は漫然と突っ立ったまま撮影したのだろうか。
 
 解説でも、おかしな記述が多々見受けられる。特に、P94に独島博物館展示の北朝鮮切手の写真があるが、韓国切手であると誤った説明をしている。本の写真では不鮮明であるが、実物の切手には、国名がDPR KOREAと書いてあるので、北朝鮮であることはみれば容易にわかるはず。英語の国名がわからなくても、ちょっと調べれば、容易にわかるはず。展示品をろくに見もしないで、先入観で、いい加減なことを書いているとしか思えない。
 旅行記としての解説以外にも、一般知識もなっていないようだ。P34には、浦項でハングルが読めないために場所が分からなくて困った話があるが、ここで、「表意文字である漢字の偉大さを知った」などと、頓珍漢な事を書いている。漢字が分かるのは、日本の文化が中国文化を移入することで発達したためであって、表意文字の問題ではない。実際、表意文字であるトンパ文字で書かれたって、日本人には理解できない。
 
 鬱陵島の独島展望台から、竹島が見えなかったとの章がある。要するに、空気が少し濁っていて、見えなかっただけのことだ。
 2005年ごろ、ネット上では「鬱陵島から竹島は小さくて見えない」などと、おバカなことを書く人がいた。著者もこの程度の知識と同類なのだろうか。書かれている内容があまりにもばかばかしい。両島の距離や竹島の大きさが分かっているのだから、どのような気象条件のとき、どの程度に見えるのかということは、容易にわかることだ。特に、見えるときの大きさは、Excelで簡単に計算できるので、小さくて見えないなどということがあり得ないことぐらい、誰だってわかるだろう。現在、望遠レンズで撮影した竹島の写真は、いくつも公開されている。肉眼で凝視したように写るレンズは望遠レンズなので、望遠レンズで撮影することは当然だが、カメラの知識がない人は、肉眼で見えるものはコンパクトカメラに絶対に写るかのような錯覚を起こしているので、たちが悪い。本書の著者も、本書を読む限り、同じような無知を振りまいているように感じる。しかし、ジャーナリストがカメラ知識に乏しいなどということが有り得るのだろうか。
 
 領有権問題に対して、下條正男説を絶対視しているようだ。それは、それでよいのだが、独島博物館の解説が、日本でも批判のある下條説にのっとっていないのは当然のこと。下條説にのっとっていないので正しくないとか、正しいとか、そういうことではないだろう。竹島領有権に関する著書は、日本でもいくつも出版されているので、賛否はともかく、それらを理解したうえで、独島博物館の展示や解説を考えてみれば、著者の記述は、もっと幅広いものになっていただろう。せっかく見学したのに、残念だ。

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